【映画感想文】話題の自主制作時代劇を見てきた! 老若男女が楽しめるど真ん中のエンタメだった! - 『侍タイムスリッパー』監督:安田淳一
低予算で作られた『カメラを止めるな!』が全国的に大ヒットし、外国でリメイクされるなど、インディーズ映画の奇跡と呼ばれて7年が経った。いま、再び、同じような奇跡が起こりつつある。
57歳の安田淳一監督が愛車を売って資金を作り、京都で米農家を営みながら、脚本や編集など裏方仕事を1人で11役も務めつつ、わずか10名ほどのスタッフで作り上げた自主制作映画『侍タイムスリッパー』の上映が口コミで各地に広がっている。
監督自ら、『カメラを止めるな!』のヒットを分析し、狙って起こした奇跡であると宣言しているけれど、その通りに成功しているのだからめちゃくちゃ凄い! だって、誰もが『カメラを止めるな!』は特殊な事象と信じ切っていたのだから。
しかも、ジャンルが時代劇。普通に考えたら撮影は大変だし、若い人たちには人気がないし、不利な条件が揃っているとしか思えない。出演者にベテランの俳優は揃っているようだけど、アイドルやインフルエンサーのようにネットでバズる人たちではない。なのに、ここまで旋風を巻き起こせるというのは不思議で仕方なかった。
だが、実際に見てみると不思議でもなんでもなかった。単純にめちゃくちゃ面白いのである!
まず、ストーリーがかなりキャッチー。幕末の京都で会津藩士が息を潜めている。家老直々に長州の若手ホープを打てと命じられ、一世一代の任務についているのだ。そして、ようやくターゲットが現れ、刀と刀をぶつけ合っていたところ、大きな雷がピカッと落ちる! ……次の瞬間、目を覚ますと江戸の街にいた。なにが起きたのやら。わけもわからず彷徨っていると町娘が野良侍に襲われている。助けようとしたところ、
「カット! カット! あのバカはなんなんだ!」
と、怒声が飛んでくる。そう、ここは現代の太秦。会津藩士は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』さながら、雷の強力なエネルギーによって、未来へタイムスリップしてしまったのである。
戸惑う会津藩士は撮影に関わる人たちに助けられ、自分の時代に帰れない現実を前にして、ここで生きていく覚悟を決める。とはいえ、豊かで平和な現代に侍の出番などあるわけもなく、時代劇の斬られ役にすべてをかける。そして、その頑張りが認められ、日本を代表する俳優と監督が制作する『最後の武士』という超大作の敵役をやってくれないかと声がかかるが……。
ここから怒涛の展開でひたすら胸が熱くなる!
もちろん、『最後の武士』とは『ラストサムライ』へよオマージュであり、いまや廃れるばかりの時代劇を次世代に侍の心を残そうという意志の表れだった。それは決して物語的な都合によるものではなくて、安田淳一監督の時代劇愛として作中全面にあふれ出ていた。
メタ的な視点にはなるが、主人公に斬られ役としての極意を指南する殺陣師を演じる峰蘭太郎さん、この方は実際にベテランの斬られ役らしい。もともとは日本一の斬られ役と謳われた福本清三さんが演じる予定だったが、2021年に逝去されたことを受け、代役として白羽の矢が立ったと公式サイトに記されていた。
稽古をつけてほしいと頼まれたとき、峰蘭太郎さんは時代劇を取り巻く現状を寂しそうに語る。かつてはこのスタジオでも月に20本の時代劇が制作され、朝から晩まであちこちで斬られ役が求められたものだけど、いまや、その数もわずかになってしまった。この世界に新しく飛び込むなんて正気な沙汰とは思えない。なにせ、食っていける保証がないのだから……。
対して、会津藩士の主人公は空腹なんて我慢できると答える。武士として生きた自分たち、そして、倒幕によって散っていった仲間たちの意志を未来に残すためにも、時代劇の火を消してはいけないと言わんばかりに。
折しも、『SHOGUN 将軍』でエミー賞を受賞した真田広之さんの言葉が重なってくる。
時代劇のはじまりは1908年製作『本能寺合戦』(監督:牧野省三)と言われている。なんと明治のことである。その後も歌舞伎の演目などを題材に多くの作品が作られ、忍術映画などは特撮の先駆けとして受容された。
