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【映画感想文】知らないうちにバズり、知らないうちに炎上し、すべてを失うニコラス・ケイジほど最高なものはない! - 『ドリーム・シナリオ』監督: クリストファー・ボルグリ

 ニコラス・ケイジには二つの顔がある。ひとつは底抜けにクズなタフ野郎。もうひとつは不運な甲斐性なし。どちらのニコラス・ケイジも素敵なんだけど、わたしは後者のニコラス・ケイジが堪らなく好き。だから、『ドリーム・シナリオ』の設定を聞いたとき、悶えんばかりに嬉しくなってしまった。

 ある日、突然、ニコラス・ケイジ演じる冴えない生物学の教授・ポールが世界中の人々の夢に現れるようになる。その夢はだいたい危機的状況に彼がふらっとやってきて、助けてくれるかと思ったら、気まずそうに微笑むだけでなにもしてくれない。そのことを聞いて、最初、「僕はそんな役立たずじゃない!」と憤るも、ネットでバズりまんざらでもない。テレビに出演し、受講生は増え、家族からも一目置かれて鼻高々。

 ところが、経験不足からインフルエンサーとしての振る舞いがうまくできず、夜遊びも失敗、研究分野でもライバルに出し抜かれ、ストレスが大爆発。

 すると、みんなの夢に現れるポールが豹変し、人々を襲い始める。叫び、追いかけ、拷問し、性加害から殺人まで考えられる限りの残虐行為を繰り広げる。しかも、一晩だけでなく、毎晩、悪夢が繰り返される。誰もがPTSDに陥り、いつしか現実のポールを憎むようになっていく。終身雇用の大学に居場所はなくなり、カフェに入れば不快だからと追い出され、妻も娘たちも学校や職場で肩身の狭い思いをする。

 僕のせいじゃないと腹を立てていたポールだったが、ついに、彼の夢の中にも自分自身が現れて、あまりにリアルな恐怖を経験することになる。

 文句なしに面白いストーリー!

 ただ、この映画の何が凄いって、ここから想像もつかない方向に展開していくところ。かつ、その内容がポールにとってだけ残酷で、胸がキューっと痛くなるところ。しかし、ニコラス・ケイジという役者の本領発揮と言うべきか、客観的にすべてを失ったことが明らかであっても、その表情はなんとかしてやるという希望に満ち満ちていて、ラストは意味不明に感動的。

 エンドロールを眺めなつつ、わたしはしみじみと幸せに包まれた。それほど濃厚にニコラス・ケイジを摂取できるとは。十年分のニコラス・ケイジが100分にギュッと凝縮されていた。

 まず、冒頭に挙げた通り、情けないニコラス・ケイジをこれでもかって見ることができた。個人的には『ニコラス・ケイジのウェザーマン』のニコラス・ケイジが好きなんだけど、それに匹敵するレベルの救いようのないやさぐれっぷりだった。

 ちなみに『ニコラス・ケイジのウェザーマン』はあの『パイレーツ・オブ・カリビアン』を手がけたゴア・ヴァービンスキー監督がパイレーツシリーズの間に撮った作品にもかかわらず、日本では劇場公開されなかった問題作である。と言ったら、よほどの事情がありそうだけど、なんてことない。ハリウッド映画とは思えないほど退屈なだけなのだ笑

 ただ、つまらないわけではなくて、資本主義の国アメリカで一番にはなれなかったけれど、負け組ではないという二番手、いや、三番手の人たちの気持ちが細かく描かれている。

 ウェザーマンというのは天気予報士のことで、この映画でニコラス・ケイジはシカゴのテレビ局にレギュラ出演している。ギャラはそれなりに高いけど、誰からも尊敬はされていなくて、自意識ほどには他者から評価されないために、じわじわ、日常が壊れていく。

 だいぶ前に見たので、正確なセリフは覚えていないけれど、ラストにニューヨークかどこかのパレードに参加し、自分の立ち位置は「911で活躍した消防隊より後ろだけど、スポンジ・ボブよりは前なので、これぐらいのアメリカンドリームに満足しておくことにしよう」みたいなことを言っていたのが、やたら心に残った。

