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【映画感想文】女が消えるのには理由がある - 『ピクニックatハンギング・ロック』監督: ピーター・ウィアー

 ル・シネマで『悪は存在しない』を見たとき、幕間の時間にとても美しい映像が流れた。乙女たちが自然の中を彷徨って、忽然と姿を消してしまうのだ。『ピクニックatハンギング・ロック』の予告編だった。

 後で調べるとピーター・ウィアー監督の出世作で、その耽美でミステリアスな世界観からカルト的な人気を誇る映画なんだとか。

 ピーター・ウィアーと言えば、『いまを生きる』だったり、『トゥルーマン・ショー』だったり、アーミッシュの存在を有名にした『刑事ジョン・ブック 目撃者』だったり、ハリウッドの中でも見応えのある傑作ばかりの名監督。まさか、そのキャリアの始まりがこんなマニアックな作品だったとは。

 知らなかったかれど、わたしの趣味的にいつかは出会っていたと思う。噂を聞いて、Blu-rayを買っていたんじゃないかな。

 してみれば、その4Kレストア版をスクリーンで見ることができるなんて、幸運にもほどがある。もちろん、すぐにチケットを買った。

 古い映画なのに、席はほとんど埋まっていた。さすが伝説の一本。往年のファンらしき方々が品よく客席に座ってらっしゃった。

 スマホの電源を切り、映画泥棒が捕まるところを確認し、本編がスタートしてみれば、その理由がすぐにわかった。

 民族音楽らしき響きを伴って、二十世紀はじめのオーストラリア南部のクラシカルな風景がゆったりと映し出される。そして、触れれば壊れてしまいそうな乙女たちが無邪気に戯れ合うのである。尊いにもほどがあり、居住まいを正さずにいられない。

 そこから展開される物語はまるで神話のよう。厳格なミッションスクールに通う乙女たちがピクニックに出かける。目的地はハンギング・ロックと呼ばれる岩山。百万年前に作られた自然の奇跡。誰かが言う。

「わたしたちを百万年も待っていたということね」 

 きっと冗談のつもりだったのだろう。でも、その言葉は真実になってしまう。生徒十数名のうち、三人が岩山で行方不明となる。しかも、付き添っていた女性教師も忽然と姿を消してしまう。

 まもなく、懸命な捜索が始まるも、手がかりはまったくなし。消えた乙女たちとギリギリまで行動を共にしていた少女の証言によれば、三人は取り憑かれたように上へ、上へと登っていったとか。

 怖くなった彼女は叫び声をあげ、脚を擦りむきながら岩山を走り下った。途中、消えた女性教師とすれ違ったという。そのとき、先生はなぜか下着姿だったとか。

 果たして、なにがあったのか。男にさらわれたんじゃないかとか、暴行被害に遭ったんじゃないかとか、ネガティブな噂が駆け巡る。当然、親は不安になり、辞めさせられる生徒が続出。入学希望者も減ってしまって、学校は経営危機に陥ってしまう。

 一方、一切の手がかりがないので、残された乙女たちはそこに神隠しを感じ、密かに憧れの念を抱くようになる。別の世界へ行くことは怖いけれど、この束縛された日常とおさらばできる誘惑にうっとりもする。

 さて、そんな中、諦めることなく捜索を続けた青年によって、失踪していた乙女の一人が発見される。本来、喜ばしいことのはずだけど、関係者はそれぞれの立場で複雑な心境を持つ。

 果たして、この失踪事件はどのような結末を迎えるのか。映画史に残る最も美しい謎が描かれていく。未見の方はぜひ見てほしい。特に女性のあり方が大きく変わろうとしている現代だからこそ、響くものがあるはずだ。

 端的に言えば、この映画において、女が消えるのには理由がある。自由を求め、違うところへ行ってしまうのだ。

 登場人物も、背景も、セリフも、なにもかもが象徴的なので、ピーター・ウィアーが込めた思いがよくわかる。

 まず、神隠しのきっかけとなったミランダという生徒が新しい女性像を体現している。好奇心旺盛で、怖いもの知らず。仲間を率いて、ずんずん、岩山を登っていけるアクティビスト。ある意味で男らしい。

 そんな彼女は「ボッティチェリの天使みたい」と称されるほど、人間離れした美貌の持ち主でもある。途中、白鳥の姿で登場するので、仮に『レダと白鳥』がモチーフなら、ゼウスのような最強の男が変身した姿と考えられるかも。

 いずれにせよ、ミランダが乙女たちを性的に解放する役割を果たしていることは間違いない。なにせ、彼女が無神経に踏み入るハンギング・ロックはやたら性的なメタファーに満ち満ちているのだ。

