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【映画感想文】見る側の技術が試されるホラー映画だったんだけど、つまり、わたしにはよくわからなかった - 『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』監督:近藤亮太

 公開を楽しみにしていた映画を見てきた。 『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』という作品で、第2回日本ホラー映画大賞を受賞した短編映画を長編にしたものらしい。

 監督は近藤亮太さん。テレビ東京で放送された話題となったフェイクドラマ『イシナガキクエを探しています』の演出を担当されていた方だ。

 個人的には現実と嘘の境目が曖昧なホラー作品がむかしから好きで、特に、長江俊和監督の『放送禁止』シリーズはこれでもかってのめり込んだ。そういう意味でYouTube以降に盛り上がっている考察系コンテンツはずっと追いかけている。

 ただ、その上で、最近の考察系コンテンツは現実を蔑ろにしているんじゃないかという懸念を感じてはいる。例えば、去年開催されて話題となった『行方不明展』には嫌悪感を覚えた。特に北朝鮮の拉致問題を連想させる表現をしていた点は腹立たしかった。悪意がないのはわかるからこそ、実際に行方不明事件で苦しんでいる人たちが実在するにもかかわらず、それを無邪気にエンターテイメントとして消費できてしまうデリカシーのなさがわたしには合わなかった。面白いを追求する情熱もいいけど、現実の社会問題にも目を向けなきゃダメでしょって。

 そういう意味では『イシナガキクエを探しています』もあまり好きではなかった。コンセプトは楽しいし、イシナガキクエという怪異の見せ方も素晴らしかった。ただ、テレビの公開捜査番組が深夜に放送されるって理屈的におかしくはないか? という現実との兼ね合いが納得いかなかった。生放送の設定なんだとしたら、なぜ、深夜に放送するのか番組側が説明しなきゃ変だと思った。また、こういう番組ってゴールデンのスペシャルが多いのに複数の週に渡って放送する違和感も気になった。

 もちろん、それも含めて考察すべきって話なのかもしれないが、普通の人が普通に生きている中で身につけた常識から乖離した考察コンテンツはマニア向けのもので、カジュアルユーザーなわたしには縁がないんだなぁと突き放された印象を覚える。

 だって、あえて深夜に捜索番組をすることでイシナガキクエという呪いを情報汚染で実体化する狙いが作り手にあるんだろうって考察したとして、その許可を出したテレビ局の編成はどういう意図があるのか? 個人ではなく、そういう集団がテレ東の上層部にいるってことになるのか? だとしたら激ヤバ会社だけど、普通に毎日『おはスタ』を放送したり、『ワールドビジネスサテライト』を放送しているのはなぜ? 隠れ蓑にしては規模がデカ過ぎないか? などなど。謎がどんどん出てきてしまう。

 要するに、フォーマットや演出としての面白さは抜群なんだけど、それを現実に適合させるとき、一般社会の常識とすり合わせができていないズレがわたしにはしんどいのである。こっちは本気で考察するつもりなんだから、社会人として最低限の常識を作り手も共有しておいてくれよって。

 だから、演出を担当されていた近藤亮太さんが監督として全体をコントロールしたとき、どういう映画になるんだろうという期待で 『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』の公開を待ち望んでいた。

 結果から言うと、今回もわたしは突き放されてしまった。

 フォーマットも演出も素晴らしいし、見えない怖さを見せるテクニックも秀一だし、過去のホラー映画作品に対するリスペクトにもあふれているし、突然のビックリ要素もないじわじわした怖さだし、絶賛できるポイントは枚挙にいとまがない。加点方式で捉えたら最高の映画だと思う。

 ただ、現実でそんなことあるかな? って要素に引っかかってしまって、わたしはついていけなかった。

 例えば、2015年、実家ではなく同性パートナーと暮らしているアパートにビデオデッキって普通にあるものなのだろうか? 仮にあるとしたら片方が映画マニアとか、なんらかの状況設定がないと不親切。筋を通すためになんらかのヒントが隠してあったのかもしれないが、わたしには見つけられなかった。

 他にも学生の登山グループが山登り中にカセットテープで録音なんてなんてするかな? という点も気になった。それこそビデオで撮影するんじゃなかろうか? ひょっとして1989年に北海道の旭岳で発生したSOS遭難事件を元ネタにしているのか? なんて考えたけど、そうだったとしてどういう意味があるのかわからなかった。

 これも別にメンバーの一人がフィールドレコーディングが趣味で、まわりに茶化されながらもテープを回していたみたいな設定を足すだけで違和感がなくなるのに、そうしないのはなぜなんだろうと気になった。つまり、あえて普通じゃない行動をさせているのは監督の意図? みたいに考えなきゃいけないことが多くて疲れてしまう。

 本当に細かい話だけど、カセットを再生するとき、早送りで的確に聞かせたいところまで飛ばせるシーンとか嘘つけって思ってしまう。頭出し機能がついているならわかるけど、そうじゃなかったらちょっとずつ早送り、再生、早送り、再生、巻き戻し、再生みたいに手間取るのが普通だったじゃんって。

