【時事考察】フジテレビはどうすればよかったのか? 世界が右と左ではなく、上と下に分断した現代社会で生き残るための簡単な方法
フジテレビがマジでヤバい。
やはり港浩一のクローズドな社長会見を評価する人なんて一人もいなかった。やはりスポンサーが続々CMをACジャパンに差し替えている。Bloombergをはじめとした海外メディアもスキャンダルではなく経済ニュースとしてFuji TVの失策を報じている。
トヨタや日本生命など業界の方向性を決めるトップ企業の判断はあまりに重い。週明けの今日から他社も続々CM取り下げの動きを発表すると見られている。それに伴ってフジテレビのイメージは急降下。各地でフジテレビのドラマにはロケ協力したくないという声が上がっている。
このままスポンサー離れが進むと市場的に関わることがマイナスな放送局のイメージができあがる。タレントも出演をやめるし、アニメやドラマに原作提供する作家もいなくなるだろう。世間的にフジテレビから取材されるメリットもなくなり、転職できる社員は辞めていくし、番組制作が不可能になったとしてもおかしくはない。
予想通りと言えば予想通りの展開だけど、約一週間前、中居正広がお粗末な謝罪文をリリースした直後にちゃんと問題に向き合っていれば、ここまで酷いことにはならなかったはずた。
フジテレビはどうすればよかったのか?
答えは簡単。すぐに第三者委員会を設置し、調査結果を待てばよかった。港浩一は社長として週刊誌の内容は遺憾であるとし、そのようなことが本当にないのか、徹底的に調べてもらいますと言えばよかったのだ。
そもそも中居正広問題は刑事事件になっているわけでも、被害者から直接的な告発がなされたわけでもないのだ。週刊誌に真偽不明な情報が掲載されただけ。右往左往するようなことではないはず。
従って、慌てて中居正広出演番組の放送を止める必要もなければ、社長が謝罪する必要もなければ、社員は関与していないと発表する必要もない。疑惑を確かめるため、上場企業として、放送局として、公平な調査を行うだけでいいのだ。
そんなことは子どもでわかる。だから、意味不明な対応ばかりしているフジテレビに誰もが疑問を抱かざるを得ない。なにか隠しているんじゃないの? と。
もちろん、港浩一だってわかっている。なのに、この期に及んで辞任することもなく、やるだけ損なボラギノール会見を開き、「第三者の弁護士を中心とする調査委員会」という「消防署の方から来ました」みたいな詐欺師構文を使ったのはなぜだろう。素直に考えれば、よっぽど第三者委員会を作りたくないからに決まっている。
すでに方々で解説されている通り、日弁連のガイドラインによれば、第三者委員会とは独立性が完全に担保されている存在である。その調査に会社は全面的に協力しなくてはいけない。LINEのやりとりを含むすべての情報を提供する必要があり、調査結果の公表は会社の意図は関係なく行われる。加えて、会社は調査範囲を限定することもできない。
つまり、中居正広問題の調査過程で他の問題が発覚した場合、すべて表沙汰になってしまうのである。日枝久関係でなにかあったとしても、スポンサー関係でなにかあったとしても、コネ入社関係でなにかあったとしても、すべてが公開されてしまうわけで、それだけは阻止しなければと港浩一は命懸けなのかもしれない。
無論、そんな闇がフジテレビにあるのかどうかは調査するまでわからない。だが、ほんのちょっとでもあるかもしれないという可能性があったとき、第三者委員会の設置はあまりにも大きな決断過ぎる。
だとしたら、日本中(いや世界中)からダメな社長と叩かれるようとも、放送局としてのフジテレビが死んでしまおうとも、利害関係者の秘密を守ることを重視し、誰がどう見てもゼロ点な会見を開いたことにも納得がいく。控えめに言って、社長としてはうんこ召し上がれな振る舞いだけど、仲間思いという意味では凄い人なのかもしれない。
