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保育園に行けない君と仕事を辞めたわたしの、歌うたう夜のドライブ

この夏は、5歳の長男とわたしで何度も夜の海岸線をドライブした。

我が家から近い海岸は東向きなので、夜がやってくるのがちょっと早い。
透明な青の空に、まずはピンク、それから薄い紫色がひろがって、混ざり合って、星や月がちいさくまたたいたあと、すぐに真っ暗になる。
そんな19時半ごろ、夫が次男を寝かしつけはじめたら家を出る。

我が家から数分で海が見える。街灯が多いし、車もぼちぼち走っているし、首都圏に近い海水浴場があるためか、近くのホテルや民宿に泊まっているとおぼしき家族連れやグループが砂浜で花火をしていることもあった。

わたしは、安全そうだなと思えたら海水浴場の無料駐車場に車を止めて、息子と2人で砂浜に降りる階段に腰かけて、星をながめた。アプリを使って星の名前を調べ、星座を探した。ぐるっと湾になっているので、遠くにちいさく別の街の打ち上げ花火が見えたこともあった。

夜の海風は気持ちがよくて、波の音が聞こえて、静かなのにたのしい時間をすごしている他の誰かの気配がある夜のはじまり。

10分くらいそうして過ごしてから、また車に乗って、海岸線を走る。
息子は、「夜のドライブたのしい!」と言って、わたしがかける音楽の歌詞をなんとか覚えようとしていた。2人ともわかるところだけ、自由に歌う。

どんどん街灯が少なくなり、民家もまばらになって、人間がつくりだす光の瞬きがなくなって陸と海と空の境界線がわからなくなるあたりで引き返す。

家に戻ったら、パジャマに着替えてベッドに入り、ちいさな声でしりとりをしたり、お話リレーをしたり。
次男が寝息を立てている横でひそひそ話していると、次第に長男のまぶたが重くなり、おおきなあくびをひとつ。息子の、いつのまにか赤ちゃんではなくなった懐かしい寝顔をながめる。

これは、この夏が来るまでのわたしと息子の記録だ。


はじめに

わたしは長男が産まれてから長いあいだ、彼に「立派になってほしい」と思っていた。「この子にきっとあるであろう、他者より優れた才能を更に秀でるようにのばしてあげたい」と思っていた。

この場合の「立派」は、イコール社会的成功を指す。

年少のときの保育園の面談で、息子について、集団行動が苦手なようですと言われたときも、気持ちの切り替えが苦手だと思うと言われたときも、お友達と楽しく遊んだなどという話が先生からも息子からも出ないことも、ずっとずっと登園渋りがなくならないことも、お遊戯会や運動会でいつもひとりだけ怒ったように突っ立っていることも、意識を向ければこころがざわついてどうしようもなくなるので、「3月末生まれだし、きっと成長のタイミングが違うのだ」と思うようにしていた。
先生に優しく「手厚いサポートがある環境がいいと思いますよ」と助言され、支援級に行ってのびのび小学校をたのしめた卒園生の話を例えに出されたときは、何を示唆したいのかと正直なところ腹を立てさえした。

* * *

けれど長男が年少の秋になって次男が産まれたら、長男が家庭で癇癪を起したり、拗ねて家を飛び出したりして、困ったなと思うことが増えた。

この極端な行動のきっかけは赤ちゃん返りだったのだと思う。
次男が産まれてしばらくは、長男も「あかちゃんかわいい」「大事にしてあげるね」などと小さくて柔らかな侵入者を愛でていたが、これはおそらくはふれあい動物園のえさやり体験とおなじ感覚だったのではあるまいか(ちなみに、息子はえさやり体験が大好き)。
次男が産まれて3カ月ほど経つと「このちいさな生き物は、どうやらこれまでぼくがひとりじめしていたママたちからの愛を受け取っている!」と気付いたようだった。長男とわたし、2人きりの時間を作って特別なおでかけをしても、ゆっくりおしゃべりをしても、彼の感情の荒ぶりはとどまることを知らない。

試し行動が続き、「もうあーくん(息子の呼称、仮名)のことは愛していないんでしょ!」と叫んでメロドラマさながらに家を飛び出す彼を追いかけながら、追いかけないわけにはいかないけれど、もう疲れたよ追いかけたくないという思いが一瞬よぎる。
相談した保育や心理のプロたちには、「息子くん、良い表情ですごしているし、自分がみたときは落ち着いていたし、心配ないと思うけれど」という方もいれば、「ASD特有のコミュニケーションだなと感じるときがある」という方もいた。そのたびに混乱する。
励ましてくれるつもりで、「知り合いのお子さんで、小学校・中学校と支援級にいて、高校進学では悩まれたけれど行ける学校を探して、大学受験をした子もいる」と事例共有いただいたこともあった。良かれと思って言ってくれたのだとわかってはいたけれど、支援級に行くと高校進学が頑張らなければできないことになるの!?という新たな混乱がプラスされた。
そこで共通していたのは、「ママと2人の時間を作って、彼のこころを満たしてあげてね」と言われること。

やってるよ!これ以上どうしたらいいんだよ!


