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【ショートショート】うちの息子なんだけど (2,643文字)

「うちの息子なんだけど、とにかく最近すごくてさぁ」

 部長の息子自慢が始まった。若手社員の菅原晴翔は相槌を打ちつつ、内心、だから忘年会なんて参加したくないんだよ……、クソ会社が……、と帰りの電車で転職サイトに登録する決意を固めていた。だが、部長はそんなことに気がつくはずもなく、五杯目のハイボールで顔を真っ赤にさせながら饒舌に続けた。

「あいつ、中学で成績トップなんだよ。特に、得意なのは数学で学校の試験じゃ毎回満点。全国模試でも名前が載っているんだぜ。加えて、英語も上達してきて、市のスピーチコンテストで優勝したときは驚いたね。ただ、俺もむかしは成績良かったからさ。これは遺伝だな。そう思うだろ?」

「遺伝ですね。すごいっすね」

 菅原晴翔は期待通りのリアクションに努めつつ、部長らしい、いつものやり口に辟易としていた。息子の自慢に見せかけて、実は自分の自慢をしたいだけなのだ。あまりに露骨だけど、本人としてはステルス自慢ができているつもりらしい。やたら息子の話をしてくる。

「なんか、まだ早いんだけど、将来の進路も真剣に考え始めているみたいでな。医学部か、法学部か、どっちか迷ってるらしいんだけど、まぁ、どっちに進んでも成功するだろうな。あいつはなにをやらせても効率がいいし、なにより粘り強さがあるからさ。いやはや、俺もあいつに負けないように頑張らないと」

「なに言ってんですか。部長だって、効率がいいし、粘り強いじゃないですか」

「ダメダメ。俺なんて。息子と比べたらまだまだだよ。なにせ、あいつはスポーツでもかなり活躍してて、サッカー部のキャプテンに選ばれたんだ。点を決めるのはもちろん、チームをまとめる力もあるときた。この前なんか、県大会出場をかけた試合で逆転ゴールを決めたんだぞ。いやー、観客席も大盛り上がりだったなぁ。菅原、お前も学生時代はスポーツやってたよな?」

「はい。テニスをやってました」

「だったら、わかるだろ。ああいうプレッシャーの中で結果を出すのは簡単じゃない。それこそ、この前のプレゼンで俺が先方の気難しい担当者を説得したように、日頃の努力と積み重ねてきた経験がものを言うからな。まあ、菅原は若いんだし、これから頑張ればなんとかなるよ。そんなわけで、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 なにがどうそんなわけなのか、さっぱり理解できなかったが、部長は立ち上がり、ヨロヨロと廊下を歩いて行った。そのジグザグに動く後ろ姿に一瞥をくれて、菅原晴翔は冷めた唐揚げに箸を伸ばした。すると、隣から風鈴が鳴るような響きで、

「あの人、ヤバいよね」

 と、声をかけられた。

 経理の成沢友美だった。菅原晴翔は同期の彼女に密かな思いを寄せていた。そのため、今回、席が隣になったときは「嫌々でも忘年会に参加してよかった!」と胸の中でほくそ笑んでいた。しかし、人気者な彼女は四方八方から話題を振られて忙しく、一向、会話する機会のないまま時間が経過。気づけば、有頂天な部長がやってきて、なすすべもなくワンマンショーの餌食になってしまったのだ。そんな折、まさかのチャンス到来に心拍数は急上昇。ただ、あくまで冷静を装って、

「マジでヤバ過ぎだよ。あの人」

 と、小さくつぶやき返すに留めた。

「また息子の話してたんでしょ」

「そうそう。勉強もできて、スポーツもできて、とにかく優秀みたいだよ。遺伝だろうって誇らしげにしてたけど、よくそんなこと言えるよなぁ。部下の手柄だけでなく、息子の功績まで奪おうとするんだもん。さすが部長って感じでヤバいよ」

「ヤバいね。怖過ぎる」

「わかる。わかる。ゾッとするよね」

「ゾッとする。息子なんていないのに」

「ねえ。息子なんていないのに。……。ん?」

 リズムよく成沢友美の言葉を繰り返していた菅原晴翔だったが、筋の通らないフレーズにつまずき、首を傾げずにはいられなかった。

「待って。どういうこと? 息子なんていないって?」

「いないの。あの人に息子なんて。うちのお局さんから教えてもらったんだけど、そもそも結婚すらしてないらしいよ」

「……嘘でしょ。そんなはずないって。だって、部長、しょっちゅう家族の話をしているよ。週末はバーベキューに行ったとか、有給とって夫婦で授業参観行くとか、楽しそうに報告している。この前だって、和歌山にある奥さんの実家から大量のみかんが送られてきたって、部署のみんなに配ってた。俺も食べたよ。小ぶりだけどめちゃくちゃ甘くって、お礼を伝えたら、来年もあげるからなって嬉しそうにしてた。あり得ないって。息子も奥さんもいないとか……」

 成沢友美は唇を噛み、首をゆっくり横に振った。

「ぜんぶ嘘だったんだよ」

「なんのために?」

「さあ。あるとき、急に、家族がいる設定で振る舞い始めたんだって。最初のうちはボケだと思って、ツッコミを入れる人もいたんだけど、ことごとく無視をして、家族の思い出を一方的に繰り返すものだから、段々、不気味がられるようになったんだってさ。なにせ害のない嘘だし、注意するほどでもないから放っているうち、新入社員が真に受けて、だんだん本当らしさが増してきたみたい。ヤバいよね?」

 その問いかけに菅原晴翔はなんて答えればいいのか迷ってしまった。ヤバいことには間違いないけど、このヤバさはそんなありふれた表現では全然足りないヤバさだった。部長の家族に会ったことはないし、写真を見たこともないし、どんな姿形をしているのかはわからなかったが、何度も何度も話を聞くうちに、漠然と菅原晴翔の脳内に人の形をしたイメージが二人分、たしかに形成されていた。それが突然、ピカッと光って消えてしまった。これは悲しいことだった。

 だから、部長に家族がいないとは未だに信じられなくて、成沢友美からもっと根掘り葉掘り聞きたかった。可能な限りの情報をインプットして、その後、やってくる感情に基づきヤバいかどうかを判断したかった。

 でも、誰かに呼ばれた成沢友美は菅原晴翔のそばを離れて、向こうのテーブルに移動してしまった。後を追いかける気力もなければ、勇気もなくて、じっと彼女の透明感あふれる白いブラウスの揺れるプリーツだけを眺めた。

「なに見てんだ?」

 振り向くと部長が戻ってきていた。菅原晴翔はなにも言えなかった。なにも言いたくなかった。寒くて身体が震え出していた。ただ、そんな部下の異常事態もどこ吹く風。部長は顔をニヤつかせ、粘っこく唾が糸引く唇を動かした。

「それで、うちの息子なんだけど……」

(了)




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