しかし、残念ながら、その仲間はいわゆる上級国民とされる人たちと思われてしまっている。実際どうなのかはわからないけれど、たぶん、そうなのだろうという可能性だけで十分。ソースが不明でも、Google検索すると出てくるフジテレビの平均年収1304万も給料をもらっていない我々庶民からすれば、自然、「ふざけんじゃねえよ」のスイッチが入ってしまう。
中居正広がなにをやったのか。中嶋優一がなにをやっていたのか。佐々木恭子アナウンサーがどう悪かったのか。みなと会がどういう集まりなのか。日枝久がどういう風に卑怯なのか。ひとつも確かな情報は出てきていない。第三者委員会が調べたら、実は、いずれも特に問題がないという結論は至る可能性だって全然ある。
でも、もはや、ことはそういう段階ではないのだ。港浩一が上級国民な仲間たちを守る姿勢を示した時点で、フジテレビは国民の敵になってしまった。
ただでさえ近年のフジテレビはヘイトを溜めてきた。2011年の抗議デモから始まり、浅田真央選手に対するネガティブキャンペーン、アナウンサーによるステマ疑惑、上垣アナに対する公開イジメ、大谷翔平選手の自宅公開など枚挙に暇はない。そして、それらをちゃんと対処することなく、ここまで平然とやってきたので、なにかのきっかけひとつで簡単に爆発する状況ができあがっていた。
そこに中居正広問題が起こり、フジテレビ問題へ発展。ホリエモンはそれを日枝久問題とさらに掘り下げ、インフルエンサーは株式を購入、6月26日に予定されている株主総会に参加することを次から次へと表明するに至った。これこそが本当の「お台場冒険王」とみんなで日枝久の登場をワクワク待っている。
さながら市民革命のようである。きっとフランス革命も真偽不明な疑惑が続出する中で、検証とかどうでもいいから一番卑怯なやつを引きずり出して、痛い目見せてやろうぜ! という盛り上がりから起こったんだろうと想像される。
フランス革命は「貴族がなんかズルいことしてんぞ」という話から始まった。
財務長官ネッケルが財政赤字を解消するため貴族への課税を提言したところ、貴族はこれに反発、一丸となってネッケルを罷免に追いやった。このことが報じられるとパリの人々は怒り心頭。貴族許すまじの精神で暴れまくった結果、バスティーユ牢獄の襲撃につながっていったというのだ。
なぜバステューユ牢獄を襲撃したのか。それはバステューユ牢獄が国王の権力を象徴する場所だったことに加えて、弾薬や火薬が保存してあるらしく、それが手に入ると勢いづくよねみたいに大衆の意見は錯綜していたようだ。ただ、一点、貴族はうざいという考えだけで大衆は連帯していたので、そのパワーは半端なかった。
たぶん、当時の大衆にとって、ルイ16世やマリー・アントワネットが本当のところどんな人間だったかなんて、もはやどうでもよかった。バステューユ牢獄の実態にも興味なし。革命の後に再建したい社会のイメージだってもったいない。とにかく貴族をぶっ飛ばしたかっただけなんだと思う。
フジテレビ問題もそれぐらい収集のつかない状況になりつつある。ここまで来たら初めて民放が倒産するところを見てみたいという興味で事態を眺めている人も増えてきた。そうなるとスポンサーに対して大衆はフジテレビにCMを出してんじゃねえと言いたくもなってくる。スポーツの応援をするように広告を撤退した会社にエールが送られる。
スポンサー企業としてはこれほどフジテレビから広告を取り下げる絶好のチャンスは他にない。だいたい、ネット広告の規模が拡大している昨今、各社、テレビ広告にどこまで効果があるのか疑わしくもなっていただろう。とはいえ、他社がやっているし、広告代理店と長い付き合いがあるし、いきなりやめるというのも難しい。だから、じわりじわりと金額を減らしつつあったわけだけど、まさかのフジテレビ側のチョンボによって、まとめて取り下げる口実が舞い込んできた。
