【映画感想文】友だちを買うなんて……と思ったけど、ぶっちゃけ、買うしかないんだよね - 『ロボット・ドリームズ』監督:パブロ・ベルヘル
先日鑑賞した『ゴンドラ』に続き、セリフない系の映画が好きなので、セリフなしアニメ『ロボット・ドリームズ』を見てきた。
原作はグラフィック・ノベルと言われるジャンルの本らしく、ストーリー重視の漫画という雰囲気。日本にはあまり馴染みがないけれど、調べると名作は多々あるようで、いつかちゃんと読んでいきたい。
映画は音楽に相当力を入れていて、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの『セプテンバー』がテーマ曲のように繰り返し流れていた。物語の内容にも合っているし、歌詞に出てくる9月21日は監督の娘の誕生日だし、運命的に選曲したらしい。
また、舞台がむかしのニューヨークなので、ワールドトレードセンターが背景に写っていることも関係してくる。予期せぬ別れからレジリエンス(回復)に至るまでの過程をダンスミュージックが優しく包み込んでいた。
ストーリーはシンプル。
擬人化した動物たちが生活しているニューヨーク。一人暮らしのドッグは毎晩、テレビを見ながら、冷凍のチーズマカロニを食べるだけの日々を送っている。そんなとき、通販番組で友だちロボットが売っていたので購入。何事にも好奇心を示してくれるロボットと楽しい時間を一緒に過ごす。
だが、夏の終わりに海へ行ったところ、ロボットは体を動かせなくなって浜辺に置いていかざるを得なくなる。翌日、ドッグが工具箱片手に戻ってくるも、タイミング悪くビーチは閉鎖。来年の6月まで誰も立ち入ることができなくなってしまう。
また戻ってくるよと誓うドッグ。身動きも取れないまま、じーっと待ち続けるしかないロボットは夢を見る。あっさり動けるようになって帰宅する夢。偶然、助けられて戻ってみるとドッグが別のロボットと暮らしているところに出くわしてしまう夢。
夢、夢、夢。
二人は無事に再会できるのか?
会えない時間の残酷さが繊細に描かれていて、後半、共感から泣けてしまって仕方なかった。そうだよなぁと納得しつつ、他に方法はなかったのだろうかと考えずにはいられなかった。
いくら互いに信頼し合っていたとしても、いざ離れ離れになってしまうとなにが起こるかわからない。
村上春樹の短編小説『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』の中にもそんなエピソードが出てくる。
ある日、少年と少女は道ですれ違う。すぐに相手が自分にとって100%の恋人であると悟って、二人は巡り会うことになるのだが、果たして、こんなにあっさり100%の恋人が見つかるものだろうか? と疑問を抱いてしまう。そこで自分たちが100%の恋人であることを確かめるため、再び巡り会うことができるかテストすべく、二人はその場で別れてしまう。すると、運命のイタズラで二人は病気になり、記憶を失い、十四年の月日が経ってしまう。
郷ひろみは『よろしく哀愁』で「会えない時間が愛育てるのさ」と言っていたけど、それもさすがに限度があって、特に相手が生きているのか、死んでいるのかわからないとなったら、なかなか難しいものがある。
特に映画は時間を扱う芸術なので、会えないということのつらい面にフォーカスを当ててきた。ソフィア・ローレン主演の『ひまわり』にしても、トム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』にしても、ようやく再会できたと思ったら相手には別の家族がいて……みたいな苦しさが堪らなかった。それはなにも裏切りじゃない。そのことはわかっているけど、でも、あんまりじゃないかと胸に込み上げてくるものがある。
古典だと待たせる側も待つ側も根気が強く、『オデュッセイア』でオデュッセウスを待つペネロペイアは貞淑さの象徴となっている。でも、逆に言えば、それが神話となるぐらいだから現実の人間にとっていかにも難しいことであるかがよくわかる。
故に、ドッグとロボットの別れもめちゃくちゃもどかしい。理想ではひたすら待ち続けてほしいけど、そもそも孤独がつらくてロボットを買ったドッグなんだもん。一人でいることに耐えられるはずがない。
このドッグ。なんというか、嘘みたいにドン臭くて、見ていた友だちがいない理由がよくわかる。もっと上手にやればいいのにと言いたくなるけど、当然、本人だってわかっているから、友だちロボットを買うことにしたんだよね。
正直、友だちロボットを買うってどうなの? と思った。友だちってそういうものじゃないだろ、と。
ただ、大人になると友だちって作るのはめちゃくちゃ難しい。自分の場合を考えても、学生時代の友だちと関係が続いているから友だちがいるだけ。もし、それらをリセットしてしまったら、新しい友だちを作るなんてできないかもしれない。
そう考えると急にドッグが自分のように感じられてきた。いや、むしろ、ドッグは友だちを作るために公園で凧揚げをしてみるとか、スキー旅行に一人で参加するとか、積極的にイベントへ参加していた。どれもわたしにはできない。ひょっとしたら、こっちの方がヤバいかも。
子どものときは簡単だったのにね。なんとなく空間や時間をともに過ごせば、なんとなく友だちになれていた。小学校なんてクラスが一緒というだけで友だちになれた。それが成長するにつれ、趣味が共通しているとか、生活レベルが近いとか、なにかしらの条件を満たさなければ友だちという関係を結べなくなり、大人になると友だちというやり知り合いと言うべき人たちばかりになっていく。
そりゃ、LINEやらSNSやら、友だちというくくりのつながりを持つことは可能だろう。でも、そうじゃないんだよ。生きていく上で漠然と湧き上がる不安を払拭するために必要な友だちっていうのは、美味しいものを一緒に食べて、楽しいものを一緒に見て、『セプテンバー』が流れたら一緒に踊れるような関係のことを言うんだよ。それはもうロボットを買うことでしか手に入らない尊い関係なのかもしれない。
この映画を見て、つくづく、幼い頃の友だちがいかに大切か気づかされた。そういう意味では子どもたちにこそ見てもらいたい。いま、君が当たり前と思っている友だちがいかに素晴らしい存在であるか、わかったとしたらこんなに幸せなことはない。
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