【読書コラム】矛盾しているようなタイトルって魅力的 - 『平熱のまま、この世界に熱狂したい』宮崎智之(著)
普段、本を買うときって、好きなシリーズだったり、好きな著者だったり、話題になっているからだったり、なんらかの前評判に基づいている。でも、たまに、一目惚れするように惹かれてしまうことがある。いわゆるジャケ買いってやつである。
理屈で言えば、事前に情報を得ている方が自分の趣味に合致する確率は高くなるはず。だけど、ジャケ買いの方が往々にして幸せを感じやすい。意外な出会いに運命を感じてしまう習性が人間にはあるのだろう。
最近だと『平熱のまま、この世界に熱狂したい』というエッセイ集がそうだった。
表紙のそでに載っていたプロフィールによれば、著者の宮崎智之さんはTBSラジオに出演するなど、メディア露出も多い方らしい。ただ、わたしは寡聞にして、存じ上げていなかったので、タイトルの意味するところがわからなかった。そして、だからこそ、いいと思った。
平熱のまま、この世界に熱狂したい。
こういう矛盾したような言葉が昔から好きだ。文法的には撞着語法というやつで、諺の「急がば回れ」だったり、ソクラテスの「無知の知」だったり、なんとなく気になってしまう。とはいえ、単に矛盾していればいいかと言ったらそうではなくて、狙い過ぎだとあざとさが鼻につくから難しい。
そんな中、平熱と熱狂の組み合わせはグッときた。わかる、わかると共感できた。熱狂って、たしかにその瞬間は楽しいけれど、終わった後のだるさを考えると決していいものではないんだよね。できれば、あの楽しさだけを享受したい。そういう願望が「平熱のまま」に込められていた。
なにが書いてあるとかどうでもよかった。こういうタイトルを冠することができる人の文章をとにかく読んでみたくなった。なるほど、アルコール依存症だったんだと著者の現在に至るまでの経緯を知るに及んで、「平熱のまま、熱狂したい」の切実さが理解されてきた。やっぱり、これは広告代理店が作るような工業製品みたいなキャッチコピーと違って、人間の血が通う温かみのある言葉だったんだ、と。
もちろん、有名人みたいだし、離婚もしているみたいだし、宮崎さんを恨んでいる人もいるだろう。そういう立場からの見え方は全然違うのかもしれないけれど、少なくとも、なにも知らないわたしにとって、この本は優しさに満ちていた。
特に『紳士は華麗にオナラする』という章はよかった。ある日、駅構内のトイレに入ったところ、小便器で隣になった50代後半くらいの男性が「バファッ!」とオナラをした直後、すかさず「失敬」とつぶやいたんだとか。そして、これはオナラをしたときの振る舞いとして模範解答なのではないか? と著者の思考は展開していく。
前提にあるのは、万人がオナラをするにもかかわらず、未だ適切とされる対処法が存在しないという問題で、宮崎さんはそれを「人類の怠慢」とまで言ってのける。
もちろん、この大袈裟っぷりは冗談なんだけど、例としてあげられる明治時代の悲劇を見るに、あながちオナラはバカにできない。なんでも、ある花嫁が仲人の家に挨拶へ行き、そこで変な音のオナラをしてしまったことを理由に自殺した記録が残されているというのだ。さらにその怨恨はこじれにこじれ、連鎖的な自殺が2件発生しているというから痛ましい。
現代の感覚だと恥ずかしい程度の話だけれど、当時は人間の尊厳にかかわるほど、オナラは深刻さを持っていたとは。そう考えると、オナラについての作法というものは決まっておいていいような気がしてくる。
くだらないエピソードかと思いきや、案外、深いものがある。入り口はいろいろだけど、最終的に優しさにつながっていく話がたくさん掲載されていて、素敵なエッセイ集だった。
決して「人類を救わなきゃ!」「こういう社会を作らなきゃ!」と熱く語るわけではないけれど、淡々とそういう方向を目指しているから信頼できる。これなら、自分参加できそうと勇気をもらえる。そういう一切合切がタイトルに込められているんだと読み終わったとき腑に落ちた。
こんな本だとはなにも知らなかったのに、いまとなってはこういうものが読みたかったとなっているから読書は不思議。やっぱり、ジャケ買いは堪らない。
これまでも似たような経緯で宝物になっている本がいくつもある。撞着語法関係で言えば、ボフミル・フラバルの『あまりにも騒がしい孤独』というチェコの小説がよかった。
自宅のアパートと職場の地下室を往復し、届いた紙をプレスするだけの仕事に何十年も従事し続ける男の物語で、孤独な仕事を受け入れるに至る自らの人生を振り返るというもの。たまに目にする美しい文章にうっとりしながらも、それらを誰も読めないものにしていく日々を繰り返す虚しさが苦しかった。
言葉の組み合わせが面白かったという観点だと、ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』というドミニカの小説もよかった。
陽キャが当たり前なラテンアメリカの国にオタクとして生まれてしまった少年の居心地の悪さからはじまって、でも、実はそのしんどさの根底には独裁政権の締め付けがあるのだとわかってきて、そういうどうしようもなさを突破するためにサブカルチャーが意味を持ってくる。そういうめちゃくちゃな組み合わせが面白かった。
たぶん、どれも読みたいものを探していたら、絶対に読むことがなかった本だと思う。だって、チェコの小説も、ドミニカの小説も、日常の生活に絶対登場してこないもの。ただ、そういう予想外の領域と触れるときにこそ、価値観は広がっていく。
巷では好きなものを極めることが推奨されている。でも、わたしはそれよりランダムに知識を得ていくことの方が重要なんじゃないかと考えている。
特に、いまはAIが効率よく学習ができてしまう時代なのだ。人間がわざわざ知識を積み上げていく必要があるのか、少しばかり疑問がある。
だったら、AIが得意とする効率の良さから逃れ出て、本来の自分だったら読まなかったはずの本を読むべきではないだろうか。そういう意味で、わたしは誰かが薦めている本だったり、直感だったりを大事にしている。
平熱のまま、この世界に熱狂したいとは、そういう態度のことを言うんじゃなかろうか。
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