人生に迷ったら、意思を持って巻き込まれてみる。
生きること、働くことにおいて、たいていの人はすでに存在する選択肢のなかから道を選ぶけれど、ときたま、自分の手で選択肢そのものを作り出すことができる人たちがいる。
起業家やスモールビジネスのオーナー、新規事業をどんどん立ち上げるような人たち。
ここ数年、「そういう人間になろう!」というハウツーやマインドセットのためのコンテンツをよく目にするし、会社の評価制度も変わったと感じる。特に大手の民間企業なんかでは、まんべんなくバランスのいい全教科が偏差値60のジェネラリストよりも、尖った能力と推進力をもっているひとつでも偏差値80の(それでいてそれなりのコミュニケーション能力がある)人間が求められはじめているのでは。
そういう人たちを排除したり出る杭を打ったりしていた社会は本当に病んでいた(る)と思うのだけど、ダイバーシティとかインクルーシブとか言う割にそのとき耳障りのいいほうに偏って推す(これからはバランスのいいジェネラリスト型じゃダメだ!になってしまう)風潮はあいかわらず極端だなあとちょっともやっとしている。
わたしには、これまでの人生で、何度か、ユニークで他者の追随をゆるさない能力をもたなければいけない、明確な人生の地図をもたなければいけないと、焦った時期があった。
今はひらきなおって、究極の自分でさえあれば、わたしがそれに納得してさえいれば、それでいいやと思っている。
そして、ひらきなおると同時に、心がけていることがある。
それは、「すてきだな、おもしろいな」と思う人や活動に、意思を持って巻き込まれてみること。
この生きかたは自分で道を切り開くことによろこびを感じるDO型の人たちには物足りないかもしれないけれど、私のように、どこで誰とどんな自分でいられるのかがそのままよろこびにつながるBE型の人たちにとっては、一番自然で心地良い生きかたなのではないかなどと思っている今日このごろである。
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わたしは、2022年の夏に約9年間勤めたコンサルファームを退職して、シードのベンチャーに入った。
コンサルタントとしての仕事は楽しかった。
けれど、管理職になってからは現場で「このひとが喜んでくれてよかった」と思える体験が減り、代わりに、あたらしい領域やクライアントを獲得するための成長を促される機会と、組織の階段を上っていくための社内政治っぽいごたごたが増えていった。
そういういろいろなことは、組織で生きるうえで当然と言えば当然のことだとも言えるし、そういうプロセス込みで大きなものごとを動かしていくことが好きなDO型の人には問題ないのだけれど、わたしはそういうタイプじゃなかった。
わたしは、いっしょにいたいと思える仲間たちと共に、日々の暮らしの延長線上にある営みを仕事にして食べていけたら、もうそれだけで生きることがたのしい。これでもかというほどのBE型なのだ。
このことがしみじみと身に染みたのは、シードのベンチャーに入ってみてからだった。
シードのベンチャー。
DO型人材の多いこと。そりゃそうだ、そうじゃないとゼロから事業を爆速でおこすなんて、できない。尊敬する、素敵なひとたちがたくさんいた。
けれどそんななかで、しんどさも感じた。
結局、家庭の事情もあり、おなじペースでやっていくのが難しくなってしまって、たくさんの配慮をしてもらったすえに退職した。
自分が自然にはできないことは、どんなに共感していても、どんなに役に立ちたくても、どんなに経験を積んでも代わりになるテクニックを身に着けても、続けられないものなのだと知った。
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現在わたしは、個人事業主登録して、ありがたいことに前述のベンチャーから業務委託をもらったり、別のちいさい会社の役員になったりしている。
正直なところ、お金の面でも社会的な立場という面でも、足場はぐらぐら、とても心もとない。
でも今は、腹をくくって「すてきだな、おもしろいな」と思う人や活動に意思を持って巻き込まれてみようと思っている。
もともと「人生に迷ったら、巻き込まれてみるといい」とは、ある人に言われた言葉だ。
彼は大手のメーカーで事業開発をしたり海外駐在したりしていた元エンジニアだったのだが、思うところあって仕事を辞め、縁もゆかりもない地方都市(ちなみに、わたしの故郷)で会社をはじめた。今は、地元の老舗お茶屋さんの新規事業作りを手伝ったり、離島の港の再生を手伝ったり、地元のクリエイターたちの制作を応援したり、踏み出したいけど踏み出せない若者たちをさりげなく応援したりしている。
彼は、自分だけが儲けられればいいとはまったく思っていない。富を持っている人たちがその幸運を囲い込むくせに社会や人材不足に対して不平不満を言っている感じにとても強い憤りを感じていて、よく、「自分のものなんてこの世になにもないと思っている」という。死ぬときは何も持っていけないから、手にしたものはどんどん渡すようにしている、と。
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彼にもらった言葉に自分なりの解釈を付け加えた結果が、「すてきだな、おもしろいな」と思う人や活動に意思を持って巻き込まれてみる、だ。
わたしはBE型の人間だから、「すてきだな、おもしろいな」と思えるかどうかは重要。そして、すこしずるいところがあるから、「本気で巻き込まれてみよう」という意思の存在も重要。これが中途半端だと、経験上、経済合理性のなかでだんだん優先順位が低くなったり、口だけの無責任な人になってしまったりする。
わたしは今、意思を持って彼の活動に巻き込まれにいっている。今のところ、その途中経過が「ちいさな会社の役員」だ。
ここでしているいろいろなことは、経済合理性や労働生産性や金銭的価値に換算できる自分の能力をいかに高めるかということを考え続けてきたこれまでの経験からは、かなり遠い。
今意識しているのは、自分が自然にできることを極めてみること、自分自身のチャレンジしたいという気持ちを大切にすること、同じように他者のチャレンジしてみたいという気持ちを否定しないこと。そして、ジャッジしないこと。
そんなふうに自分や他者に関わりあいながら、
自分のところに集まってきた価値があるものを、他者や社会にどんどん手渡していくことができたらいいなと夢みている。