ジャニーズ問題のときに明らかとなったけど、テレ広告は番組に対するスポンサーとなるため、意図せず責任を負わされてしまう点でリスクが大きい。基本的には番組内容に口を出せないにもかかわらず、演出や演者にトラブルがあったとき、なんでこんな番組に金を出しているんだと叩かれる。端的に言って理不尽だ。
対して、ネット広告はランダム表示なのでコンテンツの問題とスポンサーは切り分けられる。YouTubeで差別的な動画にCMが流れたとしても、企業がYouTubeにそんな関連付けはやめてくれと抗議することがあっても、ユーザーから攻撃されることはない。苦情が来るとすればCMの内容に対するものだけど、それについては受け入れざるを得ないだろう。
当然、企業はリスク管理の面からもテレビ広告よりネット広告に比重を移していきたいのは明らか。あとは慣習を捨てる勇気としごらみを切り捨てる言い訳だけが必要だった。
良くも悪くも、個人間のトラブルという永遠に真実がわかりようのない中居正広問題は便利だった。スポンサーにしてみれば、フジテレビに解明を求めるだけで100%優位に立てる。かつ、自分たちが広告を取り下げれば取り下げるほど、フジテレビの企業としての価値は落ちていくので、新たにテレビCMを流すとき単価を買い叩くことも可能になる。
従来、テレビ局のビジネススタイルは不動産に例えられてきた。放送法に基づいて放送枠という土地は限られてことを根拠に価値があると主張してきた。企業としても独自メディアを持つのは不可能なので言い値に従わざるを得なかった。結果、大金を出しているのはスポンサー企業なのに、テレビ局の方が偉そうな態度を取るという歪な関係性が長いこと続けられてきた。「なんでフジテレビの社員の平均年収が1304万円なんだよ?」と誰もが腹の中では不満に感じてきた。それでも、フジテレビというブランドは圧倒的だからこそ、本音を隠してニコニコ付き合っていくしかなかった。
そういう意味でもスポンサー企業はこうなることを密かに待っていたのかもしれない。港浩一は記者会見の日程を1月17日(金)の夕方に設定し、阪神淡路大震災から30年のニュースに被せつつ、各企業が土日で対応が遅れるだろうと目論んでいたけれど、日本生命やトヨタなどすぐにCMを差し止められたのは準備万端だったからに違いない。
特に日本生命は筒井会長が経団連のトップに就任したばかり。これからの日本企業のあり方として、どのようなコンプラ意識を持っていく必要があるのか示すことに成功した。また、トヨタも世界企業として自社のコンプラ意識の高さをアピールした。
ともにBloombergで報じられるなど世界的ニュースとなっていた。フジテレビのチョンボを見事に活用。お手本のような広報で、電通や博報堂に広報の多くを頼っている他社との差が目立った。
このあたりの駆け引きも含めて、正直、フジテレビのCMがどれくらいACジャパンに変わっているのか確かめるのはめちゃくちゃ面白い。未だCMを流し続けている会社は重要な判断を即座にできないのだろうと容易に推測されるので、週明けの株価にも影響すると思う。
そんなわけで、ここ数日、わたしは近年稀に見るほどフジテレビに夢中である。なんなら、普段、テレビは配信サイトの映画を大きな画面で見るためにしか使っていないので、これほど地上波の放送を見ているのは十何年ぶり。1993年生まれのわたしにとっては水曜日の9時から『トリビアの泉』『水10!』『ネプリーグ』とノンストップでテレビにかじりついていた頃が思い出される。
だからってわけじゃないけど、フジテレビが倒産するのを期待するのは違う気がしてしまう。港浩一の社長会見によって死んでしまったけれど、一応は報道機関なわけで、社会の公器として資本主義のおもちゃになってしまうのは社会的にまずい。
