見出し画像

【マシュマロ】本当に「つまんねーもんはつまんねー」のか? 面白さ・つまらなさがどこにあるのか考える

 マシュマロにご指摘を頂きました。

ありがとうございます。

こちらは拙記事『【映画感想文】「期待はずれでクソつまらない」と腹を立てる我々もまたジョーカーであると伝えるため、巨額の予算を費やした世紀の大駄作! 素晴らしい! - 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』監督: トッド・フィリップス』についてのご指摘ですね。

これは面白さ・つまらなさがどこに存在しているか考えていくと見えてくるものがあるような気がします。

「つまんねーもんはつまんねー」という言葉から判断するに、面白さ・つまらなさをコンテンツに内在している状態として認識されているんじゃないでしょうか。

その場合、面白いコンテンツは常に面白く、つまらないコンテンツは常につまらないといけなくなってしまいますが、これはちょっと現実に起きている出来事と合致しません。

なぜなら同じコンテンツでも人によって面白く感じたり、つまらなく感じたり、様々な反応があるのは周知の通りだからです。なんなら、同一人物が同じコンテンツに繰り返し触れたとしても、年齢や立場によって受け止め方が変わったりもします。

してみると、面白さ・つまらなさはコンテンツの内側ではなく、外部に位置していると考えられ、「つまんねーもんはつまんねー」は成り立たなくなってしまうのです。

じゃあ、面白さ・つまらなさはどこにあるのか?

それはコンテンツとユーザーの関係性の中に現れてくるもので、こちらが面白がれるかどうかにかかっているんじゃないかとわたしは仮定しています。結局のところ、面白いとは自分がその楽しみ方を知っているということ、つまらないとはそれを知らないということに過ぎないんだと思います。

だから、子どもの頃はつまらなかった本や映画も、人生の経験を積むと面白く感じられるようになるし、仲間内では爆笑のネタもグループを一歩離れれば寒いと言われてしまうのです。

なので、監督がそこまで考えていなかったとしても、わたしがそこまで考えることができたのであれば、つまらなさを面白さに転換することは可能であり、個人的にはそのことを言語化していく行為が大好きです。

そして、そうだとすると、たしかにわたしは映画をライティングのネタにしているし、逆張りのつもりはなくとも新しい解釈の仕方を追求しているし、シンプルにオタクですね。ご指摘通りで恥ずかしい限りです。




マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大募集!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
見てほしい映画、
社会に対する憤り、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!! 


ブルースカイ始めました。
いまはひたすら孤独で退屈なので、やっている方いたら、ぜひぜひこちらでもつながりましょう! 

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集