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【映画感想文】別に映画館で見なくてもと思ってたけど、誘われて行ったらビックリ! 空腹を通して、満たされない人生に対するハングリーを描く実存主義の映画だった! 『劇映画 孤独のグルメ』監督:松重豊

 ドラマ『孤独のグルメ』はシーズン1から見ている。たしか、あれはジムに通っていた頃で、ランニングマシンの付属テレビに映し出された『孤独のグルメ』を見ながら、帰りになにを食べようかと考えていたことを思い出す。ダイエットの邪魔でしかなかった笑

 その後、わたしはすぐにジムをサボってしまったけれど、井之頭五郎は12年以上も美味しいものを孤独に食べ続けているのだから驚きだ。

 みんな、知っての通り、不思議な番組だよね。メインは食事シーンだから前半の劇部分は不要っちゃ不要なんだけど、主演の松重豊の自然な演技がやたら魅力的。ストーリー的には面白くないけど、つい、飛ばさず見てしまう。

 そういう意味で劇場版が作られると聞いたとき、別にあれを映画館で見なくてもと思ったのが正直なところ。ただ、一緒に暮らすパートナーが珍しく観たいと言っていたので、そもそも好きではあるからついて行くことに。

 するとびっくり。めちゃくちゃ映画で面白かった。

 主なストーリーに関しては基本はこれまでと一緒。いい意味であってもなくてもいいような内容。井之頭五郎はかつてフランスで同棲していた恋人の娘から頼まれて、おじいちゃんの思い出の味である究極のスープを探すことになる。まずはおじいちゃんの出身地である五島列島へ向かい、台風に巻き込まれて韓国に流され、擦った揉んだの末、東京のラーメン屋に仕上げてもらうというもの。

 ただ、演出が凄かった。

 死にかけているおじいちゃんが求めている究極のスープ。これは幼少期に母親が作ってくれた家庭料理でご馳走でもなんでもない。パリ在住のいかにも金持ちそうな人だから、いくらでも美味しいものは食べられるはずなのに、最期、口に入れたいのは望郷の念。

 このとき、井之頭五郎の名フレーズ「腹が……減った」は文字通りの空腹感と満たされない人生に対する飢餓感として立ち現れてくる。そのことが鮮やかに伝わってくる撮り方になっていて、これはどうも単なるテレビドラマの映画化ではないらしいぞと心を鷲掴みにされてしまった。

 全編、ハングリーという言葉が持つ二つの意味が重なり続けていた。元恋人の娘という存在は井之頭五郎にとってあり得たかもしれないもう一つの現実だし、遭難して流れ着いた韓国の島はDVから逃げてきた女性たちが助け合って暮らすシェルター的な空間だし、東京のラーメン屋もコロナ禍のせいで経営が破綻した苦悩を抱えていた。なんでこんなことに?

 誰もが自分ではどうしようもない流れに流され、いまを生きている。それでも生きていくしかないので飯を食う。飯を食ったら頑張れる。松重豊という人は監督として、そういう人間の根源的な生命力と向き合っていた。

 まるでチャップリンのようだった。監督も脚本も主演も担当しているという点でも、作中のめちゃくちゃな振る舞いという点でも。

 なにせ、五島列島で隣の島に行きたいけれど、フェリーが終わっていると判明したとき、いかにもいいこと思いついたみたいな顔でパドルボードを勝手に拝借。スーツ姿のまま海に漕ぎ出していってしまうんだよ笑

 直後、台風に巻き込まれ、目を覚ましたら謎の島。歩き回ったら鍋セットがあったので、その辺の貝とかキノコとか適当にぶち込んで、即興の汁をうまいうまいと堪能する。案の定、それは毒キノコで泡吹いて倒れる。これはもう古典的なコメディを意図的にやっている!

