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【読書コラム】5年ぶりの新刊! 凄いことになっていた! しんどいときに本当とか嘘とかわけわかんなくなるよね - 『さよならミニスカート』牧野あおい(著)
2018年の連載開始時、「このまんがに、無関心な女子はいても、無関係な女子はいない。」のキャッチコピーで話題となった『さよならミニスカート』
握手会イベントで刃物を持った男に襲われ、グループを脱退した元人気アイドルが普通の高校生活を送ろうとするも、女子が「女子であること」を求められる空気は日常に蔓延していて悩み苦しむという物語。
性的に消費される理不尽に気がついた主人公はロングヘアーを短く切り、スカートではなくフラックスを履き、過去を隠すために名前も変えて新しい高校に通学している。でも、そんな彼女は学校で浮いてしまって、男子からも女子からも攻撃の対象となる。
第1巻と第2巻ではそんな彼女が心を許せる男子生徒が現れるも、本当に信用していいのか怪しくなったり、その恋愛模様に嫉妬するいわゆる「女子力高め」の女の子と対立したり、その女の子も辛い目に遭ったり、怒涛の勢いでストーリーが展開していた。
続きが気になるなぁと思っていたら、作者である牧野あおい先生の体調不良で連載が止まっていたらしい。何年か経つにつれて、これはこのまま終わってしまうような気がしていた。
それはそれで納得だった。なにせ、とんでもなく難しい問題を扱っている作品だから。
アイドルになりたいという気持ち。たくさんの人に元気を与えたいといくら言っても、その裏にある自己顕示欲は否定できない。また、資本主義において注目を集めることが社会的に意味しているいやらしさからも逃れられず、いくら本人が自分の意志を貫きたくても、消費されることを通して信念は簡単に歪められてしまう。
ただ、スマホが普及し、SNSを使うことが当たり前になった現代の子どもたちにとって、そういう欲望渦巻く芸能界は遠い世界ではなくなってしまった。これまではクラスで一番可愛いで済んでいた子も、TikTokにアップされたら、日本一可愛い女子高生と祭り上げられる可能性がある。フォロワーが増えれば、ビジュアルや一芸で億万長者になるのも夢じゃない。
逆に言えば、不特定多数の人たちから誹謗中傷を浴びせられる恐れもあるわけで、好むと好まざるとにかかわらず、いまや誰もが「性」を武器に持たされているのだ。なにせ、いつ盗み撮りでネットに晒されて、自分の容姿を評価されているかわからないんだもの。
そういう世の中において、『さよならミニスカート』が投げかける「性」を武器にさせられてしまう理不尽さは切実に刺さるものがあった。しかし、それがあまりに切実であるだけに、描き手のプレッシャーはとんでもないだろうと容易に想像できた。
例えば、可愛いがなんのためなのか、結論を出すのは簡単な話じゃない。自分自身のためと言い切れてしまえばいいけれど、突き詰めていくとそんなはずないのは明らかだ。やっぱり、他者の目はどこまでもついてくる。
トップアイドルだった主人公が男に媚びる可愛さを否定する行為は勇敢であると同時に、男の子たちの人気を通してアイデンティティを維持している女の子にしてみれば、残酷以外のなにものでもない。お前はいいよな。成功経験から自分にいくらだって自信を持てるんだから。でも、こっちはそうじゃないの。可愛いって言われるように頑張ったってかまわないでしょ?
きっと、この作品を描き進める中で、その立場なりの苦しみとやりたくないことをやりたいと思わざるを得ない複雑な心境が明らかになってきて、物語の行方がわからなくなってしまうんじゃないかと不安になっていた。というのも、読みながらわたしは各キャラクターに対して、そういう不安を感じていたから。
なので、どういう事情があったのかはわからないけれど、長期休載は仕方ないなぁと納得していた。
ところが今年、突如、連載再開のニュースが流れた。単行本の発売も決まった。5年ぶりの新刊! 待望の続きに胸が躍るも、ハードな内容に身構えつつ、心身ともに万全な状態を整え、第3巻を拝読するに至った。
りぼん本誌では5年前、すでに掲載されていた内容なのだろう。コミックスしか読んでいないので、こういうことになっていたのかと素直に驚いた。
なんというか、やはり、とんでもない領域に突入していた。いよいよ「意志」という言葉がいかに不確かで、「本人がいいと言っているならいい」なんてことはあり得ないという問題に真っ直ぐ向き合い始めていた。
これは本当に重要な話だ。言い換えるなら、同意の有無に焦点を当たることは妥当かどうかという話になってくる。客観的にどう考えても嫌に決まっていることであっても、本人が同意しているならOKになるというのが既存の考え方である。そのため、性犯罪でも詐欺でも同意の有無が焦点になってきた。
ところが、最近、その空気も変わりつつある。2017年の刑法改正で従来の「強姦罪」「準強姦罪」「強制わいせつ罪」「準強制わいせつ罪」などは非親告罪となった。被害者が告訴しなくても起訴することが可能となった。また、統一教会の違法勧誘の基準も更新され、「教団に返金を求めない」念書は無効となった。
結局のところ、精神的に追い詰められているとき、人は正常な判断ができないわけで、犯罪に巻き込まれている状況でまともに同意なんてできるわけないのだ。そういう意味で被害が明らかな場面において、「本人の意志」を尊重することは必ずしも正しくはない。
このあたりは「意志」という言葉の成り立ちとも関わってくる。それは行為に責任を発生させるためのマジックワードで、法律を円滑に運用するために必要だった概念に過ぎず、実は現実に即していないまま、我々の日常に浸透している概念なのかもしれない。詳しくは拙記事をご参考に。
さて、このように「意志」の不確かさを指摘するだけでも大変だというのに、『さよならミニスカート』のヤバいところは客観性の不確かさについても言及しているところ。というのも、大抵の犯罪は密室で起きているので、「被害が明らかな場面」なんてそうそうないよねというしんどい現実を描いてもいるのだ。
さらに、客観的な証拠を示さない以上、被害者は自分が被害者ではないと出来事を正当化するため、悪いのは自分であると思い込んだり、自業自得だったと解釈したり、嘘をついてしまったり、一見すると不合理な言動を取ってしまう。これに対して、なにも知らないまわりの人たちは酷い反応をしてしまう苦しさを『さよならミニスカート』はちゃんと見据えていた。
正直、読んでてずーんっと心が重たくなっていく。扱われるトピックスはどれも身近に潜む加害性であり、これが令和まで残り続けてしまったことにわたし自身、無関係ではないわけだから。また、それ故に、ちゃんと読み進めなきゃいけないのだろうとページをめくるたび、強く決意させられる。
この物語の先に待っているはずの未来が見たい。自分の「性」にしばられず、どう考えても嫌なことはしないで済む当たり前な未来が。
どんなペースでもかまわないから、いつまでも読み続けていきたい漫画だ。
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