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【ショートショート】嫁の余命 (1,923文字)

 嫁さんに誘われ、余命もの映画を見るため、劇場に足を運んだ。結婚して20年近く経つけれど、2人で映画館に来るのは籍を入れて以来初めてだった。

 付き合っていた頃は人並みにデートで映画を観に行った。『ハリー・ポッター』とか『千と千尋の神隠し』とか。話題作を楽しんだ。

 子どもができて、結婚し、忙しくなってからはDVDをTSUTAYAで借りれば十分だった。どうしても見たい作品があったときは一人で観に行った。最初のうちは声をかけたが、毎回、断られるので話題に出さなくなった。

 嫁さんは嫁さんで息子とは映画館に行っていた。『ドラえもん』とか『コナン』とか、案外、面白いのと言っていた。その口調が楽しそうだったので気づかなかったが、長いこと、観たいものを観れていなかったようだ。

「あなたは一人で好きなものを観ているんだから、今日ぐらい、わたしが観たいものに付き合ってくれてもいいでしょ」

 今回、観る作品を選ぶとき、少しばかり怒られてしまった。

 俺としては余命ものに躊躇があった。若いヒロインが病気で余命いくばくもないと判明し、若い男の子と激烈な恋を経験する。そんな話は基本的に若者向け。いい歳をした中年夫婦が並んで観るのは恥ずかしかった。

 ただ、息子も大学に進学し、ようやくほっと一息つけた嫁さんの希望を蔑ろにはできなくて、場違い覚悟でチケットを買った。食べ切れないとわかっていたが巨大なポップコーンとコーラも買った。

「楽しいね」

 嫁さんはニコニコだった。

 映画自体は意外にも、けっこうよかった。というか、涙が出て止まらなかった。予想通り、紋切り型のありふれたストーリーだったが、ヒロインの健気さに感情を揺さぶられた。その恋人を演じるイケメン俳優の演技もよくて、残価な運命を呪わずにはいられなかった。

 エンドロールが流れている間、帰りに主題歌のCDを買おうと心に決めた。たしか、駅前にタワーレコードがあったはず。そんなことを考えながら、いやいや、あそこは数年前に潰れたじゃないかと思い出した。

 劇場に明かりが灯った。隣を見ると嫁がハンカチを握り締めていた。

「よかったね」

 俺はうなずいた。

 結婚する前、二人でよく行った喫茶店に入った。なくなっていると覚悟していたので、変わらず、喫煙可のまま営業していて嬉しかった。

 奥の席に座り、バイトの女の子を呼んだ。ナポリタンとサンドウィッチ、アイスコーヒーを二つ注文した。厨房から蝶ネクタイをつけたマスターが顔を出し、少々お待ちくださいとにっこり笑った。むかしのままだった。

「ねえ、あの人、当時からかなりのおじいちゃんだったけど、いまいくつなんだろうね」

 料理を待ちながら、映画の感想を語り合った。嫁さんも号泣に号泣の連続で、途中、脱水症状に陥るんじゃないかと不安だったらしい。やたらコーラをチューチュー吸ってはいたが、それは水分補給のためだったとか。

 そんな風に冗談を交えつつ、よかったシーンを振り返っているうちに、嫁さんがまだ恋人で、ただおしゃべりするだけで幸せだった青春時代の高揚が身体中にゆっくり広がり始めた。

 改めて、この人と一緒に20年も生きてこられたことに感謝した。そして、平凡だと思っていた結婚生活がいかに満ち足りたものだったのか理解した。

 そのことを伝えたら、嫁さんはうつむき、暗い表情を浮かべてつぶやいた。

「実はね、わたしにも余命があるの……」

 心臓がキュッと縮んだ。まさか、突然、映画を観に行こうなんて言い出したのはそういうことだったのか。だから、なにがなんでも、余命ものに固執したのか。

 迷いながらも、どれくらいの時間が残されているのか尋ねてみた。嫁は深刻に答えた。

「余命はね……。40年……」

 肩の力が抜け、安堵の息が漏れてしまった。

「ごめん。ごめん。ちょっとふざけてみたくなったの」

 嫁さんは愉快そうに謝った。大きな事故や病気を別にして、日本人女性の平均寿命から逆算すれば、そういう計算になると説明してくれたが、そんなことはどうでもよかった。

「そんなビックリするとは思わなかったの。わたしの演技、上手過ぎた?」

 なんとも言えなかった。

「あはは。大丈夫だよ。心配しないで。40年だもん。けっこうあるよ。まだまだ余裕。ほら、ご飯がきたよ。美味しそー! 最高だね」

 無邪気にオレンジ色した麺を頬張る嫁さんは可愛かった。そのかけがいのない姿を眺めていたら、余命40年という数字はあながち長くもないぞ、と気がついた。

「え? 泣いているの?」

 首を横に貼り、サンドウィッチを口の中に詰め込んだ。さもなくば、クサいセリフをうっかりこぼしてしまいそうだった。

 そんな俺を見ながら、嫁さんも泣いていた。

(了)




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