本来、マスコミは第四の権力として、国家権力に対して大衆の声を代弁しなければならない。さもなくば表現の自由はあっという間に規制され、国家は都合よく物事を決められるようになってしまう恐れがあるから。戦前の経験を踏まえ、戦後民主主義はそこだけを徹底的に守ってきたではないか。
なのに、フジテレビがあまりにも愚か過ぎて、総務省を通してフジテレビに圧力をかけると宣言し、実際に行動している国会議員が支持を集めてしまっている。そりゃそうだよ。なにもかもが不明なままなんだもの。むしよ、ダンマリを決め込んでたら政治家にこそ不満を覚える。特に子弟がフジテレビ社員の議員もいるでしょ。どうなってんだよ? って話だよね。
でも、冷静になってみれば、国会議員が放送局に圧力をかけるって相当にヤバいこと。これをきっかけに国家権力が表現の自由をコントロールするようになってもおかしくはない。
というか、フジテレビ問題の本質はここにある。中居正広とか、中嶋優一とか、港浩一とか、おっさんたちが欲望を丸出しにしょうもないことをやっているせいで、強権統治がしれっと姿を表すかもしれないんだよ。万が一そうなったら、お前ら、揃いも揃ってなにやってんだよって感じでしょ。
中居正広にしてみれば、調子に乗り過ぎただけなのかもしれない。でも、有名人の失敗を世の中の魑魅魍魎はここぞとばかりに利用する。中居正広が保身ですべてを有耶無耶にしたまま逃げ出したことで、憶測が憶測を呼び、それぞれが自分のストーリーを展開させるための便利な材料として使い始めてしまった。
このような動きは中居正広問題に限らず、近年、繰り返されてきた。ずっとタブーとされていたJKT、ジャニーズ・歌舞伎・宝塚の不祥事を隠すことができなくなり、各業界の体制は根本からひっくり返った。お笑い界の権威だった松本人志はあっさりと消え、吉本興業の影響力は著しく低下した。安倍派の裏金を端緒に自民党の派閥は解体。ようやく本当の意味で「もはや戦後ではない」がやってきた。
じゃあ、これからの時代が明るいかと言えば、きっとそうじゃない。どうしようもない上級国民を追い出すというスローガンに大衆が熱狂し、マジでどうしようもない既得権益者の代わりに強権的な人物が様々な組織を率いるようになるだろう。ますますコスパやタイパが重視され、トリアージという名の切り捨てによって、恣意的に物事の価値が決められていく。
2022年の末、『徹子の部屋』にゲスト出演したタモリさんが2023年について聞かれ、「新たな戦前」と言ったことは大きな話題を呼んだ。2025年。フジテレビの崩壊を合図に日本はいよいよ「新たな戦前」に突入するんじゃないかとわたしは本気で危惧している。
既得権益者に対する反発は年々増している。既得権益者の定義も少しずつ変容していて、いまでは同じポジションに長くいる人物を指すようになった。そのため、以前の定義であれば与党である自民党に対抗している立憲民主党は反権力になるはずだったが、いつまでも野党第一党であり続けているために既得権益者と看做されるようになってしまった。このことを立憲民主党の人たちは認識できていなかったので、石丸伸二さんや国民民主党の躍進を予測できなかったのではなかろうか。この理屈だと共産党も既得権益扱いされるので、赤旗が裏金問題を追求したにもかかわらず、衆院選で議席を減らしたことにも説明がつく。その是非はともかく人々は変わり映えのしないメンツに飽き飽きし、別に、その政策を支持をしていなくても、新しい革命家にワンチャン投票するようになった。そうしなければ、このままダラダラと日本は沈んでいきそうだから。
一発逆転。そんな言葉が頭をよぎる。既得権益者を倒せれば、世の中が大きく変わるかも。わたしの人生にも幸運が舞い込んでくるかもしれない。
