【映画感想文】そろそろ冷静にどういう映画だったのかを考えてみよう - 『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』監督: 西浦正記
夏休み用の映画として公開された『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』を見てきた。『逃走中』は幅広い年齢層に人気なバラエティ番組で、リアリティショーの要素も強いからどのように映画化するのだろうと気になっていた。
かなり難しい仕事であることは容易に想像できる。特に『逃走中』は普段のスペシャル放送でも、豪華かつ派手な演出をふんだんに披露してきた。最近ではフジテレビの年末年越し番組を担当するようにもなり、ファンはすでに映画並みの規模に見慣れている。
また、ゲーム化されたり、アニメ化されたり、様々にメディアミックスする中で、『逃走中』がテレビ番組としてではなく、フィクションな世界のリアルな出来事として受け入れられているという組み立て方も既に為されている。
たぶん、だからこそ、映画でしかできないこととして現代劇に舵を切ったのだろう。『コード・ブルー』で知られる西浦正記監督が起用されている理由はそのためなんじゃなかろうか。
その瞬間から『逃走中』をメタ的に扱う必要が出てくる。つまり、わたしたちの生活の延長線上で物語を組み立てるので、『逃走中』はテレビ番組として存在することになる。こうなると『逃走中』に参加している芸能人は芸能人ということになってしまうのでややこしい。
どういうことかと言うと、普通、ドラマに出演している役者は一般人を演じている。現実では芸能人という職業であっても、そのことを作品中で指摘されることはない。でも、『逃走中』がテレビ番組として放送されている設定のドラマにおいて、それに出演する人たちはその世界観でも芸能人と見做される。
これが『推しの子』みたいに主人公たちが芸能人として成長していく話であれば、役者は別人格を演じることになるので問題はないのだけれど、日本のバラエティ番組の場合、出演者は素であるという前提があるので人格を分けることができない。故に、もし、普通の『逃走中』で現代劇をやろうとしたら、フェイクドキュメンタリーみたいな作りになってしまう。
この複雑な状況を回避するためにはフィクション内の一般人が参加するという設定を敷かなくてはいけない。それが一般人も参加できる【逃走中 ~MISSION IN TOKYO ~開催決定! 賞金総額1億円オーバー!】という大枠につながったのだろう。
そして、これによって、三つの軸を中心に脚本を練っていくことが可能になったと予想される。
一つ目は逃走中の特別な大会に参加する一般人を主役とした物語である。現代劇にする場合、当然、これが全体の中心になってくる。
今回は集客の面も考慮したのか、高校時代にリレーチームを組んでいた6人ということで、JO1から3人、FANTASTICSから3人を主なキャストとして配役。いわば夢のような企画ユニットであり、結果的にアイドル映画のテイストが作品を覆う形になっていた。
二つ目は作品内でメタ的に『逃走中』を番組として扱うことが可能なので、芸能人やインフルエンサーをその人として出演させることができるというお遊び要素だ。
冒頭、いきなりHIKAKINが登場するし、とろサーモン久保田さんや三四郎の小宮さん、錦鯉の長谷川さん、ダイアンの津田さん、安田大サーカスのクロちゃんなどがお馴染みのキャラやギャグを披露していた。他にもバラエティで目にするタレントだったり、ガチャピンやぐんまちゃん、出世大名家康くんがちょくちょく出てきて楽しかった。
三つ目はわざわざ映画でやる意味を模索する部分で、巨大なスクリーンや上映時間に見合うだけのカタルシスをどう補うかである。これはホラーの手法を採用していた。逃走中のイベントを闇の組織に乗っ取られ、命をかけたデスゲームが始まるというもの。その困難を乗り越える過程で登場人物たちは仲間とぶつかったり、支え合ったり、精神的に成長していく。
従って、 『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』は大きく言って、①アイドル ②お遊び ③ホラーの三要素で構成されていたと分析できる。そして、この映画を評価するかは、この三要素の組み合わせをどう解釈するか次第なのである。
一般的にこれらの要素はどれも好き嫌いが分かれるものである。アイドルについてはファンは嬉しいけど、そうじゃない層は興味がない。お遊びに笑う人もいれば、冷めると感じる人もいる。特にホラーはワクワクするか、怯えてしまうかで意見は真っ二つになるだろう。
ある意味、どの要素も足し算で考えればターゲット層の拡大につながるわけで、ヒットの方程式には適っているのかもしれない。ただ、鑑賞後の感想はどうしても辛いものになってしまう。三要素とも好きという人は少数だからだ。不満を覚えた要素がついつい気になってしまう。
プロスペクト理論によれば、「1万円得られる喜び」と「1万円失う痛み」は同じものではなく、「1万円失う痛み」の方が2倍以上大きいと言われている。要素が三つしかない以上、数学的に考えて、一つでも苦手な要素があったら「不満だった」という感想になってしまうわけで、実のところ、『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』は評価面でかなりのハンデを背負った状態で公開されていたのだ。
とりわけ、ホラー要素は賛否をわけることになったと思う。映画として成立させるための演出だから力が入っていたと推測されるも、これがかなり怖かった。殺人ハンターの口が広く裂けるCGのクオリティは高く、子どもが見たら泣いちゃうかも。
作り手が「失敗した」と後悔している箇所があるとしたら、おそらく、この部分だろう。というのも、『逃走中』は子どもに人気のコンテンツで、夏休み期間に公開されたのもそれを受けてのものだから、基本は子どもたちに楽しんでもらいたかったはずだから。そのことはクライマックスで活躍するのが少年だったり、戦隊ものや仮面ライダーを彷彿とさせる戦闘シーンを用意していたことからも伝わってくる。「怖過ぎる」と言われることは避けたかったんじゃなかろうか。
一方で、この予想外の「怖過ぎる」にわたしは可能性を感じた。Netflixで『イカゲーム』が世界的に人気となったけれど、そういうものとして『逃走中』は発展していくことができるような気がした。改めてだけど、制限時間の中、サングラスの黒スーツに追いかけられるのってめちゃくちゃ怖い。そういう原体験を思い出すことができた。
20年前、たまたま深夜のテレビを見ていて、第一回の『逃走中』が流れてきたときの興奮が懐かしい。舞台は早朝の渋谷。ゲリラ撮影されたとしか思えない臨場感でこっそり鬼ごっこをしている感じがワクワクした。『関口宏の東京フレンドパーク』や『SASUKE』以上に自分も参加してみたいとブラウン管を前のめりで見たものだ。
とりわけ、第二回のDONDOKODON平畠さんが地味過ぎて、ハンターとすれ違っても全然発見されないまま、逃げ切りに成功したくだりは堪らなく面白かった。目立ってなんぼの芸能界で目立たないことが強みになる画期的な番組だなぁと小6ながらに心を打たれた。大袈裟かもしれないがバラエティ史における革命だと思った。
その後、番組の人気が高まり、世間からの注目が集まるにつれて、当社のようなゲリラっぽい撮影はできなくなってしまったのかもしれないが、個人的には『逃走中』の魅力はその革命性にあると信じ続けている。そういう意味では映画化を通し、バラエティ番組としてさらなる発展を遂げられることを切に願っている。
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