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【映画感想文】92歳の仲代達矢も登壇! 「生きている限り真実を待つ」名張毒ぶどう酒事件が闇に葬られようとしている - 『いもうとの時間』監督:鎌田麗香

 今年、最初の映画はポレポレ東中野で東海テレビ制作『いもうとの時間』を見てきた。インターネットでチケットを予約したので知らなかったが、舞台挨拶もついていて、なんとナレーションを担当している仲代達矢さんが登壇された。

阿武野勝彦プロデューサー、仲代達矢、鎌田麗香監督

 御年92歳。重要なテーマの作品だから引き受けたと力強く述べられていたのが印象的だった。

 なんでも、東海テレビでは名張ぶどう酒事件に関する番組をこれまでに何本も制作してきて、仲代さんとの付き合いは15年に及ぶとか。

 しかし、阿武野プロデューサー曰く、劇映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』の主演オファーを仲代さんははじめ断っていたという。

 実在の人物を演じるということの重みに耐えられないという理由だったが、実は「仲代さんが出るなら」と樹木希林さんに出演OKをもらっていたので、やばいことになったと焦ったそうだ。

 ただ、帰りの新幹線でスタッフから説得されたようで、後日、仲代さんから「まずは脚本を読んでから」という返事をもらえたとか。

 ちなみに『約束』が公開されたときも舞台挨拶があり、仲代さんと樹木さんの二人が登壇されたらしいのだが、そこで樹木さんはこの映画に出たせいでわたしたちは干されるかもしれないと発言されたそうだ。冤罪の可能性が高い事件の内幕を描く内容は反権力であり、表現の自由があるとは言え、風当たりの強さを思わせる一言である。逆に言えば、日本映画界を代表するような名優がそういう作品に出演してくれたというのはありがたい。

 名張ぶどう酒事件は1961年3月、三重県名張市葛尾地区の公民館で起きた大量殺人事件と知られている。村の宴会で振る舞われたワインに農薬が入れられていて、それを飲んだ女性17人が中毒に、うち5人が亡くなった。

 このことは「第二の帝銀事件」(戦後を代表する毒殺事件)として、瞬く間にマスコミが報じ、警察の捜査にも力が入った。結果、逮捕されたのは村長の自宅に置かれていたワインを公民館に運んだ奥西勝さん(当時35歳)だった。

 取り調べで奥西勝さんは三角関係を解消するため、妻と愛人を殺そうと思ったと供述。逮捕前には警察主導で記者会見を開かされ、まさかこんな大事になるなんて申し訳ないとカメラの前で謝罪させられている。

 だが、その後、無罪を主張。自白が強制されたものだと告発した。第一審はこれを指示。裁判長および裁判官が事件現場を視察するなど熱心に取り組み、目撃証言が自白内容に合わせて変更されていることなどを指摘。検察が努力したことは認めるという皮肉をつけて、無罪判決を出した。

 とはいえ、その間、犯人として奥西勝さんの居場所は村からなくなっていた。自宅には被害者の家族が土足で乗り込んできて、とんでもないことをしてくれたな! と暴れ回った。奥西家の墓は移動させられた。お母さんはその場所に住み続けることはできなかった。嫁いでいた妹・岡美代子さんが無罪判決で釈放された兄を引き受けた。夫婦で支えた。奥西勝さんも仕事を見つけ、一生懸命、人生を取り戻そうと頑張っていた。

 そんなとき、第二審が開かれ、検察が新たな証拠を提出し、ワイン瓶の王冠についていた歯型が奥西勝さんの歯型と一致するという理由で逆転死刑。再び、拘置所に収監されてしまう。

 上告するも最高裁に棄却され、死刑は確定。奥西勝さんは死刑囚になってしまう。一審で無罪だったのに、二審で逆転死刑となり、最高裁で審議がなされることなく死刑が確定した事件は現行の刑事訴訟制度において名張毒ぶどう酒事件のみである。