と叫びたいのをこらえた。こらえたぶんだけ、もうこれ以上何をどうしたらいいのかわからない絶望感がつのる。
夜な夜な、「4歳 反抗期」とか「赤ちゃん返り 対策」とか「発達障害 特徴」で延々と検索する日々。

***

わからないことが辛かった。だから、発達検査を受けることにした。
彼の困りごとに向き合うためではなく、困りごとなどないのだと証明してやるくらいのつもりで検査を申し込んだ。年中の春だった。

発達検査の結果で語られる君

はじめての発達検査は、市役所が定期的に行っているものを受けた。
2カ月待った。

がらんとした部屋に通された。広い会議室の後ろの方に長テーブルや椅子をよせて作ったスペースにマットが敷かれていて、おもちゃが置いてあった。
市役所の職員の方、心理士の方、児童精神科医の方が、5名ほど。

長男は緊張して、「かわいいぼく」的なちょっと幼いふるまいをしていた。そして心理士の方の質問にわざと間違えたり、答えなかったり、はぐらかしたり。児童精神科の先生がその様子を見ながら、
「これは情緒じゃなくて、知的のほうですね」
と言うので、積み重なってきた混乱がピークに達する。
「でも、家での様子と今、明らかに違っていて。知らない人ばかりなので、わざと幼いふるまいをしているように思うんですけど・・・」
と答えると、
「その行動は何のためにですか、何の意味がありますか。心理士の質問への回答もめちゃくちゃだし、知的のほうですよ。」
と断言された。

なぜ彼が状況によってこんな行動をとるのか、それを相談しに来てるんです・・・


とは言えなかった。
今思えば、その先生も、困りごとなどないことを証明しようくらいの気持ちで来ているわたしに腹を立てていたのかもしれなかった。

この日は結局『境界知能』と言われて帰宅した。

検査結果は紙面では頂けなかった。後日頼み込んで出してもらったレポートには、「1年以上の発達の遅れがある」「外部からの刺激に弱いので、保育園で座る場所や対応に配慮が必要である」と簡潔に書かれていた。

カケラも救われた気持ちになれなかった。前進したとは思えなかった。
今なら、そもそも悩める保護者を救うための場ではなかったのだとわかる。
わたしが勝手に期待して、プロたちからご神託みたいにありがたいアドバイスをいただいて救われたい、現状を変えたいと思っていただけだ。

ただ、発達検査を受けてよかったこともあった。
最初は「男の子なんだからこんなもんだ」とか、「特性なんて都市伝説だ」(意味不明)とか言って取り合わなかった、習い事の送迎も休日の外遊びも面倒くさがっていた夫が、発達検査の結果を聞いた翌日、しゅんとした様子で仕事から帰宅して、
「俺の対応もずっと悪かったのかもしれない・・・」
と落ち込んでいたのだ。ちょっと溜飲が下がると同時に、ほっとした。
やっと相談できる相手になってくれたのだと思った。

はじめまして、my son

発達検査を受ける前、そして受けた後も、わたしはいろいろなところに電話をかけた。保育園の先生、療育の先生、市の子ども課の職員さん、教育委員会の先生・・・。対応してくれた方たちは、みんな親切で辛抱強くてやさしかった。
でも、相変わらずわたしは腹を立てていた。親切で辛抱強いやさしい相手と話すたびに、またすこし腹を立てた(このころわたしと話をしたすべての関係者の方々に謹んでお詫びをしたい・・・)。

わたしは、自分たち親子が社会からはみ出している気がしていた。

制度や支援内容は調べたり聞いたりしてよくわかった。
けれど、今の息子に何が必要なのかがわからない。息子がどうして今こういう行動をとっているのかがわからない。わたしたち親子がどこに向かっているのかがわからない。

療育を受けられる、就学したら支援級(住んでいる自治体では、通級のみ)がある、支援級に登録するかどうかは就学相談で相談できる、それまでは保育園で見通しがつくような声がけや集団指示が通らない場合の個別のサポートをしてくれる。それはとてもありがたい。

ありがたいけれど、それは仕組み、システムの話だ。社会的システムの話。

生身の、わたしの息子の話ではないと思った。今日も癇癪を起して家から飛び出していく息子の話ではない。
まだどのシステムにも参加できていないわたしたちはどうしたらいいのか。
わたしだって自分の息子のことがよくわからないのに、どのシステムを選んだらいいのか。

