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My Body My Choice ~私の体は私の選択~

先日、クーリエジャポンの記事がふと目に入り嫌悪感を覚えた。

日本の「コロナ対策」が世界でまったく評価されない理由
「日本はジャンクフードばかり食べてまったく運動しないのに、痩せてる女の子みたいなんです。そういう子は、嫌われるか、無視されるかのどちらかです」

果たして、この記事で痩せている女の子が嫌われるか無視されると断言する必要はあったのか。アジアタイムズからの引用としているが、フェイスブックでもツイッターでも小見出しとしてこの文言が利用されていた。
つまり、食べたいものを食べて運動をしていないけど痩せている女の子はこういう待遇にあっても良いと?

ありえない。

Skinny shaming is equally an issue as fat shaming

痩せている批判は太っている批判と同様に問題視されるべき。

モラルとして、「太ったね」「何キロあるの?」「デブだな~」「健康的じゃない」「痩せなよ」こういった言葉が人を傷つけるかもしれないという認識はある程度の人が持っているのではと思う。

では、どれだけの人が「また痩せたね」「何キロあるの?」「ガリガリ」「ちゃんと食べてる?」「もっと太りなよ」この言葉に傷つくというのを知っているのだろうか。

ぽっちゃり体型の友人が彼女のBody Shaming経験もシェアしてくれた。
彼女は80キロ台、「私太っているから~~」と言うと他の子から「でも、あなた綺麗だから(But you're beautiful)」という返答が当然のように帰ってきた。「But you're beautiful」。それって、太っている≠美という方程式がすでにあるからこそ、Butと言うのではないかと。

理想の体型は十人十色

私は生まれてこの方ずっと痩せ型体型だった。〇〇ちゃん、痩せてるねという言葉は言われ続けてきた。私が「☆☆ちゃんの体型が理想だけどね」と返すと皮肉と捉えられる事もあった。
日本社会(アジア社会)は理想的な体型がまるで一つ、と言っているような気がする。
私は自分の体型が好きだ。ただ、欲を言えばこうなりたい(もう少し太って筋肉をつけて、、)という理想はあるからこそ、運動をして自分の理想に近づくために努力をしている。
同様に太っている人が自分の体が好きか嫌いかは本人にしかわからない。その人が健康的か健康的じゃないか、体形だけで判断されるべきでもない。

好きになれない体型に関するコメント

社会人になって、女性だけの社会に属するとそれはより感じる。
私はふんわりしたかわいらしい服よりも、ボディラインの出るジーンズやピタっとした服が好きだ。そういった服を着ていると「私の太ももと同じくらい細い!」「その体型、私の幼稚園の時だよ」と冗談を言う同僚。
まず、それはあり得ない。あなたの太ももの倍以上はあるし、幼稚園児ほど細いわけがない。この言葉が冗談でも、この言葉が持つネガティブさはまるで「一人前の人間じゃない」「女性らしくない」と伝えられている気分にさえなる。
発言者はそんな気持ちで発していないのだろう。褒めたつもりなのかもしれない。

痩せている人には体型の冗談を言っても大丈夫なんていうダブルスタンダードは存在するべきではない。

(うちの会社の人事(女性)は人事という立場にも関わらず、口を開けばBody Shamingというタイプ。人事ならそういうセクハラ的発言は意識して辞めるべきと反抗したが、意外と女性同士でこういう事が多い。)

なら何て言えば良いの?

正直、痩せている事、太っている事ってNot your business(あなたが口を出す必要のない事)。
褒めたいのなら、体型に関わらず、綺麗になったね。スタイルが良いね。こういう恰好似合うね。こうやって褒めればいいんじゃないのかな。

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近年、大手ブランドが広告塔に様々なボディータイプのモデルを起用したりという動きがあるが、モデル=痩せているという方程式がおかしいという問題提起は納得ができる。また、これが痩せ批判につながるべきでもない。「どの体系もあなたの選択」であり、同じくらい尊重されるべき。

「表現の自由がなくなった」、「なんでも文句を言われる」なんて言う人には、「あなたの表現ってその程度だったの?」と言い返してやる。


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