【料理エッセイ】沖縄ピエロはビッグマックの達人
先日、部屋の模様替えをした。長いこと、ちゃぶ台と座椅子で過ごしていたのだけれど、だんだん腰が痛くなってきて、ダイニングテーブルを導入することに決めた。
狭い我が家にテーブルとイスは威圧感があるだろうと思っていたが、それはそれでいいじゃないかと心が変わって、ニトリのECサイトでアウトレット品を探した。
返品されたものなのか、店頭に見本で出していたものなのか、事情こそわからないけれど、ちょっと傷がついた商品が定価の数割引きで買えるため、けっこう重宝している。今回も普通に買ったら三〜四万かかるところ、一〜二万で済ませることができた。ありがたや、ありがたや。
で、大きなダンボールがどかどかと送られてきたのだが、組み立てたり、ゴミをまとめたり、家具を動かしたり、やることがたくさんあって、その日はすっかり疲れ果ててしまった。
なんだか、夕飯を作る気にはなれなかったし、かと言って外食に行くのも億劫だし、とにかくぐうたらしたかった。
そしたら、BGM用に再生していたouTubeからおあつらえ向きの広告が流れてきた。夏木マリがこってり、
「Uber Eatsでいーんじゃない?」
と、言っていた。
なんだか、広告代理店の戦略にまんまとハマったようで癪だった。とはいえ、たしかにその通りなので、悔しさを覚えつつ久しぶりに出前アプリを立ち上げた。
コロナ禍に入る前、まだまだ利用者が少なかった頃は配達料が安かったのでけっこう使ったものだけど、最近は全然使わなくなっていた。ラインナップを眺めてみれば、なるほど、美味しそうなお店がけっこう増えていた。
ただ、どれもこれも決め手に欠けるような気がして、結局は値段とのバランスで冒険する気になれなくて、マクドナルドを選んでいた。
同居しているパートナーと向かい合わせに座って、ポテトを食べつつ、コーラを飲みつつ、ハンバーガーを頬張りつつしていたら、学生時代を思い出した。
わたしたちは中学時代の同級生で、放課後、マクドナルドであれこれ買って、駅ビルの展望スペースで夕方の空腹を満たしながら、よしなしごとを語り合っていた。
あれから十五年近く経ってしまった。当時はデフレのど真ん中。
「マックなんて、百円で買える商品ばかりだったのにねー」
そんな風にノスタルジアを口にしたのがきっかけで、むかしのことがいろいろと思い出された。
「沖縄ピエロっていたよね」
「え、なにそれ」
「いや、そう名づけたのは後なんだけど、ほら、うちらが座っていた席の隣に、おじいさんとおばあさんがいたでしよ」
「ああ。いたね。いつもビッグマックを食べていた」
「そうそう。あのおじいさん、おばあさんに向かって、俺は沖縄のドンなんだぞって、息巻いていたでしょ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。俺は沖縄の復興を担ってきたんだぞ。沖縄で俺に逆らうやつはいない。俺が沖縄行ったら凄いんだから。ってギャアギャア騒いで、合間合間にビッグマックを食べていたでしょ。その姿がひょうきんで、沖縄ピエロって呼ぶことにしたの」
「ふーん。ヤバそうな人たちとは思っていたから、見ないようにしていたけど、そんなこと話してたんだ」
「でね、あるとき、沖縄ピエロの凄さに気がついたの。なんだと思う?」
「まさか本当に沖縄の有力者だったとか」
「さあ。それはちょっとわかんない。そうじゃなくて、めちゃくちゃビッグマックを綺麗に食べているってことなんだよ」
ちょうど、わたしたちもビッグマックを食べていたのだけれど、テーブルの上を見てみたら、細かいレタスがボロボロと散らばり、指先はマヨネーズソースで汚れ、お世辞にも綺麗とは言えない状態だった。
「これ、綺麗に食べるなんてできるの?」
「沖縄ピエロはできてたよ」
「でも、どうやって」
「なんかね、上下を逆さにして食べてたの」
わたしたちはおもむろにつかんでいたハンバーガーを逆さまにして、残りをモグモグ食べ始めた。すると、見事、綺麗に食べることができた。
「もしかして、沖縄ピエロって凄い人だったんじゃないの?」
「あり得るよね」
少なくとも、ビッグマックの達人であることだけは間違いなかった。
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