【企業の俳句部】2023年スタート、生徒さんの言葉から気づくこと
気持ちの距離が近づいてきた!
昨春からご縁があって、月2回ほど指導に伺っている、さる企業の俳句部。
指導のみならず、年末には企業カレンダーの表紙に掲載する俳句の作成に携わる、という貴重な機会をいただきました(その記事はコチラ)。
企業の俳句部は「俳句教室」ですが、カルチャースクールや自治体の講座とは「空気(雰囲気)」が違う、というのが私の第一印象でした。
カルチャーなどだと生徒さんは皆「互いに知らない同士」が多く、そこから仲良くなっていくというパターンがほとんど。
でも、企業の場合は既に「人間関係」ができている。その違いは大きい。
その中に全く「部外者」の講師(私)が一人入っていく。
なので、それまでの経験を活かしつつ、これまで以上の観察と検討の繰り返しの必要性を痛感しました。毎回、とにかく試しながら手探り状態(^^;
そして、半年近く経って、皆さんとの(気持ちの)距離が
「近づいてきた!」実感を覚える機会がえてきました。
それまでは知らない同士だし様子見だったけど、
ようやく互いの人となりが見えてきたことがあるんでしょうね。
また、互いの癖ややり方に慣れてきたということもあるんでしょう。
もともと皆さん、最初からこちらがビックリするくらいに気を遣ってくださって優しい方ばかりなんですが、最近の私への話しかけ方などにはこれまでとは違う温度が感じられて、嬉しく心強く思います😊
そんな皆さんとのやり取りを通じて、しばしばハッ! と気づかされる言葉をいただくことがあります。それらは指導だけではなく、作り手としての私自身を原点に立ち返らせてくれるものであることもしばしば。
ということで2023年スタート、初心を忘れずにという自戒を込めて
以下に書き留めていきたいと思います。
「大旦、かっこいい!」
これは確か「クライアント用の年賀状に各自が自作の俳句を書く」ための
作品を提出いただいたときの、ある生徒さんの感想です。
「元旦」の季語を使った俳句作品が確かあって、それについて
「この季語は「大旦(おおあした)」とも言えるので、そちらでもいいかもしれませんね~。その方が雄大な感じが出るかも」というようなコメントをしたところ、上記のような反応が。
かっこいい?! 言われてみれば……確かにそうかも、
この字面も「大いなる朝」という意味も。
全然気づかなかったよ~。スゴイなあ、その感性。
とにかく新鮮でした、ストレートな反応が☆
これまで私が参加していた句会ではこういうことはなかったから。
でも考えてみれば、私も口にはしないだけで
「〇〇っていう季語、綺麗だなあ、漢字も意味も💖」
「△△という季語、いつか使ってみたいなあ」
と、昔も今も歳時記をみるたびに思ってるじゃん。
それと同じことだ。
口に出す、って大事だなあ。
とくによいこと、ポジティブなこと。
それだけで、本人だけでなく、周囲の目や感性も開かれることがある。
そんなことを、その生徒さんから学びました。
「絵がわからないと、内容が入ってこないよ」
俳句は17音しかないから、「第三者(読者)に伝わるように」
言葉と季語を組み合わせてまとめる必要がある。
でも、寸足らずになったり、コンパクトに言えないと、
「わからない」ということになり、
句会などではなかなか採ってもらえないことも。
俳句部では現時点では句会をやっていなくて、
全員で個々の作品を鑑賞する、というスタイルを毎回とっています。
そういうときに自分以外の作品について、生徒さんからいろいろな感想が飛ぶのですが、その一つが上記でした。
句会などでは「景がわからない」という評がしばしば出ますが、
そういうことを部活ではあまり伝えていない。
なのに、自然と上記のような「絵がわからないよ」という感想が出てくる。
句会をしていても、していなくても(経験していなくても)
「わからない俳句」に対しては同じ言葉が印象として出てくるんだ……!
これは結構ビックリしました。
逆にいうと、句会を経験していなくても本質を掴むことは可能なんだということ。そのことを知りました。
「こんなに短いのにドラマが見える」
「短期間でも上達されてきたなあ!」と思える俳句は、
17音に過不足なく言葉と季語が嵌っていて、
上記の「絵がわからない」とは真逆の作品として
しっかり作品が独立して立っています。
そういう作品が提出されると、本当に嬉しい。
そして、そういう作品は短い言葉でもしっかり物語がある。
そのことを的確に掬い取ってくれ、言語化してくれた生徒さんの存在も教える側としては頼もしいのです。
「以前より自然や風景が見えてきた」
俳句を作り始めると、句会や教室があるので、否応でも締切(提出日)を意識せざるをえない。
当然、兼題も出されているから、それらに即して自分の周囲を見直したり、経験や記憶の棚卸をせざるをえなくなる。
そんな繰り返しをしていると、これまで以上に意識や精神が研ぎ澄まされるようになり、自然といろいろなものがアンテナに引っかかってくる。
俳句をやっている人は皆同じこの道(過程)を歩きますが、その道の歩き方、歩く中で何を見つけ捉えるかで、その後の作品が個々に異なってくる。
上記の感想からはそのとば口に立ったこと、作り手としての意識が生まれつつあるんだなあということが伝わってきて、今後が何とも楽しみになるのです。
「普段の仕事の上下関係とは関係なく、自由に物が言える楽しさがありますね」
俳句は「座の文学」、句会は「句座」としばしば言われます。
師を中心に連衆(仲間)が作品を発表し、鑑賞し合い、
互いの作品をブラッシュアップしていく。
そんな「相互コミュニケーション」が俳句や句会の魅力。
そして、座においては、年齢や社会的地位等は無関係。
ただ作品のみに重きを置く。
企業によってはこの座の精神の実現は難しい部分もあるかと思います。
でも、私が担当している俳句部の生徒さんが
「普段の上下関係は関係ない」と思っていただけるということは、
この企業さんがもともと
「風通しのよい社風であり、そんな人間関係を常に大事にしている」
その精神の表れなのかもしれないな、と思いました。
そして、そういう企業とご縁を得たことを有難く思います。
終わりに
物価高など、なかなか厳しい昨今の社会や経済情勢。
そんな中でも仕事(通常の業務)をしつつ、部活という形で社員個々が自分の精神を高める取り組みを企業が率先して推進する姿勢は素晴らしいと思います(皆さん、お仕事で出席できなくても、欠席投句してくださって、そのやる気が本当に嬉しい(^▽^)/)。
そしてこんな時代だからこそ、「人間(そしてその心)を大切にしたい」という姿勢が伝わってきます。
企業として大変な部分も多かろうと思いますが、今後も継続していただきたいです。
そして、私も新たに頑張りたいと思います。
よろしくお願いいたします😊