「なんだって学びに変えられる」 ―今年度の授業を終えて、君たちが教えてくれたこと―
今日で今年度の授業が全て終わりました。
なんだか肩の荷が降りたようなホッとした感じも、どこか心がぽっかり穴が空いたような寂しさも。不思議な感覚です。
今日は1年間の思いがあふれそうで。ちょっと綴ろうと思います。
今年度は一年生の論理表現Ⅰを担当させていただきました。
「2単位の6クラスを担当して欲しい。」
これを告げられた時、試練だと思いました。
今までやったことのない単位数とクラス数。
しかも昨年度は5単位の3クラスという真逆の状況。
だけど、6クラスも持たせてもらって関われる子どもたちがその分増えるということに喜びも感じていました。
一年生ということもあり、どんな子がいるのか手探りの状態で始まりました。私自身も新課程での英語の授業が初めてで、どのように展開しようか勉強していた3月。
学習指導要領を改めて読む。
「論理表現とは、アウトプットの教科」ではないかと解釈しました。
今までの、私自身が受けていた英語表現も文法学習と英作などがありましたが、どこかインプット重視。覚えているかの確認のテスト。
それに対して、論理表現は自分の意見や考えを論理的に展開する表現力を養うこと。
社会的教育ニーズからも、知識技能のインプットにとどまらず、それをうまく活用する力を養うことが求められている。
論理表現もそのニーズに応えるべく改訂されたのだと感じます。
「目的・場面・状況」を意識した言語活動を展開することを求められる授業…。
予測困難で先行き不透明な社会で生き抜くには、自分という軸をしっかり持つこと。だとしたら、論理表現は「自分の意見を伝える」ことを目標にして授業を計画をしようと決めました。
これを読んでいるのが君たちかどうか分からないけど、もし読んでくれていたら。
君たちはどこか「勉強=インプット」という捉え方があるんじゃないかなと思います。
だけど、私が思う学校での学びは「未来を一緒に考え、作ること」
論理表現は受験や、テスト、成績、評定など、目の前の数字だけに囚われすぎず、もっと先の君たちが生きる未来で使える力をつけさせてあげたいと思った。
どうなるかわからない世界の中で、流されず自分の意見や考えをしっかり持って行動できる人になって欲しい。
だから私は、ライティングとプレゼンを単元のゴールに設定しました。
書くことと話すことでのアウトプット。
そこに行き着くまでのインプットはもちろん、「自分の考え」を持つこともその過程として重視してきました。
英語プレゼンなんて今までやったことない子どもたちも多かったと思います。
だけど、させたかった。
ライティングこそ、思考力・判断力・表現力を高める。
プレゼンこそ、得た知識技能を発揮し、経験から自己分析・自己調整し、次に繋がる粘り強い姿勢を身につける。
まさに私の思う「生きる力」を高められるんじゃないかと思った。
結果、こうして最後の授業を終えた今、私自身も振り返ってみました。
正直に言うと、この一年、ボロボロでした。
きっと君たちにもそのボロボロさ加減を露呈させてしまったよくない教師だっんじゃないかと反省しています。
やっぱり週に2回しかない授業の中で、させたいことがたくさんあってそれが中途半端になってしまった。
目の前の君たちには大変申し訳ことをしてしまったと思う。
けど、だけど。
5回のライティング・プレゼンを通して、一人ひとりの成長をたくさん見ることができました。
自己紹介もまだまだ課題が残っていた1回目に比べて、最後のプレゼンは「プレゼン」とは何かという目的をしっかり考えて行ってくれる子どもたちが増えて、それに気づければこの先も自分の理想とするものに近づく努力を重ねてくれると確信しました。
そんな君たちから学んだこと
「どんな体験や経験からも学びにすることができる」
「やり続ければ苦手なことでも「楽しさ」という境地に立てて、頑張ろうという内発的動機づけに繋がる」
勇気をもらえました。
こんな未熟者の私です。授業もまだまだ上手にいかないことの方が多いです。
だけど、私も君たちが見せてくれた「頑張ることの意味」や、それを体現してくれた姿から一緒に頑張りたいと思います。
こんなにも多くの子どもたちと関わらせてくれて、こんな私についてきてくれて、一緒に英語を学んでくれて、たくさんの考えてを共有してくれて、私の視野を広げてくれて…
本当に本当にありがとう!
君たちと過ごした論理表現の授業での時間を今後の私の頑張る糧に、お守りにして前に進んでいきます。
またどこかで一緒に未来を作る機会があれば、その時はよろしくね☺️
またあたらめて、今年度やってきた取り組みをまとめさせていただこうかなと思います。
興味があれば、覗いてください!
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