大正時代に松竹が映画産業に参入したきっかけは時代劇を海外に売り込むためだったという。そのため、クオリティを上げる方策がとられ、迫力のあるリアルな殺陣が追求されるようになっていく。結果、国内でチャンバラがブームになるだけでなく、第一次世界大戦で映画製作が滞っていた欧米にチャンバラ映画は次から次へと輸出された。
この勢いに乗って時代劇は様々な発展を遂げた。中でも注目すべきは1939年製作『鴛鴦歌合戦』(監督:マキノ雅弘)だろう。脅威の時代劇ミュージカルなのである。昨年、宝塚が舞台化したのも記憶に新しいけれど、いま見ても斬新な演出に満ち満ちている。
1930年代には時代劇の製作本数が現代劇を上回った。ところが戦争が始まり、検閲が厳しくなると流血だったり、痛々しい表現だったり、リアルな殺陣は規制の対象となってしまった。映画はプロパガンダに利用され、庶民の楽しみではなくなってしまった。
戦後は戦後で苦しかった。GHQは武士道をよしとしなかったので従来の時代劇を作る許可はおりなかった。日本刀を振り回すのはアウト。仇討ちはもってのほか。それでも時代劇を作りたいクリエイターたちは工夫した。任侠ものだったり、捕物帳だったり、チャンバラシーンのない時代劇はそうやって生み出されたのである。
この頃、製作されたチャンバラのない時代劇の傑作はなんと言っても1950年製作『羅生門』(監督:黒澤明)だろう。GHQの占領下ながら、ベネチア国際映画祭でグランプリに輝き、世界に日本映画の底力を見せつけた。その後、黒澤明は『七人の侍』を作り、溝口健二は『雨月物語』を作り、日本映画は時代劇を軸に全盛期を迎えた。
その後、テレビの普及に合わせて日本映画の産業規模がシュリンク。それに合わせて、時代劇の主戦場もテレビへと移り変わっていった。NHK大河ドラマは1963年、フジテレビの『銭形平次』は1966年、TBSの『水戸黄門』は1969年、テレビ朝日の『必殺シリーズ』は1972年にそれぞれ方法が始まっている。
風向きが変わるのは1980年代。バブル経済で社会が湧きまくると若者はトレンディドラマに夢中となった。ハリウッドの派手なアクション映画がどんどんヒットを飛ばしまくった。反して、時代劇は視聴率を取れなくなり、ゆっくりと制作される数が減り始めた。
それでも大規模なスペシャル版を放送したり、2000年代以降はキャストにジャニーズを起用したり、時代劇は生き残りのために様々な手を打ってきた。だが、決定的な解決にはつながらず、気づけば民放地上波から時代劇のレギュラー枠は消滅。現在ではBSやCSで再放送を流すというのが主流になってしまった。
つまり、かつては映画やテレビの中心にあった時代劇だけど、世の中の変化によって居場所を失ってしまったのである。それはまるでペリー来航をきっかけに倒幕の勢いが加速し、居場所を失っていった武士たちの無念に重なるようではないか。そういう意味で『侍タイムスリッパー』が描く武士の悲しみと時代劇の無念さは見事に一致するのである。
一見すると荒唐無稽な物語だし、コメディタッチに撮られているし、ただ楽しいだけの映画のようでありながら、俯瞰したところで侍や時代劇への愛でいっぱいなのが『侍タイムスリッパー』の凄いところだ。
特に主人公を会津藩士に設定しているあたり、侮れない。なにせ、彼は現代社会で知りたくない歴史と正面から向き合わなくてはならないのだから。薩長同盟の成立、明治維新、戊辰戦争……。
自分がタイムスリップした後、故郷の仲間がいかに苦しんできたか。そして、現代を生きる人々はそのことも知らず、豊かさを当たり前のものとして享受している。このまますべてが忘れられていいのか? いや、そんなわけはない。やれることをやらなくては。切実な責任感が主人公を突き動かし、本物の侍を映像に収めさせてやるという野望につながっていく。
こうして観客は映画内映画に感動することを通して、歴史の物語を現代的に味わうという二重の理解が可能となる。本来、これは複雑な構造のはずなのに、老若男女が楽しめるエンタメに昇華できているのは驚きとしか言いようがない。
このままどんどんヒットを続けて、年末、テレビで放送されたりしたら素敵だらうなぁ、なんてことを考えた。子どもからおじいちゃん・おばあちゃんまで、親戚一同集まったとしても、この映画なら一緒に見ることができるから。そして、その大衆性こそ、時代劇が持っていた本来の魅力であるから。
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