 岩山はやけに屹立しているし、よく見るとゴツゴツが男の顔にも見えてくる。歩き疲れ、横になった乙女たちのそばをヘビが這い寄り、トカゲが舌を出しながら、いやらしく動き回る。

 これだけだとハンギング・ロックは男性らしく感じるけれど、最後、ミランダたちが超えていくところは二本の岩の隙間であり、たちまち女性らしくなってくる。この両性具有な撮り方が面白い。

 前述の通り、ミランダも女性と男性、ふたつの面を持っている。彼女たちを消したハンギング・ロックも同様ということは、襲うものと襲われるもの、互いは常に主従関係が入れ替わり得る。

 それって、オーストラリアという国の成り立ちを思えば、露骨なほどそっくりである。先住民であるアボリジニを追いやった移住者たち。ただ、彼らもまたイギリスから追い出された人たちであり、そこには迫害の連鎖があった。

 たぶん、ミランダの前進はハンギング・ロックに対する攻撃であり、意図せず、怒りを買ってしまったのだろう。神隠しはその結果なのではあるまいか。

 この発想を裏付けるが如く、わざとらしく植物園でオジギソウの生態について説明する描写が本編にあった。

「触ると動く植物を知っているかい?」

 事務員のおじさんは自慢げに語り、オジギソウをタッチすると、葉っぱがなにかを絡めとるように折り畳まれる。おそらく、ハンギング・ロックにも似たようなスイッチがあり、ミランダたちはそれを踏んでしまったのだ。

 でも、それが果たして不幸なことなのか。わからないようになっているのがピーター・ウィアーの凄いところ。

 と言うのも、無事に寄宿学校に帰ってきた女の子たちより、最後まで失踪し続けた二人の乙女と女性教師の方が幸せそうなんだもの。

 いや、失踪した側の描写はまったくないので、正確には残された人たちが不幸そうなので、相対的に、失踪した方がいいんじゃないかと感じられると言うべきだろう。

 生徒たちは日常の授業に戻り、退屈なレッスンと意味のないマナーにがんじがらめになっていく。経営難から教師たちはピリピリ気を張り詰めて、弱い立場の生徒に強く当たる。そんな場所にいたいだろうか?

 たぶん、消えた三人は自分の意志で消えたのだ。ミランダはもちろん、もう一人の生徒もそうっぽい。岩山から同級生を見下ろして、「あいつらは自分の役割を理解せずに生きている」などとバカにしたのは、大きな志を持っているからに決まっている。

 女性教師にしたって、教養があり、ピクニックの引率をしている間も数学の本を読んでいるような人物。保守的な学校で働くことに満足しているはずはない。

 そもそも、ピクニックに行くということが解放の象徴である。馬車に乗り、近くの街を抜けたら手袋を外すことが許される。靴を脱いで川を渡り、姿を消した先ではコルセットまでなくなってしまう。ミランダに至っては白鳥となって飛んでいってしまうのだ。

 むしろ、消えた三人にとって、こちらの世界より向こうの世界の方がよっぽど現実だったりしてね。なんだか、荘子の『胡蝶の夢』のようである。

 蝶になった夢を見たけど、むしろ、部屋で寝ているこっちの方が夢なのではなかろうか?

 冒頭、誰かが"dream's dream"みたいなことを言っていた。聞き取りに自信はないので、違っているかもしれないけれど、「夢で見る夢」を意味しているのであれば、なるほど、ミランダたちにとって現状が深い夢であってもおかしくはない。

 もちろん、向こう側がこっちよりマシな世界かなんてわからない。でも、あまりにいまいる場所がクソ過ぎるとき、人間、どこでもいいから他の場所に行ってみたくなる。

 故に、消えなかった乙女たちは消えてしまったミランダたちに密かな羨望を覚えるのだ。そして、観客であるわたしたちも同様に憧れてしまう。

 少子化って、実は、そういう話だったりしてね。子どもを産まない問題として捉えがちだけど、本当は、産まれるはずの子どもたちが失踪し、別の世界に行ってしまったのかも。

 だから、わたしたちにできることは、少しでもこの国を生きる甲斐があると思える場所にしていく努力だけなのだろう。

 ピーター・ウィアーはこの映画を1975年に製作したらしい。その年、オーストラリアで『ジョーズ』に並ぶ興行収入を記録したという。

 70年代と言うと、オーストラリアが長く続いた白豪主義の政策を捨て、アジア系移民の受け入れを決断した時期である。同時に先住民アボリジニとの和解も進んだ。

 住みやすい国を作るため、痛みを伴う改革を断行していたことは『ピクニックatハンギング・ロック』の大ヒットと無関係ではあるまい。

 そんな映画が2024年の日本でリバイバル上映されたことにわたしは大きな意味を感じる。

 変わろうよ、日本。

 このままじゃ、マジでみんな消えてしまうよ。




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