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【ショートショート】差別のない世界 (2,596文字)
今日、政府は差別のない世界がようやく実現したと誇らしげに発表した。まったく腐った連中だよと俺はやつらに悪態つきたかったが、コンプラウォッシュで「腐った」の意味も公式にはポジティブな意味に塗り替えられて、どうせ賞賛の声としてカウントされてしまうのでやめた。
あの男がコンプラウォッシュをやると言い出したとき、正直、俺はそんなこと不可能に決まっているとバカにしていた。人々が語り継いできたボキャブラリーを解体し、国で新しい意味を再構築するなんて、誰が素直に従うものか、と。
しかし、あの頃、SNSの普及で権力者たちは誹謗中傷に怯えていた。それまでは下民の声など気にする必要のなかった富裕層が次から次へと炎上し、見るも無惨に社会から退場せざるを得なくなった。
スキャンダルのほどんどがセックストラブルだった。不倫をするか、睡眠薬で眠らせてレイプするか、金持ちっていうのは変態しかいないんだってことが明々白々の事実になってきたとき、国民のほとんどはそんなもんだろうと冷たい反応だった。みんな、もともと知っていたから。必要以上に稼ぎ、必要以上に目立ちたいという人間が承認欲求中毒な異常者であることなんて、言われなくてもわかること。やっぱりねと呆れているだけだった。
だが、当事者である上級国民たちは違った。やつらは本気で自分たちが金持ちで目立っているから庶民から尊敬されていると勘違いしていたのだ。イエスマンだらけの日常で感覚が麻痺し、おっさんおばさんになっても若い子たちから憧れられていると本気で信じ、誰とでも性的同意を結べると思い込んでいた。なのに、後から本当は嫌だったと言われることが理解できず、どうせ金目当てなのだろうと大金を渡し、和解という名の圧力ですべてをなかったことにしてきた。実際、むかしはそれでなんとかなった。しかし、金で解決してはずの出来事がネット上で蒸し返されるようになってきて、これはまずいぞと焦りだしていた。
俺はこの焦りの大きさをちゃんと見積もれていなかった。世の中が変わってきたのだし、自分の生き方を変えるというのが筋であると普通のことを考えてしまった。でも、やつらは普通じゃなかった。これからも堂々と好きな相手を犯し続けるために世界を作り直すことにしたのだ。そして、そういう性狂いのブルジョワたちを味方につけ、あの男は政界に乗り出し、見事、頂きまで上り詰めてしまった。
最初、誰もあいつの戦略に気がつかなかった。
「差別のない世界を実現します!」
そう力強く述べるあいつの顔は爽やかだったし、てっきり社会派の世間知らずな理想主義者なんだろうと俺も騙されてしまった。まさか、「差別」というのが横暴な権力者に対する誹謗中傷を指していたとは想像だにしなかった。
いや、仮にあのときわかっていたとしても、コンプラウォッシュを止めることはできなかっただろう。差別をなくすためにはまず差別用語をなくすべきという考え方は思いのほか受け入れられた。女もいるのにサラリーマンはおかしいとか、遊んでいるのは男なのに遊女という呼び方はおかしいとか、正しい呼び方に固執している人たちがすぐに呼応し、その意見を汲み上げる形であいつは令和の国語施作を進めていった。
なにがうまいって、普段なら反対しそうな連中を仲間にしたことだった。あなたたちの知見を活用させてくださいと下手に出たことで、小うるさいことを言われる可能性をゼロにした。それ以外の国民は日々の生活に忙しく、言葉の意味が変わるなんてことに誰も興味を持っていなかった。
少しずつ言葉が変わっていった。差別的な固有名詞に異なる意味がつけられていき、官公庁の書類や広報でかつては人種差別や障害者差別だった固有名詞や形容詞が当たり前のように並びだした。マスコミはそれをコピペする形で拡散した。そうなるとみんなも普通に使うようになっていき、たしかに、この世界から差別はなくなったかのようだった。
やがて、コンプラウォッシュの対象は広がっていくと同時に、意味を頻繁にアップデートしていくことで、ある時期には誹謗中傷だったフレーズが現在はほっこりした表現になってしまうなど、言葉が安定しなくなった。無論、やろうと思えばすべてをデータベース化し、それぞれが本来持っていた誹謗中傷性を突き止めることは可能だった。だが、みんなが誹謗中傷を恐れていたので、そんなソフトを開発する物好きはいなかったし、開発されたとして使う人もいなかった。
気づけばスキャンダルもなくなり、人を傷つける笑いもなくなり、政治家も芸能人も企業も攻撃されることがなくなった。というか、攻撃というもの自体が成立しなくなった。
そうやってなにもかもが曖昧になり、政府は差別のない世界の実現という目標を達成したのだと宣言するに至ったわけだが、俺はこれこそ最大の差別であると憤っている。
差別用語がなくなれば差別がなくなるなんて、そんなバカな話があってたまるか。むしろ、そうやって差別があったという歴史ごと抹消してしまうことこそが最大の差別であり、なんなら、差別用語は差別してきた側が嫌でも向き合っていかなくてはいけない残酷性の証だったはずだ。たとえどんなに美しい理想を語っていても、その言語には差別用語という他者を傷つけてきた歴史も含まれているわけで、自分が直接的に犯した罪でなくても言葉を通して加害性をシェアしてきた。正義とか悪とか、物事はそんな単純じゃないということを俺たちは言葉を通して実感し続けてきたはずだ。
ところがコンプラウォッシュで国が定めた正解に従っていれば正義、従っていなければ悪という嘘のルールで全員ががんじがらめになってしまった。たしかに差別はなくなったけれど、俺たちの声もまたなくなってしまった。なにを言っても政府が綺麗に掃除してしまうので、もはやなにも言っていないのと同じだった。
たぶん、俺のこの記事だって、あっという間にコンプラウォッシュされてしまう。ゆるふわで可愛らしい文章としてしか読めなくなってしまうだろう。それでも、いまから俺はあいつを派手に殺すから、その事件の直前に書かれた文章はきっと深い意味が込められていると気がついたお前だったら、俺の書いた通りにこの文章を読んでくれると期待している。
どんなに言葉を縛りつけようと人間の好奇心だけは止められない。
(了)
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