社会の階層が固定化され、親ガチャ次第で人生が決まってしまうような絶望感が若者の間に広がっている。努力すればなんとかなるという幻想はすっかり打ち破られた。毎年、数十万、数百万という教育費をかけてもらえる子たちがいい学校に通い、いい会社に就職し、いい生活を送るってことが当たり前となり、なのに、そういう恵まれた人たちは難関の受験や就活を乗り越えたという認識から自分は努力で現在のポジションを得たのだと信じ切っている。そうして、いい学校に通えず、いい会社に就職できず、いい生活を送れていない人たちは努力が足りないと平気で言ってのける。
こんなのふざけるなって話ですよ。
なお、いい生活をしている人たちが本当にそんなことを言っているのかはわからない。でも、上記のように書いてみると言ってそうに思えてくる点が重要で、例えば、SNSでキラキラした写真に「慶應→電通→FIRE」みたいなプロフィールを添え、自己啓発本っぽいことをつぶやいているアカウントがあったとしたら、わたしたちはその人が本当に実在するかを確かめることなく、素朴にうざいと思ってしまうもの。
このとき、真実なんてどうでもいい。高学歴のエリートはうざいという印象だけが現実に広がり、ヘイトとして蓄積。なにかのきっかけで爆発してしまうのだ。
2016年、イギリスのEU離脱に関する国民投票やアメリカ大統領選挙を巡って、ポストトゥルースという言葉が流行った。当時、それは客観的事実よりも個人的な感情が優先され、人々がフェイクニュースに騙されるようになる現状として捉えられていた。だからこそ、ファクトチェックが必要と言われ、そういう組織がいくつも立ち上がった。
しかし、本当にそうだったのだろうか? 人々はフェイクニュースに騙されていたのだろうか?
なるほど、たしかにそういう人もいるだろう。でも、客観的事実を理解できない人が多数派の国でビジネスなんて成立するとは思えない。
してみれば、逆説的に大衆はバカじゃないと考えられる。いや、正確に言えば、あえてバカを演じることのできる強かさで日々を生き抜いている、と。
卑怯なやつらを引きずりおろすためなら、真実なんてどうでもいいのだ。嘘でもなんでも利用する。ポストトゥルースというのは大衆の反逆だったのだとわたしは思う。そして、それはいまも続いているし、その傾向はこれからますます強くなっていく。
もはや人々は右と左では大して分断していない。というか、右と左で分かれるためにはそれなりの知識が必要で、そういう話ができる時点で既得権益側なのだ。討論会として称して、本人たちは思想の違う相手と本気でやり合っているのだけど、庶民からすると仲間同士の茶番に見えてしまう。
むしろ、そんな茶番を永遠繰り返している連中を全員追放してやる! みたいな声の方が庶民には響く。共感できる。こうして人々は上と下に分断されてしまった。
15世紀、グーテンベルクの活版印刷によって聖書が普及したことで、それまで最初の中身を特権的に独占していた教会の嘘が発覚し、ルターの宗教改革につながったと言われている。その後、書籍を通して啓蒙思想が広がり市民革命の基盤となった。世界史の教科書によれば、こうして封建的な社会は終わりを迎え、近代が始まることになっている。そして、ソ連の崩壊で冷戦が終結し、近代は終わったとされている。
でも、そうじゃなかったといまや誰もが疑い始めている。冷戦は終わってなんかいなかった。ロシアはウクライナに侵攻し、イスラエルとパレスチナは激しく争い、朝鮮戦争は停戦中に過ぎないことをわたしたちは改めて思い知らされている。台湾有事が起きれば、沖縄が戦場になり得るかも知れず、まだまだ近代は続いている。
そして、それはなにも戦争に限った話ではなく、情報の領域でも同様だった。大衆に情報を届けるはずの報道機関も市場原理に取り込まれ、いつしか当たり前のように情報を隠すようになってしまった。そうして真実へのアクセスを制限することでもって、特権的な存在として肥大し、当たり前のように上場しているのだからどうしようもない。
