【料理エッセイ】父方の祖母は料理がとても下手だったけど、とろろ汁だけはいつも絶品だった
母方の祖母が退院し、親戚など集まって、みんなでお祝いした夜のこと。
懐かしい話をいろいろと交わす中で、うちの母が父と長いこと別居したまま、離婚手続きをしていないという話になった。それだと万が一があったとき、財産分与の際に父も権利を持つことになるんじゃないかと叔母さんが指摘して、ヤバいじゃんみたいな展開になった。
一応、離婚していないのには理由があった。二十年ほど前のこと。単身赴任中の父から電話があったと思ったら、受話器の向こうから聞こえて来たのは女性の声。聞けば、父の彼女だという。
早い話、不倫相手が責任をとってほしいと主張してきたわけで、母はそんな事態が起きていることなど露知らず、いつものように、
「もしもし〜」
と、朗らかに対応したものだから、これでもかって面食らい、うえっ、うえっと、えずきまくってきた。
結局、そんな状態なので、まともに会話はできなかった。しばらくして父から電話があった。母は出ることができなかった。代わりにわたしが出た。離婚したいと言われた。母に伝えた。なにも答えなかった。
それからしばらくして、母は役所に離婚届の不受理申出というものを出しに行った。これで父が勝手に離婚届を出すことはできなくなった。
その後、父から連絡はなく、そこまま失踪してしまった。わたしたちの保険証が使えなくなり、仕事を辞めたことがわかった。いや、実際は辞めたのではなく、辞めさせられていた。なんでも、わたしたちが不倫相手と思っていた女性は反社会的な組織に関わりのある人だったらしく、勤務先に客としてきていて、父は口説いたつもりで美人局に遭っていたんだとか。そのことを理由に会社に対する脅迫があり、職務規定違反で解雇になっていた。
で、さらなる脅迫として、あの日、うちに電話がかかってきたということがようやくわかった。情けないやら、悲しいやら、呆れてしまうやら。なんとも言えない気持ちになった。
だから、まあ、父が離婚を望んだ理由は母の想像とは違ったのかもしれないが、いまさら、どうすることもできなかった。
そして、そのままどうすることもできない時間が経過し、現在に至っているわけで、叔母さんがいくらロジカルに、
「離婚しておけばよかったのに」
と、正論をぶったとしても意味がなかった。
でも、母としても思うところはあったらしく、なんとかしなきゃとつぶやいていた。
祖母の家から帰り道、弟二人、駅に向かいながら、世間話の感覚でそのことについて話し合った。
「なんとかしなきゃと言っても、父がいまどこでなにをしているわからないもんねぇ」
「……実は知っている」
「うそ!」
なんでも、父は弟だけには連絡してきたようで、大学を卒業するでは定期的に会っていたんだとか。地方のショッピンモールで働いているという。わざわざ新幹線を使って会いに行ったりもしていたらしい。
「ただ、社会人なってからは全然。なんか、話をするのが怖くなっちゃって。お金を貸してくれって言われたら、断れない気がして」
然もありなん。父はしょっちゅう借金をしていた。カードローンの全盛期、借りられるだけ借りまくっていた。使い道は主にギャンブルということになっていたが、この年齢になれば、夜遊びにも相当使っていてことはさすがにわかる。で、最終的に美人局ですべてを失ってしまったのだから、ある意味、絵に描いたような人生だった。
「そっか。それはたしかに怖いかも」
「向こうのじいちゃんとばあちゃんにも会ってたんだけど、なんつーか、そこからもタカられそうでさ」
「ははは。そんな感じだったよね」
父方の家は破滅タイプだった。父方の祖父は
「宵越しの金は持たねえ!」
と、リアルに宣うような人物で、貯金はバカがするものと本気で信じ切っていた。
父方の祖父はいつも嘘か本当かわからない話をよくしていた。新宿でタクシー運転手をしていた頃、居酒屋どん底で三島由紀夫と一緒に歌を唄ったことがあると言っていた。そんなはずないと思っていたが、詳しい人に聞くと、なくはない話らしい。でも、ジャイアント馬場と路上で喧嘩して勝ったというのは100%嘘に違いないので、基本的には信用できない。
そんな父方の祖父と結婚するような女性だから、父方の祖母も変わっていた。声が大きく、おしゃべりで、子どもながらに外を一緒に歩くと周りの注目を集めるので恥ずかしかった。なのに、料理が苦手だから、孫であるわたしたちが遊びに行くと必ず外食。騒ぎに騒ぎ、騒ぎまくっていた。
「でも、ばあちゃん、とろろ汁だけは上手だったよね」
駅のホームで電車を待ちながら、ベンチに座ってむかしのことを話していたら、後々は思い出したようにそう言った。
「あー。懐かしい。そうだ。そうだ。静岡の親戚から大和芋が送られてくるたび、ばあちゃん、"スッテタ"ね」
「違う違う。"スッテタ"じゃないだろ。"アタル"って言わなくちゃ」
「出た。じいちゃんお得意のやつ」
スルは縁起が悪いから、アタルに言い換えるんだと博打好きな父方の祖父はいつも言っていた。適当な冗談だと思っていたが、後に料理教室へ行ったとき、同じことを先生が説明していたので驚いた。
「とにかく、ばあちゃんのとろろは絶品だったよなぁ。一人で遊びに行くたび作ってもらってたよ。なに食べたい? って聞かれるから、とろろって答えてた。他のみんなは外食したかったみたいで、いつも残念がってたけどね」
「なんか想像できるわ」
「……久々に連絡とってみようかな」
「誰と?」
「父さんと。離婚の話も進めなきゃだろうし、じいちゃんとばあちゃんもいつまで元気かわからないしさ」
「まあ、そうだね」
「もし、会うってなったら、一緒に来るよね?」
ほんのちょっと、考えてから、わたしは答えた。
「うん」
弟が錦糸町で途中下車し、わたしは終点の中野まで一人、ノスタルジーに浸っていた。そのせいでお腹はいっぱいだったのにとろろが食べたくなってしまった。
帰路、途中でスーパーに寄って大和芋を購入した。翌日のお昼ご飯はとろろ定食と決めていた。
父方の祖母のとろろは別に特別でもなんでもなかった。粘度の高い大和芋を市販の麺つゆで割ってから、溶いた生卵を加えて混ぜ合わせるだけ。途中、水を加えながら汁気を調整し、最後に青のりをタップリ入れる。このタップリは想像を超えたタップリで、ほとんど緑になっていた。
父方の実家でとろろを食べるときは、それを固くなったご飯にかけていた。インスタントの味噌汁があったり、近所の肉屋で買ってきたコロッケがあったり、副菜はそのときどきで違っていたけど、とろろが美味しいのでどうだってよかった。料理が苦手な父方の祖母がとろろを"アテル"だけで奇跡なのだ。他になにを望むことがあろうか。
でも、わたしは料理が好きだし、そこまで再現をするつもりはなかった。前日の買い物でゲットしておいた二割引のマグロを漬けにして、これまた二割引の鶏モモ肉でけんちん汁を作った。あとは冷蔵庫に眠っていたおしんこを添えて、シンプルだけど贅沢なお昼ご飯が完成した!
結局、ただの水を加えることに躊躇して、かなりネバネバな仕上がりになってしまった。ここをグッといけるあたり、父方の祖母はやはり侮れない。とはいえ、まあ、これはこれで美味しかったので十分満足。くるしゅうなかった。
果たして、弟は父と連絡を取るのか。芋の酵素で痒くなった口周りをティッシュで拭いながら、漠然と、誰も彼もが歳を重ねてしまう現実に思いを馳せた。
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