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【ショートショート】宝の地図 (2,568文字)

 じいちゃんが倒れた。脳梗塞だった。俺はすぐに搬送先の病院へ向かい、不安そうなばあちゃんと合流した。いま、あそこで緊急手術をしているところなんだとか。

「悪いね、卓郎くん。来てもらっちゃってね。受験勉強で忙しいだろうに」

 ばあちゃんは申し訳なさそうに言った。俺はなにも答えなかった。罪悪感で胸が痛かった。

 浪人のまま二十歳を迎え、この夏の模試もE判定だった。国立の医学部は東大よりも難しいから仕方ないと自分を納得させるのも難しくなってきて、最近では勉強らしい勉強を一切やっていなかった。予備校はサボり続けている。チューターから親に連絡が入っているはずだけど、注意されたことはない。二人とも毎日仕事で忙しいし、優秀な弟は東北大学医学部に合格したし、俺のことなんてどうでもいいのだ。

 でも、まあ、いいではないか。お陰でじいちゃんの緊急事態に駆けつけることができたわけで、誰に非難されることがあろうか! と、内心、啖呵を切っていたら、

「高坂さんの奥様ですよね? 先生からご説明がありますので、こちらへお越しください」

 と、看護師らしき女性にばあちゃんは声をかけられた。

 結論、手術は失敗だった。じいちゃんは死んでしまった。詳しく聞けば、年齢も年齢だったので、脳内の血管はあまりにボロボロ。どうすることもできなかったという。ばあちゃんは事実を淡々と受け止め、先生に、

「ありがとうございました」

 と、深々、頭を下げていた。隣で話を聞いていた俺もそれに倣った。

 母さんには俺から事情を伝えた。世間知らずな俺はなにがなにやらわからなかったが、人間は病院で死んだらすぐに終わるわけではなく、退院手続きだったり、葬儀の手配だったり、火葬だったり、死ぬほど忙しいらしい。ばあちゃんに電話を代わった。たぶん、母さんが迷惑そうに捲し立てているのだろう。弱々しく相槌を打つばあちゃんの姿を俺はじっと見ていた。手持ち無沙汰を誤魔化すためのスマホは使用中だったので、己の役立たずっぷりが身に染みた。

 とりあえず、その日はばあちゃんの家に泊まることにした。ダイニングテーブルにはじいちゃんが倒れる直前まで食べていた筑前煮がそのまま置いてあった。人参も蓮根も干からびてシワシワになっていた。それにラップをかけて、レンジでチンして、二人で食べた。冷凍ご飯も温めた。賞味期限の切れている納豆ももらった。じいちゃんについて話そうとするも、なにをどうしていいか、要領を得ないままお腹はいっぱいになってしまった。

 風呂上がり、ドライヤーで紙を乾かし終えると、ばあちゃんがなにかを持って近づいてきた。

「今日はありがとね。卓郎くんがいてくれて、心強かったわぁ」

「いやいや。なにもしてないよ」

 謙遜しつつ、たぶん、お小遣いをくれるのだろうと期待していた。こんな日にそんなものを受け取るべきじゃないと思いつつ、何万円かもらえたら今月は凌そうだと考えてもいた。

「卓郎くんがいるだけで全然違うのよ。だから、これ、お礼」

「いいよ。そんなの」

 言葉と裏腹、俺の右手は差し出されたものを光速で受け取っていた。親指と人差し指の感触で何枚か数え、視線で記された肖像画が渋沢栄一なのか、津田梅子なのか、即座に判断しようとしていた。

 しかし、そこにあったのはボロボロな紙切れで、つい、「これじゃないよ」とばあちゃんにクレームを入れてしまうところだった。

「それはね、じいちゃんが大切にしていた宝の地図なの。本当は司法書士さんとかにお願いして、財産分与をちゃんとならなきゃいけないんだろうけど、卓郎くんにあげちゃうね。じいちゃんもそれを望んでいるはずだから」

 さて、そんなわけで俺は宝の地図を手に入れた。はじめはしょうもないものを渡されてしまった……、と途方に暮れていた。古いし、汚いし、捨ててしまいたかった。でも、じいちゃんの形見だし、さすがに取っておくしかなかった。

 だが、四十九日の法要で親戚一同集まったとき、叔父さんたちが、

「そういや、父さんが大事にしていた地図はどこいったんだろうな」

「ああ。あれだろ。宝の地図だろ」

「そうそう。なんでも戦時中、高坂家の財産をそのお宝に変えたみたいで、なにかあったらこれを売って金にするんだって言ってたもんなぁ」

「どこまで本当かわからないけどね。でも、マジでそこにお宝が眠っているなら、財産分与に加えなくちゃ」

 と、話しているのを耳にして、急に面白くなってきた。

 翌日、俺は宝の地図に描かれた場所を目指した。

 叔父さんは戦時中の地図と言っていたけれど、見る限り、江戸時代に記されたものらしかった。この時点で相当に眉唾っぽかったものの、かろうじて読み取ることはできたので、Google頼りでどうにか目的の場所を探り当てた。

 ありがたいことに宝のありかは都内某所だった。アクセスもめちゃくちゃよかった。てっきり、人里離れた田舎の山奥にでも行かなきゃならないと覚悟していたので、ちょっと買い物に行くノリで済むのは助かった。

 ただ、時の流れは残酷だった。印のついている場所はいまじゃ立派なビジネス街。とてもじゃないけど地面を掘り起こすなんて不可能だった。

 やられた……。

 でも、まあ、冷静になってみれば、宝の地図なんて与太話にもほどがある。仮に本当だったとしても、絶対に手に入らないとわかった以上、信じる理由はどこにもなかった。

 あー、バカバカしい。貴重な時間を無駄にしてしまった。こんなボロボロの紙がなんだって言うんだよ!

 そんな風に嘯いてみると、これがじいちゃんの肩身だったことなど忘れ去られて、持っているのも耐え難くなってきた。丸めてポイッと適当に投げ捨ててしまった。

*   *   *

「痛っ! ん? なんだこれは?」

 道を歩く古物商の男は自分の頭にぶつかった紙屑を拾い上げた。小学生か中学生のイタズラで、どうせ点数が悪かったテストの返しをくしゃくしゃにして、他人に当たっているのだろうと思っていたが、期せずして、それは男が専門とする江戸時代の古文書だった。

「……ま、まさか。葛飾北斎が描いたとされる貴重な古地図ではないか! しかも、このあたりを描いたものは戦時中に紛失し、未だ見つかっていなかったというのに。いやはや、えらいことになったぞ。この地図は歴史に残るお宝だ!」

(了)




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