 ユ・ジェミョンと共演しているシーンもチャップリンだった。うっかり不法入国してしまった井之頭五郎に手続をさせるため、港まで迎えにきた入国審査官を演じていたのだが、約束の場所になぜか井之頭はいない。

「おーい」

 近くの店から声がする。

「腹が減ってしまって」

 まったくなにを考えているんだか。呆れつつも、注文してしまったと言われたら食べてくださいと言うしかない。しかし、側で様子を見ていたら、やたら美味そうに食うじゃないか……。名優同士の駆け引きは最高に笑えた。

 注目すべきは動きで笑いをとっていること。セリフはあくまで添え物。なんなら一言発していない場面も多かった。その辺のこだわりに役者が監督しているだけあるなぁと納得させられる。

 とにかく役者の目線を信用している映画だった。フレームの外を見るとき、すぐにカットバックを入れるのではなく、登場人物のリアクションを長めに残す編集が印象的だった。そして、それは理屈としても正しい。なぜなら感動は対象物にあるのではなく、それを見聞きした人間の中で生まれるものだから。

 美しい風景を美しい風景として提示されても感動はない。これに涙を流すに足る経験を積んできた人の表情からわたしたちは間接的に感動を認識するのである。従って、本来、映画におけるカメラはもっと役者のリアクションにフォーカスを当てるべきなのだが、観客に伝わらないんじゃないかという不安から、つい全部を映したくなってしまう。特に映画を撮り慣れていない監督ほど陥りがちなミスなのだけど、監督・松重豊にそんな恐れは微塵も感じられなかった。

 なんでも、もともと映画監督を志望していたそうだ。九州から大学進学のために上京し、下北沢珉亭のバイト仲間として出会った甲本ヒロトを主演に自主制作映画を撮っていたというから半端ない! 今回、テーマソングをクロマニヨンズが手がけているのも40年来の友情によるものなのだ。

 スペシャル対談の中で甲本ヒロトは「腹が……減った」について、こんな風に言っていた。

もちろん貧乏でね、お腹が空いたのもハングリーですよ。それはもちろんそう。でも、それ以外のハングリーもあるじゃない? それはその、例えば「ロックンロールやってます」ハングリー精神とか言って、エレキギターぶら下げててさ、金持ちじゃん。エレキギター持ってる、地球儀持ってさ、この地球上でエレキギター買えるやつなんてほんと一握りですよ。本当に大変なんだから、色んなところで。そんな恵まれた連中がさ、ハングリーってふざけんなですよ。だけど、そうじゃないんだって。ご飯食べれても、着る物あっても家があっても、なんか足りねぇんだよ! 飢餓感? それがなんかね、ロックンロールのハングリーだと思う。

 飽食の国で「腹が……減った」と口にする欺瞞は重々承知の上で、それでも、「腹が……減った」と口にするしかねえんだよという生きることの難しさが表現の原動力になっている。他の誰かと比べた相対的なものではない。あくまで自分ひとりの絶対的な感覚。それが「腹が……減った」なのだ。

 実際、お腹が空いたかなんて、どんなに親しい相手であってもわからない。久々に実家へ帰ると「お腹空いてるでしょ?」と信じられない量のご馳走が出てきて戸惑うというのはよくある話。これ、本当に一人前ですか? と聞きたくなるようなカフェランチもしばしば。そこには正解も間違いもない。空腹はわたしだけが知っているわたし自身のことである。

 こういう視点から空腹を捉えてみると、恋愛や仕事の悩み、いや、人生の悩みに通じてくる。なるほど、世の中にはもっとつらい状況の人がいるとは思うよ。ただ、わたしが満ち足りていないのも本当なの!そのハングリーを否定しないで。

 まさか『孤独のグルメ』を見て、実存を考えさせられるとは。キルケゴールにはじまり、ニーチェ、サルトル、カミュと紡がれてきた思想的結実を井之頭五郎が美味しそうに食べていた。

 劇場を後にし、「腹が……減った」と思いながら街を歩ける幸せ。そうか。食べるって、実存を満たす行為だったのだと気づかされた。




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