* * *

はじめての発達検査のあと、わたしは息子がリラックスした状態で発達検査を受けられるすべがないか探していた。
療育の先生には、なぜ検査結果をそんなに重要視するのかと怪訝そうな顔をされた。教育委員会の先生には、検査結果がどうであっても、その子にあったサポートをするから大丈夫ですよ、と言われた。

それでも探した。保護者ではない第三者の立場から息子と話をして、そのこころをおもんぱかって、わたしたち夫婦に翻訳してくれる、信頼できる心理士の先生が自宅に来てくれたら、と夢見て探した。

そう思って探して、探して、やっと見つけた先生に来てもらった。


市役所の発達検査で使った診断法と同じものを半年以内に使うと、子どもが検査の内容を覚えていて正しい結果がでないとのことだったので、診断法が違うなど半年以内に実施しても問題ないといわれている方法をいくつか組み合わせて検査してもらった。

その検査では『境界知能』という結果はでなかった。
ASDの可能性は低い。
凸凹はあったが、そこまで大きくはない。
固有受容覚(身体が今どんなふうに動いているか、どこにあるか、脳に情報を伝えてくれる感覚のこと)は少し鈍い。でも総じて、発達障害という結果は出なかった。

そのとき発達障害というカテゴリーにはいらないという結果が出て、自分がほっとしたのか、さらに困惑したのかは、忘れてしまった。もはや診断結果がほしいわけではなかったから。

検査が終わって、先生とわたしでコーヒーを飲みながら話しているとき、
「これは、検査結果とは別の所感なのですが・・・」
と言って、先生がノートに大きな円と、その中にちいさな点を描いた。

「彼は、ゼロか百か、白か黒か、という思考が強いと感じます。このタイプのお子さんは、人前で失敗することを嫌がります。他人からみると些細なことでも、できなかったとか、馬鹿にされたとか、非難されたとかと感じると、自分のすべてを否定されたと感じてしまうことがあります。
ぼくが定期的に診ている方たちでは、登校拒否やひきこもりをしているケースで多い思考のように思います。」

先生は、ちいさな点のまわりから、円の全体にむかって黒を塗り広げた。

「こんなふうに、自分のすべてを否定されたと感じることは、とてもつらいことですよね。そして彼は、完璧主義で、プライドが高くて、繊細なように感じます。今日彼は、失敗しそうな検査は『わからない、できない』と言ったりふざけたりして、回避しようとしました。
これからは、全部がうまくいくわけじゃないけど、うまくいかなくたって平気なんだ、ということを、実体験としてわかっていくと良いと思います。それが人生なんだと、次第にわかるようになります。大きくつまづいてしまうと起き上がるのに時間がかかるので、小さいうちは、やってみたら意外とできたとか、失敗したけど思っていたほどショックを受けなかったとか、そういう経験を増やす手伝いができるといいです。」

はい、はい、とうなずく声が大きくなる。
反対に、こわばっていた気持ちがすうっと軽くなっていく。

「試し行動が多いと、周囲の大人、特に一番その行動をぶつけられるおかあさんは疲れてしまいますよね。今は弟くんが産まれて、特に周りの大人の注意を集めたい時期です。今日、僕がはじめて会って挨拶したとき、彼は少し強い表現を使って、僕のリアクションをみていました。大人になれば、敏感で繊細なことは大きな強みになります。相手の気持ちの変化をとらえることができますから。
ただ今は、彼の癇癪や極端な言動に対して周りの大人が大きなリアクションをすると、それがごほうびになって、同じかもっと大きなリアクションを欲して試し行動が加速するので、冷静に、感情的にならずに、無視はしてはだめですがなるべく『ああはいはい』くらいのテンションで返しましょう。
あとは、あまり気にしなくてもいいですが、固有受容覚が少し鈍いので、万が一保育園や小学校から落ち着きのなさを指摘されることがあったら、朝のうちに鉄棒やトランポリンをさせてあげると脳が満足して落ち着いて生活できますよ。」

小学生になった息子と、早朝に近所の公園で鉄棒をするところを想像した。
朝の公園。ちょっと楽しそうじゃあないか。
息子との未来について、ポジティブなイメージはひさしぶりだった。

「保育園の先生、学校の先生、療育の先生、発達検査の心理士たち、みんなそれぞれの立場からいっしょうけんめいに、その子どもが自分らしく生きられるように応援しています。
ただ、子ども時代から青春時代、大人になって社会にでて働くというところまでを一気通貫でサポートできる人たちはとてもすくないので、どうしても『今どうか』という視点から話をすることになります。『未来どうなったか』まで経験値としてもっているケースは少ないです。
とはいえ、その子どもの未来がどうなるか、誰も確かなことは言えません。でも、イメージのできなさ、見通しの立たなさが、親御さんを不安にさせてしまうことは多いと思います。
ぼくの経験上は、彼は手厚くサポートをしすぎないほうがいいと思います。全部がうまくいくわけじゃないけど、うまくいかなくたって平気なんだと納得していく体験は、周囲がサポートしすぎるとできませんから。」

