【映画感想文】四季折々の樹木希林 - 『日日是好日』監督:大森立嗣
年末年始はなんだかんだで食べ過ぎ、飲み過ぎ、すっかり胃腸が疲れてしまった。なるほど、一月七日に七草粥を食べるという伝統はよくできているなぁと改めて感心してしまう。
七草粥なんて、子どもの頃は味気なくって、物足りなくって、好きでもなんでもなかったけれど、年を重ねるにつれて、段々よさがわかってきた。なんなら、いまは好きかもしれない。ほんと、人生は不思議だ。
スーパーで七草セットを買ってきた。
厄祓いでもらったお米とお神酒があるし、夕飯はそれらを煮込んで、スペシャルなお粥を作ろうと思う。味付けは塩だけ。なんとなく、ご利益がありそう。
そんなわけで、今日は日曜日だし、期せずして暇になってしまった。ただ、外出するのはちょっと億劫。とりあえず、家で映画を見ることにした。
毎日のように映画は見ている。年末年始はこれでもかってエンタメ大作を見まくった。そのため、胃腸と一緒で感性も疲れ果てている。そろそろ、滋味深い作品に触れたいところ。
Amazonプライムのおすすめを探してみた。『日日是好日』が配信されていた。まったくもってちょうどよかった。
大学生の女の子が茶道を習い、大人になっていくだけの映画。特に劇的な展開はなく、淡々と、現代に生きる女性の人生が描かれてくいく。ただ、そんな日常もお茶を通すと季節の流れが感じられ、どの瞬間も最高に愛おしい。まさしく、日日是好日、毎日がよき日である。
なにより、茶道教室の先生を演じる樹木希林が素晴らしい。春夏秋冬、晴れているか、雨が降っているか、自然に合わせて服装が変わり、表情が変わり、所作が変わり、侘び寂びを体現している。二千年代以降の邦画の大作に欠かすことのできない大女優だったけれど、本作ほど、四季折々の樹木希林が堪能できるものは他にない。
お正月の終わりに樹木希林を見ると、「お正月を写そう♫」の歌声が聞こえてくるようで懐かしい。わたしにとって、最初の樹木希林体験は富士フィルムのCMだった。
その後、高校生クイズの「樹木希林、いま、『き』って何回言った?」という定番問題で大笑いし、伊集院光がラジオで樹木希林のことを「ジジジラフ」と呼ぶギャグが最高で、常に、面白さとセットの存在だった。音楽番組などでも、郷ひろみとデュエットした『林檎殺人事件』の映像が流れるなどして、やっぱり愉快な人なんだと思ったものだ。
ただ、徐々に物事を知るにつれ、樹木希林のカッコいい面も見えてきた。何十年と別居状態なのに内田裕也と別れようとしない結婚観、『ムー一族』の打ち上げパーティーで「ドラマの天皇」ことTBSディレクター・久世光彦の不倫を暴露した伝説、大手と距離をとり個人事務所を一人で切り盛りしてきた晩年など、誰にも媚びない生き様にめちゃくちゃ痺れた。
おばあちゃんのイメージがあったけれど、樹木希林は三十代からおばあちゃん役を演じると決めて、自分のポジションを確立させたと知ったとき、その尋常ならざる覚悟に怖さすら感じた。同時に、それより前の樹木希林、つまり、女の子時代の樹木希林に興味が湧いた。
調べると、樹木希林はもともと悠木千帆の名で森繁久彌主演のドラマ『七人の孫』に女中役で出演し、人気を博したんだとか。これは60年代のドラマだから、さすがにDVDなども出ていない。
なのに、なぜか、YouTubeに音声だけがアップされていたのでビックリ。試しに聞いてみると、その内容のめちゃくちゃさにもっとビックリ。
と言うのも、ドラマと言いつつ、森繁久彌の時事ネタに関するフリートークから始まるのだ。本編は一応、物語っぽく展開するものの、森繁久彌が明治生まれの面倒くさいジジイという設定で、明らかにアドリブな発言を繰り返す。周りの出演者が大いに戸惑う中、一人の女性が果敢に対応。丁々発止のやりとりであまりにも小気味よい。
もちろん、その一人の女性というのが樹木希林である。二十代にして、森繁久彌とやり合えるなんて、どう考えても異次元過ぎる。もし、映像が残っていたら、きっと、とんでもない表情を見ることができたんだろうなぁ。
そんなことを思いつつ、いくつかある遺作の一つ、『日日是好日』における樹木希林の演技をのんびりと眺めた。その達観し切った空気感に心が洗われるようだった。まるで、いまも生きているみたいで、亡くなって六年が経とうとしている事実が疑わしくなってくる。
というか、そもそも、映画女優に死なんてものはないのかもしれない。肉体が滅びようとも、フィルムに残された姿が消えることはない。それを見て感動したわたしたちの記憶から失われることはない。なんなら、いまの方が、わたしの中で樹木希林という存在はより一層濃くなっている。
『日日是好日』は黒木華演じる主人公が幼少期、親に連れられてフェリーニの『道』を見るけれど、少しも面白くなかったと不満を口にする場面からスタートする。そんな彼女も就活に失敗したり、恋人に裏切られたり、いろいろな経験を重ねた末、久しぶりに『道』を見返したところ、涙が止まらなくなるほど感動してしまう。
もちろん、これは『道』に限った話ではない。お茶もそうだし、樹木希林もそうだし、わたしが今夜食べる七草粥だっておんなじだ。最初は全然わかんなくてもいい。ただ、生きていれば、すっごくいいものに感じられるときがくるかも。そうなったら、それに感動できない人生なんてもったいないと感じるはず。
毎日が忙しいと、今日という奇跡をついつい見逃してしまう。こんな風に息ができること。こんな風に人と会って話ができること。こんな風にご飯を美味しく食べられること。当たり前のような日常はどれも当たり前なんかではなくて、ひとつひとつ、大切に味わうだけの価値が詰まっている。
日日是好日、毎日がよき日である。
とかく、夢とか目標とか自己実現とか、現代人は未来の話をしがちだけれど、それって、今日に対する冒涜なのではなかろうか。風の歌を聴き、空気の匂いを堪能し、いまここにある命を感じることこそ、「生きる」なのではあるまいか。
改めて、これからも七草粥を喜べるような人間であり続けたいとわたしは思った。
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