【映画感想文】ブラジル版『仁義なき戦い』はゲイでドラァグで売春婦で、マイノリティのパワーが大爆発! その上、最後はドリフのコントで最高だった - 『デビルクイーン』監督:アントニオ・カルロス・ダ・フォントウラ
話題のドキュメンタリー『マミー』を渋谷のイメージフォーラムで見たとき、予告編で強烈な作品が紹介されていた。それはブラジルのギャング映画『デビルクイーン』で、1974年にカンヌ映画祭に出品されて以来、各地の映画祭で上映され、カルト的な人気を誇るものらしい。
それもそのはず、ギャングのボス・デビルクイーンは最強のゲイで、荒くれ者たちを従いながら、売春宿を仕切り、ドラァグたちと幸せな王国を作り上げている。
いまなら、こういうマイノリティのパワーが爆発している映画が制作されることに特別感はないかもしれない。ただ、ブラジルは60年代〜70年代にかけて軍事政権が敷かれ、抑圧的な社会となっていた。特に1973年にはオイルショックで外貨を軸とした経済成長がストップし、国民の不満は高まりまくり。強権統治を巡って混乱が生じまくっていた。
そんな中、思いっきり下層社会の憤りを突き上げるようなクィア映画『デビルクイーン』が検閲を恐れず作られ、完成し、こうして現代まで語り継がれているという事実は感動的。そして、ようやく日本初公開というのだから、見ないわけにはいかなかった。
第一印象としては『仁義なき戦い』だった。麻薬取引で財を成している組織内に亀裂が走る。きっかけはデビルクイーンが愛する可愛い男の子が逮捕されそうになったこと。
「身代わりを用意しろ!」
そう指示された部下が用意した青年はめちゃくちゃ野心的で、これをきっかけに成り上がろうとしている。そして、デビルクイーンの秩序をよしとしない連中も裏切りの準備を始め、誰が誰をなんのために殺してもおかしくはない疑心暗鬼が広がっていく。
これだけでも面白いのだけど、なにより凄いのはラストシーン。主要な人物たちが血だらけになりながら、「俺が天下を取ったぞ!」と叫んだ直後、他のやつに命を取られて「わたしが天下を取ったんだわ!」と宣言され直すというくだりが何度も繰り返されるのだ。芸人が言うところの「天丼」ってやつで、急にドリフっぽくなるので笑ってしまった。
おそらく、この演出が功を奏したのだろう。パンフレットに掲載されていた監督のインタビューによれば、当時の軍事政権は『デビルクイーン』をふざけた映画と認識し、まじめにチェックをしなかったらしい。
たしかにマリファナもドラァグたちも、ケバケバしい色彩ゆえに現実離れしている。ブラジル映画が世界的に注目を浴びたのは50年代から60年代にかけての「シネマ・ノヴァ」と分類される作品群で、その特徴は都市部のスラム街で暮らす貧困層だったり、旱魃で流浪する貧困層だったり、痛々しい現実を捉えるリアリズムにあった。一目瞭然で政権批判の意図が見てとれたので、それらと比べたら『デビルクイーン』はお遊びのように感じられたのだろう。
だけど、カンヌ映画祭から出品要請がきたことで政府は焦りだしたという。もともとはコンペティション部門に出す予定だったが、「ゲイの要素が強く、ブラジルの対外イメージを外する」という理由で許可が降りず、最終的に監督週間(コンペティション部門と並行して開催される独立部門)での上映になったと名古屋外国語大学教授・鈴木茂先生は記している。
実際、この映画は軍事政権によって強引に経済成長を進めたブラジルの闇が描かれまくっているわけで、検閲の対象となってもおかしくない雰囲気に満ち満ちている。そういう意味では完成までこぎつけ、しかも、外国で上映することに成功したというのは奇跡のような話である。
しかし、どうしてゲイのギャングなんて発想が生まれたのだろう。少なくとも映画史的にギャングやヤクザといった闇社会は男たちのもので、そこに出てくる女は情婦や売春婦といった紋切り型が採用されがち。そこに性的マイノリティな人たちが出てくるとしても、脇役扱いがいいところ。主役になるなんて前代未聞ではなかろうか。
そのことを確かめたくてパンフレットを買ったわけなのだけど、答えはすぐにわかった。なんとブラジルには1930年代に活躍した伝説的なゲイのギャング「マダム・サタン」という人物がいたのである!
調べたら、英語版のWikipediaには記事があった。
真偽のほどは不明だけど、ざっと中身を読む限り、元奴隷の家に生まれ、読み書きができず、同性愛者ということで当時のブラジル社会で迫害される要素を幾つも持っていたようだ。そういう自分を再定義するためドラァグとなり、反社会的に生きていくことを決めたんだとか。
その上、カポエラの達人でめちゃくちゃ強かったらしい。警棒を持った警察と素手で戦った逸話がいくつも残されている。24人を相手にし、7人を重症に追い込み、2人の腕を折り、2人の肝臓を破壊した挙句、逃げおおせたというからヤンキー漫画も顔負けだ。
芸術を愛し、自らを「マダム・サタン」と名乗っていたのもセシル・B・デミルの同名セックス・コメディ映画を元ネタにしていたというから、聞けば聞くほど魅力的に感じられてくる。
そうは言っても闇社会の人間。殺人罪で刑務所に27年も服役していることは忘れてはいけない。カッコいいと惹かれながらも賞賛だけを送るというのも違う気がする。その絶妙なバランスにおいても、『デビルクイーン』のドリフみたな破茶滅茶なオチは秀逸だった。
また、この作品は音楽も素晴らしかった。ブラジルの歌なんて、わたしは『イパネマの娘』ぐらいしか知らないし、村上春樹の小説『国境の南、太陽の西』でナット・キング・コールって凄いんだぁと思ったぐらいでしかないけれど、聞いてて気持ちがよかった。
特に、物語をかき回す青年の愛人である女性がナイトクラブで堂々と歌い上げる感じが堪らなかった。煌びやかな衣装に身を包み、自信満々な姿は暗がりに生きるマイノリティたちの対極に致していて、その後、ドラァグたちにさらわれ、こっぽどく痛めつけられる未来がありありと予言されていた。
パンフレットに載っていたブラジル音楽愛好家・Willie Whopperさんの解説によれば、それはボサノヴァの定番"Una Mujer(ある女)"という曲で、南米の大ヒットソングらしい。やっぱり、マジョリティを象徴していたんだとわかって腑に落ちた。
驚きなのはマイノリティが主体の映画で、憎まれ役となることが宿命づけられている華やかな女を演じたオデッチ・ララは当時、監督と結婚していたそうだ。様々なメディアで活躍した女優だったというから、作品の伝えたいメッセージに合致している存在。でも、普通はそんな打倒されるべきアイコンとして出たかなんてないわけで、出演をOKしたというのはかっこいい。
ちなみにポスターのど真ん中にいる女性がその人。
いやはや、とんでもない映画を見ることができて、満足でした!
マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大募集!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
見てほしい映画、
社会に対する憤り、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!!
ブルースカイ始めました。
いまはひたすら孤独で退屈なので、やっている方いたら、ぜひぜひこちらでもつながりましょう!