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コミュニケーションの「ずれ」はいつだって前提の違いから
どうも!なばすです!
最近一つ発見がありました。
「好きな食べ物はなに?」と聞かれたら、迷わず「カレー!」と答えるのですが、「あれ、もしかしたら天丼もかなり好きなものの上位にきてるかも...!?」と気づきました。
今日は昨日の記事の続きです。
昨日は、質問は2種類あるという話でした。
一つは、純粋な疑問から生じる質問で、質問者が「質問をする」ということで目的を達成する自分ベクトルのもの。
もう一つは、相手の考え方を知りたいがためにする質問で、質問者が「相手の反応をみる」ことで目的を達成する他人ベクトルのもの。
こういった分け方をしてみました。
今日はこの続きからです。
相手の質問の意図がわからないとき
少なくとも自分の認識では2種類の質問があります。
意識的に分けているとかではないのですが、コミュニケーションを取る中でなんだか引っかかりを感じていて、それを紐解いてみたら「どうやら自分は質問というものに対して二通りの捉え方をしているらしい」と気づいた感じです。
で、私がコミュニケーションの中で引っかかっていた部分というのが、
相手の意図をはっきりと読み取れないまま質問されて、蓋を開けてみたら私の考え方を見ようとしていた
というパターンのときでした。
もちろん、相手も同じように2種類の質問に分類しているかはわかりません。シンプルに1種類の人もいれば、5種類とかもっとたくさん別れてる人もいるでしょう。
(でも、質問のベクトルが相手に向いているか、自分に向いているか、という分け方は割とよさそう。)
ここでのポイントはあくまでも、「私」がその質問をどっちと捉えたかということです。
相手が純粋な好奇心からした質問でも、関係性や話題によっては「自分の考え方を見ようとしているのではないか」と反射的に受け取って構えてしまうこともあるのかなと思います。
ちなみに、
相手の意図が読めずに蓋を開けたら、質問者の自分ベクトルの質問だった
は、個人的にはあまり気にならないんですね。
私のこれまでの経験やら育ってきた環境やらで、自分の思考を見られているのでは?と思ったときに、反射的に構えに入ってしまうのかなと。
「正しいことを言わないといけない...」
「自分の本音を悟られたくない...」
「自分の深みに入られて荒らされたらどうしよう...」
そういった「不安」や「恐れ」みたいな感情が、「身構える」という行為につながるのかなと思います。
そして、もう一度いいますが、この反射的な身構えに「相手がどんな前提で質問をしているか」は関係ないのです。
前提が違うのはあたりまえのこと
このままだと質問者と私の間では、「ずれ」が一生続いてしまいます。
どうしましょう。笑
ここで登場するのが、人類史上最強の武器です。
そう、コミュニケーションです!!
大げさに言いました。
もりもりに盛りました。
意図が見えないままだと、考え方を見られているのではないか?と感じてしまう私。
シンプルに興味・好奇心で質問を重ねていく質問者。
平行線に見えるかもしれませんが、解決方法は至ってシンプルです。
・まずは、お互いに「自分の前提」をしっかり相手に伝える
・相手はそれに耳を傾ける
・そして、お互いに相手にちゃんと要望を伝える
『私は質問をこう捉えてしまう』
「なるほど、私の質問は常に好奇心からくるものなんだよね」
『理解はしたけど、とっさの反応で身構えてしまう』
「じゃあ、できるだけ最初に前提を伝えるようにするね」
『ありがとう。私も、あなたの質問は基本的に好奇心から生まれるものだと頭に入れておきます。」
お気づきかもしれませんが、なんでもないようなことをすごく丁寧に、というかクドいくらいに書いてます。笑
でもこれって、質問に対する認識の違いに限った話ではないし、何ならすべてのことに当てはまってると思うんです。
育ってきた家庭環境も違えば、これまでに読んだ本の数も種類も違う。
昨日見たテレビも、買い物をした店も、歩いた道も違う。
普通に生活してたら「同じ」が重なることなんて、ほとんどないはず。
それなのにも関わらず、あたかも目の前の相手も同じ前提を持っていると、どこかで思ってしまう。
それも関係性が深い人であればあるほど。
「りんご」
と聞いて、みなさんは何をイメージしますか?
紅玉という品種でしょうか、赤々とした球体でしょうか、シャリッという音や食感でしょうか。
「りんご」
という、たった3文字ですら前提を揃えるのはかなり困難です。
文化が違うから分かり合えない
宗教が違うから...
言葉が通じないから...
そうじゃなくて、そもそも分かり合えないのがスタート地点なのです。
だからこそ、終わりのないコミュニケーションを重ねるのです。
面倒だと思いますか?
私は正直、面倒くさいです。笑
でも、どうせ直面するなら楽しめたほうがいいので、
「そもそも分かり合えない状態から、また一つ新たにわかった!」
と、コミュニケーションの醍醐味を堪能しようと思います。
コミュニティの力で生きることを選択した人類は、言葉を発明しコミュニケーションを重ねてここまで進化してきたはずです。
すでに最強の武器を手にしているのだから、それを駆使しない手はないでしょう。
もっと上手く武器を使いこなせるように、日々楽しみながら頑張ります!
つづく。