答え合わせ
「人間は考える葦である」
かの有名なフランスの思想家パスカルの言葉。
意味はこんな感じ。
広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがあるという。
このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのである。
僕は、この言葉にインスピレーションを感じて、日常で何かしらの事象を深く考えるようにしていた。
自分の人生はもちろん、他人の人生にも興味をもって。
悩みのない人間はいないのだから、この悩みを悩みつくそうと。。
そして、悩み尽くして行動した結果が、最近出始めていることを実感している。フォロワー何万人だとか、ようつべ登録者だとか数字で見える結果じゃない。だけど、そんなものより心の中の僕が納得できる固い意志のようなもの。数年後の未来の自分へ手紙を書きたくなるような気持ち。そう、小学生の作文に書いた将来への期待を筆にとるあの何とも言えない気持ち。
その作文をもう一度書くチャンスができたのかもしれない。
今日は、その気持ちを掴むまでの答え合わせを書いてみたい。
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今と悩んでいた数カ月~1年前で大きく変わったのは3つ。
・母が亡くなった
・職を変えた
・アイドルオタクをやめようとしている
まず、母が亡くなったことで感じたことは、
「過去には戻れない」ということ。
よく学生時代を通して、使う言葉ではあるが、思う頻度が桁違いだ。
楽しい思い出を振り返って思いふけるのではない。ふとした瞬間に襲ってくるのだ。母からもらったもの。昔聞いていた音楽。父との会話。昔話。あらゆるところに母は潜んでいる。この思い出たちと一緒に、今という瞬間を強く実感する。
この感情が、僕を強くも弱くもさせる。
「死」を強く意識することで、自分の意志に根が生えたような感覚をもつことができた。
そして、職を変えた。これも大きい。
前職のITコンサル系とは大きく違い、エンタメ系への転職だ。いわゆるジョブチェンジ。
1日8時間以上関わるものが仕事。そう考えると、正面から向き合える仕事をしたくなった。月曜の朝を迎える事実から逃げるように、夜更かしして4時まで寝られないような日常を変えたくなった。
「僕は将来何がしたいんだ」
「自分とは一体なんなんだ。何が楽しいんだ。」
24歳社会人2年目が考えそうなありきたりな自問自答に正面から向き合った。このnoteだってその一環だった。何とかして自分というものを探してみたかった。自分探しの旅行なんてしなくても、僕の頭の中に、経験・思い出の中に僕たる所以があると信じてひたすら考え続けた。
その時間があったからこそ動き出すことができたし、バランス感覚が手に入ったんだと思う。まだまだ斜に構えることはたくさんあるけど、それも僕なんだと思って、個性として何かに活かせたらななんて思ったりしてます。
そして何より、変化としてアイドルオタクを辞めようとしています。
プライベートな理由をあげれば、彼女ができたとか仕事で忙しいとか色々あるけども、何より「応援してて楽しくない」という思いが一番にあった。
良いオタクというものは、「下手な領域を超えず、本人に良心的な言葉をかけ続ける」ものだということに脳と身体が理解してしまった。
僕みたいな、推しを選抜へだとか、本人がこれからどうしたいかとか。余計なお世話をしたがるオタクは本人からしたら全て害悪になるみたいだと。本人の反応を見て感じてしまったのだからもう戻れない。(実際そうでなくても、こっちがそう感じてしまったら終わり。面倒くさいからね)
僕はアイドルというものがもともと嫌いで、顔がいいだけの調子こき集団だと本気で思っていた。ただ、ファンの応援が・熱量が100%本人届く環境であるということに気づいてからアイドルの見る目が変わったんです。
応援するからには、本気で100%を届けたかった。それがエゴでも貫き通したかった。それが一般的なファンの領域を超えることであっても。その想いが非公式ファンサイトだったり、舞台のカンパニーへの動画提供だったり、色々形として表していった。コロナ禍でも一人でも多くのファンの想いが本人に届きますようにと。
だけど、僕には感謝の一言もありませんでした。やっぱり自己満だったんですかね。うふふ。本人と自分のためにはなってなかったんだなぁと。
悩んで悩んで色々動いて、本人に負けないくらい悩んだつもりで、それでも報われないこともあるって分かったんです。考えすぎてもだめだと。そのラインをなんとなく感じちゃったんです。これ以上いくと他人を傷つけちゃうよって。
だから、自分の中で区切りを打つことにしました。過去を振り返るのは大切だし、続けることも大切だけど、囚われることはよくないと。
あーー、悔しいなぁ。
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そして今、色々な思いを抱えたまま、
現職で「効率」という言葉とは無縁の場所で、ひたすら相手にスマートに気を使えるかを学んでいる。効率や競争の罠に囚われた僕には新鮮なことばかりで、とても充実している。どちらかしかないという2つに絞り答えを出すのではなく、柔軟に対応するという答えだってあることを知るべきだったんだと気付かされる。
今ある目標に向けて頑張れる充実さを、いつかの悩む自分への資料として、ネタづくりとして、向き合っていけたらななんて思います。
こんな感情は数カ月前では味わえなかった。
人と話しまくって、音楽を聴きまくって、noteを見まくって、悩み続けて苛立ちをぶつけた日々は間違っていなかったんだと。前に進んでいないと錯覚し、余裕のなかった日々は間違っていなかったんだと。
過去と今は強く強くつながっているんだと。そしてこれからも答え合わせしながら次のテストの準備をするんだと。間違ったところを振り返るんだなと。そんな風に思います。
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最後に、僕は綺麗ごとを並べるやつが苦手です。なぜなら無責任だと感じるから。そして、考えることを放棄しているように感じるから。
「どうにかなるって!」
「ネガティブに考えないでさ、ポジティブに行こうよ!」
「感謝をしないと!」
「努力はいつか報われるって!」
相手の立場を聞かないで。相手の意見に耳を傾けないで。ひたすらに前向き!みたいな人のこと。
ネガティブな感情(悩み)の対処法の1つとして、”ポジティブ”というものがあるだけなのに、それを武器だと捉えられると納得がいかない。
ネガティブな感情と向き合って、向き合い続けていいところで行動するっていう考え方だってあるのになぁなんて思ってしまう。
「悩む」ことから逃げているように見えちゃってるよって。
「悩む」ことから逃げることは簡単だし、「悩む」チャンスにすら気づかない人だっている。そのような中で「悩んだ人」と理解しあうには、「悩んだ人」であるしかない。なんとなく今はそんなことを思います。
だから、これからも「悩んだ人」と共感して、何かを生み出せるように、笑いあえるように「考える葦」として生きていこうと思います。
あー、母に伝えたったな。今の想い。
ではでは。