
【ショートショート】法的に正しい男 (1,757文字)
あるところに法的に正しい男がいた。彼はいつも法的に正しいので、軽犯罪すら絶対に犯さなかった。まったく車が走っていない道でも赤信号では止まったし、コンビニで釣り銭を多くもらわないかと常にビクビク怯えていたし、うっかりSNSで名誉毀損の拡散に協力してしまうんじゃないかと恐れ、自分で投稿しないのはもちろん、いいねもリポストも押すことはなかった。
彼は他人にも厳しく、子どもの頃から友だちが意図せずルールを破るや否や、先生に告発するためチクリ屋として嫌われていた。それでも勉強はできたので、学校は学舎であるというモットーを胸に、彼なりの青春を謳歌した結果、東京大学文科一類に現役合格。日本最高峰の法学部の門をくぐるに至った。
そこは彼にとって理想の環境だった。教授も学生も誰もが六法全書に慣れ親しんでいて、ちょっとしたジョークすら法律にまつわるものだったから、初めて心から笑うことができた。飲み会の話題も最近出た判例をどう解釈すればいいとか、一票の格差を是正しようとしない政府に三権分立の観点から裁判所はどう対応すべきかとか、興味深い内容にあふれていた。
生まれて初めて友だちらしい友だちができた。公立の学校の連中と違って、君たちのような意識の高い人間と出会えて幸せだとしばしば喜びを口に出した。それなりに恋もした。人並みに出会いと別れを繰り返し、ひとつ下の後輩と生涯を共にしようと約束した。
司法試験に一発で受かり、司法修習の成績もよく、裁判官に抜擢された。いくつかの地方裁判所で実務を積み、大きな事件の判決にも多く関わった。結婚し、子どもも二人産まれ、なにもかもが順風満帆だった。あとはとんとん拍子で大阪高等裁判所で長官を務め、時の政権から声がかかり、四十六歳にして、史上最年少の最高裁裁判官に任命された。
幸か不幸か、このことは様々なメディアで報道された。これまで最高裁裁判官について国民が関心を持つなんて考えられない事態だったが、YouTubeの番組でたびたび最高裁裁判官の国民審査で罷免になった人が一人もいないのはおかしいと言及されていたこともあり、とりあえず不信任のバツをつけるようにしようという動きが世間に注目広まりつつあったので、どんなやつが選ばれているのか見てやろうという機運が高まっていた。逆にいうと、内閣もそのことを察し、上級国民を体現しているような高齢者を選んだらヤバいという危機感の上、イメージ戦略で若い彼を選んだという経緯があった。
しかし、いまの世の中、注目を浴びると損をするのが常である。たちまち週刊誌は彼の過去を漁り始め、幼い頃から権力者に癒着する癖があったという彼にとっては寝耳に水の報道がなされた。
法的に正しい生き方を誇りにしてきた彼にとって、それはあり得ないことだった。だが、記事を読むと、同級生を先生にすぐ売るチクリ屋だったという与太話を皮切りに、学生時代、庶民はダメだとよく言っていたとか、ストーカーのようなことをしていたとか、彼と交際していた恋人たちから不同意性交の疑いを告発されるなど、身に覚えのある瑣末な出来事が針小棒大に取り上げられいて、いささか不安になってきた。
自分としては違法なことをしていない認識だったので、いずれもプライバシーを侵害する行為であると確信していた。だから、彼は週刊誌を片っ端から名誉毀損で訴えたのだが、世間はこれを権力による圧力と見た。
結果、彼は日本で最初の最高裁裁判官の国民審査で罷免されてしまう。裁判官としてミスをしたわけではないのに、真偽不明な情報によってふさわしくないとされるなんて。どだい納得いかなくて、テレビ番組のカメラが突撃で「いまの心境は?」と尋ねてきてたとき、思わず、
「おかしいだよ!」
と、怒鳴り上げてしまった。
「なにがですか?」
「こんなことで罷免されなきゃいけないなんてふざけているだろ」
「しかし、法律で定められた通りの手続きですよね?」
「ああ。そうだよ。だから、法律がおかしいって言ってんだ。今回の件で俺は気づいた。ルールは守ればいいってもんじゃない。ルールが間違っている場合もあるんだからな。そのことをみんなに伝えたい!」
熱く語る彼の様子を画面越しに見て、国民は大いに笑った。
「なにをいまさら当たり前なことを」
(了)
マシュマロやっています。
匿名のメッセージを大募集!
質問、感想、お悩み、
読んでほしい本、
見てほしい映画、
社会に対する憤り、エトセトラ。
ぜひぜひ気楽にお寄せください!!
ブルースカイ始めました。
いまはひたすら孤独で退屈なので、やっている方いたら、ぜひぜひこちらでもつながりましょう!