 この映画を見たのは中学生の頃だった。勉強も運動もイマイチで、いわゆる青春らしい出来事にも恵まれず、絵も歌も上手くないし、特段、面白い話もできないと自分の平凡さに気がつき始めた中二の夏。どうやら自分の人生はあまりパッとしないものになるっぽい……。そんな風に絶望するも、なにかを頑張ることもなく、近所のTSUTAYAで適当にDVDを借り、ぼーっと映画を見ていたら、この向上心のないニコラス・ケイジに出会った。

 当時、ホリエモンを筆頭に若手IT社長の成功した人生がメディアを賑わせ、バラエティ番組で女性たちは格付けし合い、誰もが自分も成功しなきゃいけないという強迫観念に苛まれていた。さもなくば負け組になってしまうから。

 イジるとか、イジられるとか、テレビではヒエラルキーを前提とするコミュニケーションが繰り広げられていた。公立中学校では男子も女子もそれを再現するようになり、教室は少しも平和じゃなかった。そんな現実に嫌気がさして、わたしは映画に逃避していた。でも、内心、そんなんじゃダメなのだろうと焦ってもいた。

 だから、境遇はなにもかも違っていたけれど、『ニコラス・ケイジのウェザーマン』のニコラス・ケイジがパッとしない人生を「これはこれでいいか」と肯定したとき、なぜか、焦っていた気持ちが救われた。そうだよね。客観的にダメだったとしても、自分じゃこうすることしかできないんだし、仕方ないよね。うんうん。

 以来、情けないニコラス・ケイジにわたしはぞっこんなのだ。

 そういう意味では、今回の『ドリーム・シナリオ』のニコラス・ケイジもパッとしない人生を肯定していて、久々に恩人と再会したような懐かしさがあった。

 なにせ、世界中の人々の夢に出てしまうという設定は突飛だけど、結果、いきなりバズってしまうという現象に関して言えば、全然あり得る話だから。

 例えば、こんな風にnoteを書いていたら、ある日、突然、知らないところでバズっていたとしてもおかしくはない。最初はポジティブな反応にあふれ、友だちから「凄いじゃん!」とLINEが届き、家族には尊敬されるかも。ネットの記事になり、それが夕方のニュース番組で取り上げられ、ZOOMインタビューに答えてみたり。電通だか博報堂だか、広告代理店の人から連絡があり、日清のCMでパロディさせてほしいと頼まれ、びっくりするような契約金を提示され、頭の中で車が買えるなぁとか、ハワイ行けるかなぁとか、煩悩がスパークしてしまう。人生はなんて楽勝なんだろう。そんな風に浮かれていたところ、バズった記事に意図せぬ差別的表現が見つかり、あっという間に大炎上。すべては白紙に戻るだけでなく、世間の目を恐れて、眠れない引きこもり生活が始まる。これ、いまや、誰の身にも起こりうる。

 最近だと、兵庫県知事選で勝利した斎藤さんの広報をやっていたとnoteで記事を書いた折田楓さんは『ドリーム・シナリオ』さながらの経験をしているような気がする。公職選挙法違反の疑いについて指摘するならまだしも、それに託けて経歴や容姿、生き方を揶揄するようなコメントが飛び交っているのはあまりに理不尽。普通に可哀想だよ。

 きっと、そういう不条理な目に遭っている人がいまもたくさんいるのだろう。Xのタイムラインを見ていると、炎上を通して、はじめて名前を知る人がたくさんいるので驚く。わたしの観測範囲が狭いだけかもしれないが、あまりのスピード感に脳みそが追いつかない。そして、冷静になったとき、自分もそんな首都高みたいなインターネット空間にいるのだと気がつき、たちまち恐ろしくなってしまう。こんな記事だって、公開しない方がいいんじゃないかと不安になる。

 でも、まあ、スクリーンに燦々と輝いていたニコラス・ケイジのにやけ面を思い出すと、仮にバズり、炎上し、すべてを失ってしまったとしても、なんとかなるさと勇気がもらえて、こうやって公開しているのである。




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