幻想をおしつけないタイプ
今朝目を覚ますと、夜の闇が去ってまもないのにふさわしいちょっとひんやりした空気が数日ぶりに家中に満ち満ちていた。
今日も暑いと思って朝から庭にプールを出そうと思っていたのに寒すぎるかもしれない、無理かもしれない!
などと寝ぼけた考えがよぎったが、あっというまにみんみんじりじり暑い夏の一日がはじまり、夏というものを理解していない自分の考えに失笑した。
そんなふうに今日がはじまった。
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昼前に近所の小5と小1の姉妹とその父母が遊びに来てくれて、我が家の小1ともうすぐ3歳の兄弟とごたまぜ家族のようにしてあそんだ。
我が夫は我が道をいくタイプで、「友だちも知り合いもひとりもいなくたって平気だし世紀末もひとりで割とたのしく生き抜けると思う」という人間である。常に自分のペースを死守することを死守しているので、自分の在宅時に我が家に人を呼んでわいわい過ごすことを好まない。
今日は日中夫が仕事で不在だったので、庭も家のなかもフルに開放した。
結局、子どもたち4人全員が笑顔でたのしくプールに入れたのは20分ほどで、その後は姉妹喧嘩を契機におのおのが屋内外で気ままにあそぶスタイルとなったので、フルに開放できる日で本当によかった。
大人たちは自分の子どもであるかにかかわらず、近くにいる子どもの世話を焼いてみんながたのしく過ごした。
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水遊びで一番人気だったのはわたしたち家族が「エイ先生」と呼ぶ直径1mほどのエイのかたちのゴム製の浮き輪で、プールに浮かべて上に乗ってゆらゆらあそぶ。
エイ先生の一番弟子である長男は姉妹にエイ先生の背を譲ることに懐疑的だったが、説得のすえしぶしぶ背を譲ってくれた。
譲りながら、信用してないぞという顔で姉妹に「エイ先生のうえで絶対におならとかしないでね!よだれとかたらさないでね!」とくぎを刺すものだから、わたしは思わず、レディになんてこと言うんだ!と指摘しそうになったが、いやいやこやつは女性性に幻想をおしつけないタイプだぞと思いなおし黙っていた。
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ところで、子どもたちは、どうも、おなじことをしてあそばなくてもなんとなく連帯していて、譲ったり譲られたり我慢できなかったりしながらなんとなくたのしく満足しているようであった。
特に長男や長男が好んで一緒にあそぶお友だちにはこういうことがままあって、わたしはそれを目の当たりにするたびに、人間とは本来こんなにも自然で受容しあえるものなのかとびっくりしてしまう。
わたし自身は子どものころ、なかなか女の子グループに入れず、入ったら入ったで延々とちいさなことに気をもむタイプだった。発達や協調性の指摘をされたことはなく、部活動や生徒会でリーダーのサブくらいの位置づけにいて、勉強はせっせとがんばり、世間一般的にある程度は「正解」な進路を歩んできた。
しかし自分を偽っているという意識や「こうすべき」という無意識レベルの社会的規範に縛られていると感じることが多々あり、そういったズレは確実にわたしの体調やメンタルに影響をおよぼしていた。
だからこそ、天邪鬼で繊細で癇癪もちで、納得したことしかしない長男は時にほんとうに手がかかるのだけれども、彼は彼らしく自分の道を歩んでいるように見えて、母の目にはまぶしいし頼もしい。
恥ずかしながら、わたしはかつて、我が子に優れた勉学やつつがない集団行動とその先に待つであろう世間一般的な社会的成功を望むタイプだった。
そんなわたしが息子の特性を受容するプロセスは、過去と現在の自分自身を受容するプロセスでもあって、実際のところ、わたしはいつも彼に救われている。
わたしもじょじょに、他者に幻想をおしつけないタイプに戻りつつある。