当初、この状況をインターネットが変えるんじゃないかと多くの人が期待した。ただ、パソコンの時代には社会をひっくり返すほどの力を大衆は獲得するには至らなかった。新聞もテレビも余裕で都合のいい情報だけを流しまくっていた。
ところが、2011年ごろ、スマホをみんなが瞬く間に持ち出すようになり、SNSのユーザーが爆発的に増えたことで、インターネットは新聞やテレビの地位を簡単に奪ってしまった。隠したいことは隠せなくなった。
中居正広問題だって、フジテレビ問題だって、新聞やテレビで全然やっていなかったのに、日本中の老若男女が把握しているって普通に考えて凄いこと。先日も喫茶店で本を読んでいたら、隣の席におばあちゃんグループがやってきて、
「インターネットで見たけど、フジテレビ倒産するらしいよ」
と、話していたので驚いた。上納があったとか、フジテレビによく出ている男はみんな怪しいねとか、楽しそうに語り合っていた。そのとき、誰かが、
「もしかして天達も?」
と、不安そうにつぶやいた。まわりは一斉に答えた。
「天達は大丈夫よ!」
天達の信頼に思わず笑ってしまった。たしかにフジテレビによく出ている男というか、フジテレビにしか出ていない男というか。
いずれにせよ、スマホがこうも普及したことで、新聞もテレビも高齢者を騙すことすらできなくなったわけで、その意味はあまりに大きい。加えて、いま、わたしがこうしてnoteの記事を書き、公開し、あなたに読んでもらえているように、誰もが情報発信できるようになったことも言わずもがな重要だ。
もはや隠蔽なんて無理なんだよね。
フジテレビはこれからどうすればいいのか?
正直であれ。
世界が右と左ではなく、上と下に分断した現代社会で生き残るための簡単な方法はそれしかない。ポストトゥルースは嘘をあえて利用するのだから、嘘をついても逆効果。嘘を嘘と指摘するよりも、むしろ、真実をぶつけた方がフェイクニュースに対抗できる。
そりゃ、ヤバいこともいっぱいあるだろうさ。でも、どうせフジテレビはこれまで通りに戻れないんだし、この機会に膿をぜんぶ出し切って、あらゆる問題に対処した方がいいに決まっている。
もちろん、港浩一にはできない。ある年齢以上の幹部にも不可能だろう。彼ら・彼女らは社内政治の勝者であり、要するに現体制の既得権益者そのものなのだから。
そういう上に属する人間と戦えるのは下の人間だけ。フジテレビの若手社員はここで一致団結し、旧態依然とした経営陣にノーを突きつけた方がいい。
だいたい日枝久も労働組合を作り、そうやって旧経営陣を追い出して、いまのような帝国を築き上げたわけなんだし、そのことを思えば、この問題の妥当な終わらせ方は若手社員のクーデター以外にあり得ない。
このまま放っておいたら、政治家の介入だったり、インフルエンサーの介入だったり、様々な介入を受けてフジテレビはフジテレビじゃなくなってしまう。それはそれでいいのかもしれないが、やっぱり、表現の自由が損なわれるリスクは無視できない。
だって、こういう問題がフジテレビだけだと誰も思っていないでしょ。他の局で似たような問題が発覚したとき、フジテレビと同様の対応を取られるようになるはずで、いくら面白いからってフジテレビ倒産を望むことはできない。
これからフジテレビはどうするのか?
ここで若手社員が頑張って、すべての闇を一掃することができれば、逆に、一番クリーンな放送局になれるチャンスでもある。あるいはピンチをピンチのまま沈んでいくのか。どう転んだとしても、2025年以降の日本のあり方はその如何で決まってしまうだろう。
つくづく、きっかけはフジテレビ。
マシュマロやっています。
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