ありのままの息子の、過去から現在、未来までをイメージして具体的なアドバイスをくれる人に出会えたことで、たった2時間で、数カ月続いたわたしの発達検査ガルガル期(産後のガルガル期はなかったのに)は終わった。

一番ありがたかったのは、先生の言葉を聞くなかで、息子を見るそのまなざしを追体験できたこと。
一方的なエゴや期待や希望を取り払ったまなざし。
ありのままの息子との対峙。

ああ、はじめまして、my son。
君は、わたしの大切なひと。

ちいさなシェルター

それでもしばらくは、君が君であるだけで良いと、こころから思うことは難しかった。そんな自分を認めたくないけれど、保育園のお遊戯会やお楽しみ会でひとりだけ怒った顔で突っ立って、

「こんなことしたくない!」

と訴える息子を見るたびにいたたまれなくて石を飲んだような気持ちになったり、活発で人気者のクラスメイトのママを見て反射的に「うらやましい」と思った自分にがっかりしたりした。

ほんとうのほんとうに、エゴや期待や希望を取り払って息子を見ることができるようになったのは、年中の秋の遠足よりあとのことだ。
息子と2人で参加して親子で疎外感を味わう恐怖におののいたわたしは、

必殺!赤ちゃん連れ

のカードを使うことにした。1歳なりたての次男を連れていくには、夫も召喚せねばなるまい。
そうして家族全員で参加した秋の遠足は、コロナ禍で数年ぶりに実現した遠足だったこともあって、我が家以外にも一家勢ぞろいの家族が割と多くてほっとした。

と同時に、きゃっきゃと写真を取り合う仲良しママ友グループを見て、家族勢ぞろいで来てほんっとうに良かったと自分の英断を心中ほめたたえた。

行先は市内の大きな公園。駐車場に集合して芝生の広場に移動する。
そこで集合写真を撮るあいだ、手遊びのあいだ、息子はずっと能面みたいな顔をしていた。
かけっこでは一瞬闘争心をむき出して楽しそうな顔をしたけれど、悲しいかな3月末生まれの息子は体の大きなお友達には勝てない。
彼は悲しそうな不貞腐れたような顔をしたあと、また能面に戻った。

ああ、全部が思い通りにいくわけじゃない、うまくいくわけじゃないね。
だけど、うまくいかなくたって平気なんだよ。
君は君なんだから。それで、じゅうぶんなんだから。


こころの底からそう思って、はらはらしながら見守って、どうしたものかなあと迎えたお弁当の時間。各々が好きな場所に持参したテントやシートを敷いて、お弁当を広げていた。
夫は息子の顔をみて、みんなからだいぶ離れた場所にテントを張った。おおはしゃぎの次男のあとに続いて、長男がテントに入った。

家族4人だけの明るいテントのなかで、長男の表情がやっとやわらぐ。
息子は、水筒のお茶を一口飲んでから、いそいそとお弁当袋をひらき、わたしが握ったおにぎりを一口食べて、

「ああ、いい日だね。」

とぽつりと言ったのだった。

このときのことを思い出すと、同じこころの塩梅で、息子を産んだ瞬間のことも思い出す。
まあるいおなかで、顔いっぱい使って産声を上げていた息子の姿。

彼はそのあと、もぐもぐおにぎりを食べて、卵焼きを飲み込んで、ウインナーを吸い込んで、デザートのリンゴをくわえながらテントを飛び出していった。
外を見ると、芝生中をかけまわって、いつのまにかクラスメイトと鬼ごっこをしている。そしてたまに戻ってきて、わたしのそばでお茶を飲んでまた飛び出していく。

* * *

遅くなってごめんね。

君は君なんだね。それで、じゅうぶんだったんだね。
わたしは、君が発達障害でも、凸凹があっても、どうだっていい。保育園に行けても行けなくても、小学校で支援級だとかどうとか、そもそも小学校に行けても行けなくても、いい。

君が望むなら、一緒にどこかおもしろい場所を探しに行けばいい。
日本だって、外国だっていい。
君が君であるだけでいい。
自分らしく生きていけたら、それで笑顔でいてくれたら、それでいい。


この日、わたしはやっと自分の役目がわかったよ。

君のシェルター。

君を愛する100%の味方だけがいる、君が戻ってこられる場所。
わたしは、そんな場所の守り人なんじゃないかな。

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