【ショートショート】穴二つ (1,882文字)
三十年前、小学校低学年だった頃、図書室に置いてあったドラえもんの学習読本を夢中になって読み耽った。中でも科学に関するものが面白く、いまでも内容を覚えている。
なんでも、地球のまわりにはオゾン層というものがあり、これが太陽から発せられる悪い光を吸収してくれているので、わたしたちは生きていられるんだとか。ところが、最近、そこに穴が開いてしまったという。
原因はフロンガスにあるんだとか。人間が作り出した化学物質で、冷蔵庫やエアコン、スプレーなんかに使われているようで、ドラえもんが「人類が生き延びるためにも生き方を考え直そう」みたいなことを言っていた。
幼かったわたしは素直に信じ、帰宅後、冷蔵庫やエアコンの電源を抜いて、両親のスプレー缶をゴミ箱に捨ててしまった。もちろん、溶けたアイスを片手にこっぴどく叱られた。
「でも、地球温暖化で人類は滅亡しちゃうんだよ！」
必死で反論したけれど、バチンッと頭を叩かれてしまって、自分の無力さを痛感した。
結局、中学生になって、科学をちゃんと勉強してみれば、オゾンホールは本当の穴ではなくて、単に濃度が低い部分の通称に過ぎないと理解した。そして、そのサイズは人間活動と関係なく大小することが判明しているようで、
「地球温暖化とは関係がなかったらしい」
と、先生が教えてくれた。
ただ、フロンガス自体に温室効果があるため、いまでは家電製品やスプレーなど、日常生活で使われることはなくなったそうだ。
思わず、ドラえもんを恨みそうになったけれど、あの本はわたしが小学校に入学するよりも前に書かれたものみたいだったし、当時の知識では不明なことがいっぱいあったのだろう。
案の定、ネットで調べたら、地球温暖化はウソだったという記述が次から次へと出てきた。どうやら、オゾンホールに限らず、根拠とされていたデータの間違いがいろいろと見つかっているんだとか。
なーんだ。ぜんぶ杞憂だったのか。そんな風にやるせなくなさを覚えると同時に、夏休み、炎天下の校庭で陸上部の練習中、仲間と一緒に熱中症で倒れながら、「百パーセント、地球暑くなっているよね？」と身体で不安を感じてもいた。
ただ、だからって、わたしにできることはない。高校受験と大学受験を普通に頑張り、人並みに大学時代をそこそこエンジョイ。月に数万円の貯金ができる程度の会社に就職、平均的な人生を懸命にこなしている間、さほど、地球温暖化について考えてはこなかった。
だから、今日、帰りの電車でぼーっとSNSのタイムラインを眺めているとき、急停車で揺れた拍子にミスタップをしなければ、きっと、こんな記事を読んだりはしなかった。
＊ ＊ ＊
北極圏の永久凍土に巨大な穴が出現
更新日：202X.XX.XX 公開日：202X.XX.XX
北極圏の永久凍土で巨大な穴が発見された。昨年のドローン調査では見つからなかったもので、この一年で出現したものと推測されている。
専門家によれば、地球温暖化で北半球の平均気温が上昇したことで、永久凍土が融解した可能性が高く、いまも穴は拡大を続けている。
ロシアの研究チームが穴の内部を調査したところ、地下に溜まったメタンガスが温められたことで爆発し、氷や岩石が吹き飛ばされた痕跡も発見された。
＊ ＊ ＊
メタンと言えば、二酸化炭素に次ぐ温室効果ガスである。そんなものが北極の氷の中に眠っていたとは驚きだった。
いや、そんなことより、地球温暖化が原因でその氷が溶けた結果、メタンガスが地表に噴出したというのはえらいことではなかろうか。だって、ますます地球は暑くなってしまうわけで、氷の穴はさらに拡大。パチンコの確変よろしく、いけるとこまでいってしまうに決まっているもの。
もしかして、人間は押しちゃいけないスイッチを無意識に押していたのではなかろうか。オゾン層に穴なんて開いていないとか、事態を都合よく解釈しようとしているうちに、終わりを始めていたのではなかろうか。
気づけば、車内に人はいなくなり、がらんどうとしていた。アナウンスを聞くに、わたしは目的の駅を乗り過ごしてしまったらしい。
とりあえず、次で降りることにした。知らない場所だった。人気はなく、静かな夜空に星がきらきら輝いていた。
上りの電車が来るのを待ちつつ、わたしは遥かな宇宙を目を凝らした。すると、ぼんやり、ないはずの穴が見えた気がした。
やっぱり、あの穴を埋めようと努力することに意味はあったのだ。そのまま放置したせいで、もうひとつ、穴が開いてしまったよ。
ごめんね、ドラえもん。
(了)
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