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苦悩
文章を書かないと決めていたはずなのに、気がついたら文章を書いていて、せっかくだから、公開してみようかなと思いました。
久しぶりに書いてみたら、なんだか切なく悲しい気持ちになりました。
自分には、「もう生きていけないんじゃないか」「もう無理なんじゃないか」と人生に追い詰められたときほど、文章を書く癖があるようです。不思議ですね。
記事を書こうと思って努力しているわけでもなく、ただ書かないと、表現しないと、生きていけない気がするから、書いてしまっているのが自然でしょうか。
生きづらさがなかったら、たぶん文章なんて書いてないし、読むことだってしなかったと思う。それだけ自分の心の支えになっていて、救われたのは間違いないです。それが一つでもあることは、きっと幸せなんだと思います。問題を直接解決することができなくても、前を向いて考える力を与えてくれます。
よく僕を知る周りの人から、あなたは繊細だと言われることがあります。繊細の定義にもよりますが、光の刺激にとても弱くて、些細なことにも過敏に反応してしまう体質であることは常々感じており、自覚しております。
ちょっとした環境の変化にも耐えられず、音や光に神経を切り裂かれ、「もう耐えられない」と身体が悲鳴を上げるのは、幼少期から引きずっていた悩みのように感じてます。ただ、ずっと生きづらかった。ふつうに生きたいだけだった。
「できない」ことがあると、誰かから否定されているような気持ちになって、「痛み」も伴った。けど、そんな自分でも生きていたいと強く思う。
できないことはあるかもしれない。でも、それでいいんじゃないだろうか。ある意味、開き直っているのかもしれない。抗おうとせず、自分らしくいられる環境を自らの手で掴み取ろうとしている。
話は変わるけど。自分には「なんでそんなことしてるんだろう?」と人には言えない一風変わった癖がある。「こんな人間がほんとうに社会でやっていけるのかな?」と思うこともしばしば。しかし、自分が持ってる変な癖や性癖にしたがって生きていれば、他の人とは違ったことをやってることになると思うので、みんなと同じことをしても得られないような価値をつくることができ、面白い人生が送れると楽観的に捉えてます。
生きてると、良いこともわるいこともたくさんありますが、こうして表現できるのは、深く悩んだり、苦しんだりするからこそなのだと思います。きっと、そこで躓くことがなかったら、文章を書くことには繋がらなかったはずです。文章があるからこそ、明日も生きるぞと希望を持って前進できる。たとえ心や身体に染み付いた傷を癒すことができなくても、完全に回復できなかったとしても、それでも生きていこうよと背中を押してくれるもの。これがぼくのギフテッド。
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