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【映画感想文】いま世界で最も変態な監督が実話っぽいフィクションを作り上げる狂気がヤバい! - 『チャイコフスキーの妻』監督:キリル・セレブレニコフ

 チャイコフスキーはゲイだったのに妻がいた。二人の結婚生活は早々に破綻し、別居。チャイコフスキーは離婚を要求し続けていたけれど、妻は最後まで応じなかった。

 この事実を知った映画監督キリル・セレブレニコフは「チャイコフスキーの妻」にこだわり続けた女性に興味が湧いたらしい。なにが彼女を突き動かしていたのか。ほとんど資料が残されていないにもかかわらず、そこに光を当てようとして作られた映画が『チャイコフスキーの妻』である。だから、こんなタイトルなのにほとんどがフィクションなので面白い。

 個人的にはキリル・セレブレニコフという映画監督にけっこう注目している。アリ・アスターやヨルゴス・ランティモスなど変態的な作り手が活躍しまくる現代において、一際イカれているのがキリル・セレブレニコフなんじゃなかろうかと勝手に思っている。

 この人は演劇出身ということもあり、演出の方針は舞台表現のようなのだけど、それをどう撮るかってところにめちゃくちゃ特徴がある。端的に言えば、時空を歪めてしまうのだ。

 カメラが寄ったり、パンしたり、映さない部分ができている短い時間を利用して、舞台となる空間のセットを大きく転換することを通して、シームレスに時間の経過や場所の移動を実現させてしまう技術がダントツにうまい。

 これはテオ・アンゲロプロスが『旅芸人の記録』で確立した離れ技に通じる。1カット内に世代交代が起きるほどの時間経過を閉じ込めてみせたのだ。

 キリル・セレブレニコフはそれを引き継ぎ、さらに現実と妄想を混ぜ合わせるという独自の発展を遂げているのでゾクゾクする。

 前作、『インフル病みのペトロフ家』に魅了されたわたしはキリル・セレブレニコフの新作をずっと待っていた。家族中がインフルエンザにかかり、高熱にうなされながら薬を求めて、街を彷徨う漫画家・ペトロフが主人公。彼はだんだん、いま自分がなにをしているのかわからなくなっていき、気づけば政治家を殺したり、幼い頃に体験した性的な喜びだったり、現実と妄想の狭間に迷い込んでいく。ゲホッ、ゲホッ。咳をしながら。

 この作品は素晴らし過ぎた。ただ、日本で上映されるタイミングが2022年春。ウクライナ侵攻に伴う経済制裁などの流れもあり、ロシア映画の風向きは悪かった。結果、宣伝も評判も控えめなものになってしまって、キリル・セレブレニコフという才能が知れ渡ることはなかった。

 そんな中、待望の新作は『チャイコフスキーの妻』という歴史ものっぽい真面目なタイトルだったので驚いた。パンクで危なっかしい作風だったのに、なにがあったんだろう? と。『白鳥の湖』の有名な曲が流れる予告編にしても、急に、一般向けな内容になっているのではないかと訝った。

 でも、実際に見てみると、なんてことはなかった。ただのキリル・セレブレニコフだった笑

 まぁ、変態だった。とにかく変態だった。

 大筋はチャイコフスキーに妻がいたという史実に基づき、残されている関係者の記述などをもとにしたエピソードで構成されている。ただ、それはすべてチャイコフスキー側の記録であり、妻自身の思いについて、我々は想像するしかない。そのことを逆手に取り、キリル・セレブレニコフは好き放題やっていた。

 わかりやすくインパクトが大きかったのはチャイコフスキーの友人という設定になっているドラァグな人物に愚痴を言いにいくシーン。彼女は妻にチャイコフスキーは特殊な人間だから、あんなやつのことは忘れなさいと助言する。そして、隣の部屋に誘導し、あんたのために素敵な男を用意してあげたからと言った直後、扉から種々様々なイケメンが入ってくる。

 品定めをするため、まずは顔をチェックして、身体を調べるため服を脱ぐように指示を出す。

「パンツも脱ぎますか?」

「当たり前でしょ!」

 あっと言う間にスタイル抜群の全裸男性がずらっと並び、それぞれが自己アピールを始める。中でも最高なのは逆立ちをして動くやつ。全身は天地逆転していても、男性器の方向だけは変わることのない光景が映し出される。考えてみれば当たり前だけど、これまで一度も見たことのない様子が不気味にコミカルだった。

 一応、妻はその場にいる男たちをすべて味わうのだけど、だからって、チャイコフスキーの妻を辞めるつもりはない。お金がないから弁護士の愛人となり、好きでもない男に抱かれながら、心から愛する夫に妻として認めてもらうための戦いに邁進していく。この歪みに歪んだ頑なさが堪らなかった。

 エンドロールが流れる直前、実際のチャイコフスキーと妻は別居してからほとんど会っていなかったという事実が示される。なので、この映画のほとんどは史実に基づいていないということが説明されるわけなのだけど、これがちょっと不思議に思われた。

 そりゃ、あまりに変態的な描写が多かったし、葬式で遺体として眠るチャイコフスキーが妻がきたと知るや否や起き上がってたし、本当じゃないことがたくさんあるのは承知していた。でも、そういう境遇にあったのなら、精神的なレベルでこんな風に狂ったとしてもおかしくはないという説得力に満ちていたので、これはこれであり得る出来事としてわたしは受容してしまっていた。

 だから、最後にこの映画はフィクションであると言われたとき、そうだったのかと妙な驚きに打たれてしまった。というのも、明らかなフィクションを現実の出来事として受け入れていた自分自身に気づかされたから。

 キリル・セレブレニコフという監督の映画はこういうところがある。見ている側の認知に影響を与えてくるのだ。改めて、この人がこれからどういう映画を作っていくのか興味が湧いた!




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