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【ショートショート】息子の帰還 (2,700文字)

「あれ? あんた、どうしたの?」

 春樹が帰ってきた。就職してからというもの、年末年始もお盆も顔を見せなくなり、ついにはLINEの既読もつかなくなっていたので心配していた。電話をかけても出ないし、手紙を送っても返事がなかった。万が一を考えて、一人で暮らす東京の部屋まで様子を見に行こうかと本気で考えていた矢先だった。

「元気なわけ?」

「……」

 なにも話してくれなかった。目も合わせてくれなかった。高校生になった頃からずっとこんな調子だった。

 東京の映像系の専門学校に行きたいと頼んできたときは驚いた。たしかに暇さえあればYouTubeで動画ばかり見ていると思ってはいたけど、まさか、そういう道に憧れていたとは。学費やら生活費やら、正直、わたし一人の稼ぎではめちゃくちゃしんどかったけれど、なにを考えているのかわからない春樹のやる気が嬉しくて、

「真面目に勉強するんだよ。年末年始とお盆にはちゃんと帰ってくるんだよ。それが約束できるなら、母ちゃん、頑張って働くからお金なんとかしてあげるよ」

 と、条件付きでオーケーしてあげた。春樹はうなずき、約束すると言った。

 一応、在学中はちゃんと帰ってきていた。でも、相変わらずの無口っぷりで、どんな勉強をしているのか、友だちはいるのか、彼女とかいたりするのか、なにも教えてはくれなかった。なんなら、ちゃんとご飯を食べているのか聞いても釈然としない返事ばかりで、どんどん痩せていく姿に不安を覚えた。

 卒業直前、仕事は見つかったのか聞いたら、

「まあね」

 と、気だるそうに答えたのが最後のやりとりだった。

 あれから三年、すっかり音信不通だったので、こうして再会できただけでも満足しなくてはいけないのかもしれない。

「とりあえず、ご飯にしましょ。ビール飲む?」

「……うん」

 発泡酒を渡し、ダイニングテーブルに常備菜をひとまず並べた。きゅうりのぬか漬け、ポテトサラダ、小松菜の煮浸し。ソーセージをレンジでチンして、ハムエッグに、ポテトチップに、エリンギのバター炒めを出してやった。

 春樹は黙々と食べた。お腹は空いているらしい。久々に一人じゃない食卓は会話がなくても賑やかで、フライパンを振るのがいつになく楽しかった。

「冷凍だけど、ご飯はいる?」

「……ほしい」

「味噌汁は?」

「……お願い」

 ささっと生姜焼き定食を作った。猛烈な勢いで平らげてしまったので、少しだけ、不安になった。

「ねえ。もしかして、お金に困ってる?」

「……なんで?」

「いや、なんとなく」

「……」

 余計なことを言ってしまったかもしれない。せっかく帰ってきてくれたというのに、これじゃあ、また疎遠になってしまうかも。たちまち気まずい空気が立ち込めた。

 手持ち無沙汰からわたしもハイボールを口にした。箸を持ち、きゅうりをバリバリ噛んだ。ポテトチップスをパリパリ砕いた。小松菜がシャキシャキ鳴った。虚しい音が二人の間に響き渡った。

 やがて、先に口を開いたのは春樹の方だった。

「……金ならあるよ」

「そう。じゃあ、仕事は順調なのね?」

「うーん。前に話したやつは辞めちゃった」

「え!」

「ブラックだったんだよ。メンタルやられて、続けてたら自殺してたかも」

「なにそれ。大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないに決まってんじゃん。そうじゃなかったら辞めてないから!」

「ごめん。そうだよね。変なこと聞いて悪かったよ」

「……別にいいよ。もう終わったことだし」

「それでいまはどうしているの?」

「どうって?」

「ほら、仕事とか」

「ああ。適当にやってるよ」

「適当って?」

「適当は適当。いまどき、ネットを探せばいくらでも仕事は転がっているから、適当に条件のいいやつをこなしているんだよ。だから、お金には困ってない」

「なら、いいんだけど」

 そして、また、床から天井まで沈黙で満たされてしまった。

 食後、進んで食器を流しに運ぶ息子を見て、たぶん、上手いことやっているのだろうとわたしは自分を納得させた。もう子どもじゃないんだし、あれこれ詮索をしてもどうせウザがられる。泣きついてきたわけじゃないんだし、こちらが先回りで気にするだけ意味がない。親としてできる限りをすればいいのだ。

 なんとか切り替えて、

「ねえ、泊まっていくでしょ?」

 と、尋ねてみた。息子は軽く首を縦に振った。

「だったら、お風呂入っちゃって。布団用意しておくから。押入れの中で長いこと放置しているでしょ。埃、吸っておいてあげるよ」

「……ありがとう」

 そう。これでいい。きっと毎日が忙しく、帰省する余裕なんてなかったのだろう。LINEをチェックする暇もなく、でも、こうして帰還したということはわたしのことを忘れていたわけじゃない。そのことをまずは尊ばなければバチが当たるというものだ。

 布団クリーナーをかけながら、息子が家にいる幸せをなにがなんでも噛み締めつつ、明日は旅館みたいに豪華な朝食を作ってやるぞとウキウキ心を弾ませ、落ち着かないまま眠りについた。

 しかし、目覚めてみると、かつての子ども部屋で寝ていたはずの息子は綺麗さっぱり姿を消していた。背負っていたリュックもなくて、すべてが幻であったかのようだった。

 なにがなんだか。戸惑いに、途方に暮れていたところ、固定電話がジリリリ、ジリリリ、けたたましく空気を震わせた。

 怖かった。出たくなかった。

 それでも、いくら無視を決め込んでも、電話はしつこくジリリリ、ジリリリと鳴り続けた。

「はい。斉藤です」

 仕方なく、受話器をあげたとき、向こうから見知らぬ若い男性の声が、

「もしもし。世田谷警察署捜査第一課の坂田と申します。そちら斉藤春樹さんのご実家で間違いないですか?」

 と、焦り気味に聞いてきた。

「ええ。まあ」

「なるほど。息子さん、いまどちらにいるかご存知ですか?」

「すみませんけど、突然、なんなんですか?」

「落ち着いて聞いてください。春樹さんに逮捕状が出ています」

「え! どうして?」

「闇バイトってご存知ですか? ネット上で仲間を募り、各地で強盗をしているグループがいるのですが、目撃証言などから春樹さんが運転役として関わっていたことが判明したんです。そして、その足跡を辿ったところ、ご実家のある富山行きの新幹線に乗車していたことがわかりました。改めてお尋ねします。息子さん、いまどちらにいるかご存知なんじゃないですか?」

 そのとき、玄関のドアがガチャっと開けられる音が聞こえた。わたしは警察に息子がそんなことするはずありませんと言うことも、受話器を放り出して駆け出すことも、なにもできないまま、早くお家に帰りたいと子どもみたいなことを思っていた。

(了)




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