![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153156532/rectangle_large_type_2_25c872983504ee45576addb2e517dfeb.png?width=1200)
なぜ、そもそも論・正論・抽象論が嫌いになり、具体論が好きになったか
昔は正論や抽象論やらそもそも論を言える人に対して漠然と「かっこいいな」と思っていたが、正解も正論もない混沌とした業務に携わるようになってから、具体論を語れる人の方が立派だと思うようになってきた。
そもそも論的発言の例;
「そもそもこれって何のためにやっているんでしょうか?」
「そもそもこれって私たちの会社がなぜやる意味があるのでしょうか?」
正論(に聞こえる)発言の例:
「そもそもこれは私の部署ではなく、他部署がやるべき仕事だと思います」
抽象論的な発言の例:
「もっと関係部を巻き込んで仕事をすべきだと思います」
「社長が持ってきたこの案件、やる意義がないから取り下げにすべきだと思います」
最近、こういったそもそも論や正論っぽく聞こえる言い訳や抽象論を仕事の後輩からよく聞くようになった。
そもそも論、正論、抽象論は言っていて気持ちいい。
なんだか思考の大前提に立ち返って、大局的な視点・高尚な視点から物事を見ている気になって、発言したものに自己陶酔感を与えてくれるからだ。
また、だいたいこの種の問いかけには答えがない場場合や即答できない場合が多く、相手が言い返せないため、「はい論破〜」と心の中で叫べるような優越感を発言者に与えてくれるからだ。
「そもそもこれって何のためにやっているんでしょうか?」といった発言が簡単にできる人は思考停止状態である。なぜなら、こんな発言であれば誰でもできるからである。
そもそも論は、解決したい問題の大前提が間違っていた場合などに思考のフレームワークを組み換え直すためによく用いられ、戦略コンサルのフレームワーク教習本によく出てくる思考法である。
しかしながら、そもそも論が実際の仕事で必要になることはほとんどない。大体の社会人は既に進むべき方向性(戦略)が決まっていてそれをどう実行するか、という業務に携わる人がほとんどで、物事の大前提を常に問い直す機会は日常業務ではあまりないからである。あるとすれば年度事業位計画や中期経営計画の策定をゼロベースで行うときくらいだがこれも日常的に発生するものではない。
すでにやることが決まっている業務に対し「そもそもこれって何のためにやっているんでしょうか?」と言うことは「私は業務がわかっていない無能です」と言っていることに等しい。
「これは自分の部署でやる仕事ではなく、他部署やるべきだと思います」という発言が簡単にできる人は軽薄である。
なぜなら明確にやるべき業務・タスクが区切られているシンプルな業務にしか携わったことがないからである。実際の業務はそう簡単に自社の都合で区切られた部署や管轄によって整理できるわけではない。誰かが拾わなければならない業務が必ず存在する。
上記のような自社論理で業務を区切る者は、一見正論にも聞こえるが顧客ではなく自分たちの業務のことしか考えていない場合が多い。
「もっと関係部を巻き込んで仕事すべきだと思います」という発言ができる人は能天気である。重要なのは「では具体的にどう関係部を巻き込んでいくのか」という方法の部分なのに、誰もが分かりきっていることをためらいなく言えるからである。
「社長が持ってきたこの案件、やる意義がないから取り下げにすべきだと思います」というのは口では簡単だ。難しいのは、もし取り下げたいのであれば、どうそれを社長にも納得してもらい、取り下げまで結実させるか、という具体的な方法なのである。
ここまで述べてきてわかるとおり、実際に必要なのは具体策なのである。
抽象論などは書物や伝聞でいくらでも学べるが、ではその学んだことを目の前の自分の業務にどう具体的な策に落とし込むのか。それが重要なのである。
抽象論やら正論は、現実の世界で起きている混沌とした世界を愛することができずに無菌空間に逃げている者たちが使う現実逃避の思考なのである。
それは、実際の世界では「1+1=2」にならないこともあるのに、「1+1は誰がやっても2なんだ!」というイデア界に逃げているようなものなのだ。
したがって、最近は抽象論や正論やらを言う後輩を見るたびに「あ、今こいつは立ち向かうべき目の前の課題から逃げたな」と思いつつ、とりあえずスルーしながら具体策を考え出すことに集中するようにしている。
そもそも論より具体論。抽象論より具体論。正論より具体論。
もちろん仕事の局面や文脈によって、抽象論や正論を振りかざす必要がある場面は発生するが、それでも具体論を大切に業務を進めていきたい。