 てか、ZOOMでカセットの音を聞かせるってシチュエーションも変じゃない? ってツッコミを入れたくなる。スマホで録音して、該当箇所をデータで送った方が確実なのにオンライン通話を選択する理由ってなんなのだろう? 仮に通話をするにしても電話で十分じゃんね。

 また、そんな風にZOOMでカセットの音声を聞かせていたのは女性記者で、その後、おかしなことが起きている山に「わたしも行きます!」とフットワーク軽く向かえるぐらい空気の読めない人間なのに、その性格なら進むでしょって場面で待つことを選ぶみたいな展開も納得がいかなかった。このシーン単体で見たら理解できるんだけど、そこに至るまでの一時間以上の積み重ねと矛盾していることが気持ち悪かった。

 それに映画としても彼女がガンガン進んでいって、場を荒らす方が面白くなるんじゃないの? と思わずにはいられなかった。なんというか、こういう恐怖を描きたいというイメージがしっかりし過ぎていて、それを邪魔するかもしれない登場人物を都合よく排除したように感じられ、急に作り手の意図みたいなものが見えた気がして冷めてしまった。

 たぶん、わたしが悪いのだろう。メインストーリーと関係のないところにいちいち引っかかってしまうというのは。なにせ、ホラーに関係しないところに目をつぶればなんの問題もないのだから。

 実際、ホラー演出のクオリティは高く、短編映画の組み合わせとして見れば、それぞれの完成度は完璧に近かった。特に旅館の息子が淡々とおばあちゃんが体験した恐怖話を語る場面は見事だった。単調な画面で役者がしゃべるだけなのに映像が浮んだし、ぞくぞくっとする気持ち悪さが堪らなかった。

 でも、映画って、ハイライトを並べればいいってもんじゃないとわたしは考えているので、むしろ、強烈なカットよりつなぎ部分のリアリティにこそ価値を感じる。その観点で言えば、個人的に『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』はつなぎ部分をホラーと比べて軽視しているような印象だった。正確に言うとホラー要素の作り込みに比べて、現実描写が甘いというか、常識とズレているというか、ターゲットはホラーマニアでわたしはその枠外なんだろうなぁと寂しくなった。

 だから、そもそもわたしはこの映画を見るべきじゃなかったのだろう。ホラーマニアのために作っているのに、ホラーじゃない箇所に不満を感じるような人間は観客として相応しくないとわかってはいる。

 でも、『リング』とか『呪怨』とか、Jホラーの偉大なる先人たちはホラーマニア意外が納得するリアリティを追求したからこそ、あれだけ多くの人に見られたわけで、そういうものが好きなわたしとしてはマニアじゃない観客にもぜひ寄り添ってほしいと願ってしまう。

 だって、そんな難しいことではないから。リアリティの解像度を上げるだけ。ホラーを薄める必要はまったくない。リアリティがあるように整合性のつく設定を加えるだけでいいんだもの。ホラー演出のためにリアリティを利用するのではなく、ホラーとリアリティを同じ水準で共存させることに成功したとき、従来とは次元の違う恐怖が現れてきて、近藤亮太監督は国民的ホラー作家になるんだと思う。

 間違いなく、近藤亮太監督のホラー演出のレベルは現時点の日本一。その半端なさを素直に楽しみたい人間としては、ホラー以外の構成もマニア以外が納得できる水準になれば、100%大傑作が生まれると確信している。

 残念ながら、今回はわたしの観客としての技術が足りず、その魅力を理解することはできなかったが、近藤亮太監督の次回作がとても楽しみだ。

 それこそ、冒頭で『イシナガキクエを探しています』が合わなかったと書いたけれど、その次回作である『飯沼一家に謝罪します』にわたしはめちゃくちゃハマっているので、考察系コンテンツ作る人たちのアジャスト力の高さに驚いたばかり。フォーマットの特性を活かし、扱う題材のあるあるを押さえ、異常な出来事が現実に起きるとしたらどんな事情があり得るのかという根拠を巧みに固めていた。『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』もそういう調整が行われるだけで、わたしの大好きな映画になっていたはず。

 だって、本当にホラー部分は面白かったんだもの。なんらかの法則によって山の中に現れる廃墟。そこで撮られたビデオテープは同じ瞬間をループしている。亡くなった家族が残された長男の幸せを望み、守護霊と呪いを兼ねたような存在として取り憑いているという複雑さ。いや、この映画に出てくる幽霊はどれもそういうアンビバレントさを持っていた。そして、神を捨てるという土着っぽい不謹慎な習慣が現代まで続いている不気味さは数多ある考察系コンテンツの中でもピカイチな怖さだった。

 どれも短編映画の尺で個別に撮ったら絶対に傑作だろう。逆に言えば、長編映画として成り立たせるための細部が補われば、わたしみたいなカジュアルユーザーも楽しめる映画になると思う。

 そういう意味で見る側の技術が試されるホラー映画だった。




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