 一般人の感覚からするとそんなことってありなの? と怖くなる。なんのための最高裁なの? って。

 家族は奥西勝さんの無罪を信じて、再審請求を続けた。弁護団も結成された。最新の技術で決め手となった王冠の歯型を3D解析したところ、奥西勝さんのものとは異なっていることが判明した。かつ、検察側が写真のサイズを加工して、見た目を寄せていたことも判明。だが、それでも再審請求は却下された。

 2005年、第7次再審請求でようやく重たい扉は開いた。農薬の種類に関して自白との矛盾が発見されたなど、複数の理由が組み合わさって、再審開始が決定された。しかし、すぐに検察は反論し、再審決定は取り消しとなった。

 そんなことをしているうちにみんな歳をとってしまった。お母さんは亡くなり、息子も亡くなり、義理の弟も亡くなった。ついには奥西勝さん自身も病に倒れ、死刑囚のまま、2018年、八王子医療刑務所で亡くなった。89歳だった。

 再審請求ができるのは親族だけ。2025年現在、生きているのは94歳の妹・岡美代子さんだけ。ドキュメンタリー『いもうとの時間』はそんな美代子さんに姿を映し出す。

 岡美代子さんの「ほんとにもう……。わたしの一生は……。もう……。事件のことで……」とぼやく姿が胸に刺さった。

 弁護団の調査で検察側が証拠をすべて明らかにしていなかったことがわかった。奥西勝さんが亡くなったいまとなっては判決が変わったとして、社会的に困ることはなにもない。困るとしたら検察がとんでもない失態をしてしまったという真実がわかるだけ。だって、冤罪で奥西勝さんとその家族の人生を台無しにした結果、真犯人は平気な顔で一生を送れたわけなのだから。客観的に見れば、真実を明らかにしないといけないに決まっている。

 なのに、検察も裁判所も再審請求を棄却し続けるのだろう。こんだけ多くの疑惑が出ている上に、世の中の関心も高まっているのだから、調べられるだけ調べた方がいいに決まっている。

 当時の警察も検察も腐っていたということは周知の事実ではないか。袴田事件も無罪になったわけで、わたしたちは昭和の間違ったやり方に向き合い、反省すべきときがきている。そうじゃないとこれからも多くの冤罪を作り出してしまうかもしれない。未だに容疑者の段階でマスコミが犯人扱いする報道は続いている。その空気が警察や検察に対するプレッシャーとなり、裁判が勝負の場と化している。

 だいたい、勝訴やら敗訴やらって言葉に違和感がある。裁判っていうのは真実に迫ろうとする場所であり、戦争をしている場所じゃない。そこに勝ち負けの論理を持ち込むせいでプライドの問題になってしまう。

 本来、検察は負けたっていいはずなのだ。警察だって間違った容疑者を逮捕したってかまわない。なにがダメかって、裁判で真実を確かめる前に容疑者およびその家族を攻撃することなのだ。そういう世間の振る舞いこそ咎められなきゃいけない。

 逮捕で事件は終わらない。その認識が広がらないことには冤罪はなくならない。この人が犯人じゃないとしたら誰が犯人なのか、次の捜査を始めるための過程に過ぎない。

 だから、検察はすべての証拠を出すべきだ。というか、証拠を隠すって普通に考えておかしいでしょ。隠さなきゃいけない証拠ほど重要なものに決まっている。隠された証拠が存在する時点で冤罪と言わざるを得ないって。

 もちろん、弁護団の指摘に対して、検察はそんなことしていないと答えるだろう。でも、むかしのことなんだし、本当に証拠の隠蔽がなかったかを確かめるためにも再審に応じた方がいいんじゃないの? とわたしは素朴に思ってしまった。検察が冤罪をなくしたいと思っているのであれば。

 舞台挨拶で仲代達矢さんが「生きている限り真実を待つ」という映画のキャッチコピーを繰り返しているのが印象的だった。

 名張毒ぶどう酒事件の真実を闇に葬ってはいけない。




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