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本と私の関係(追記あり)

深い関係ではない。

・家では、パラパラとしか読まない。

・電車の中で読むことが多い。

・でも、電車では睡魔優先。(睡魔 > 本 > 暇)

・読みはじめると、眠くなることが多い。

・読んでいる際中、日常の心配事が頭に潜り組んでくることが多い。

・稀に面白い本は、歩きながら読む。

・読むより、買うのが好き。

・買った本は、積まれていき、そのうち処分してきた。

・無気力になた中3の頃、SF小説を読んだ。

・高3の頃、突如、ドストエフスキーばかりを読みだすが、
 字面しか追えておらず、ほぼ記憶にない。

・自分が理解出来ないような難書を読もうとして、
 ほぼ記憶に残らない。それでも、難書を手に取る。

・自分が分かっていないので、自分のレベルにあう本が分からない。

・小説を読むのが苦痛。ただ、宮本輝さんの「流転の海」は楽しめた。

・ジャンルでは、社会学が好きなのだと思う。

・小学生の時の教科書で、チンパンジーが棒をアリの巣に突っ込んで、
 アリを確保していた。ああいう生態学的なお話が好き。

・小学生の時、自分で本を買うことは無かったが、
 珍しく買ったのが『アニメ・グラフィティー』というアニメ史。

・昨日・今日の話。「ゆる言語学ラジオ」とかいうので、
 言語学オタクの方(出版編集者)の紹介する本は、好みかもしれない。

・例えば、
 『ビジュアル・シンカー』(画像イメージ優先で物事を考える)、
 『忘却の効用』など。
 『心はこうして創られる』は発注した。
 『プルスートとイカ』(読書が脳に及ぼす影響)は以前読んで
 面白かった。その後、松岡正剛さんが取り上げているのを知って、
 千夜千冊に興味を持ちだした。
 『読めない人が「読む」世界』は、肩書「塾講師」の方の動画をみて、
 今読んでいる。

・本を読んで分かれば、自分がかわれると思っており、青年期はとにかく自
 分を変えたかったのだと思う。今もそれは継続しているが、ぼちぼちしか
 やれない事を知っている。

・本を買ってはいるが、読解力が無いことにようやく気付いたので、
 佐藤優さんの『未来を生きるための読解力の強化書』を読みだしている。

・主に買うのは、古本なので、そこに生息する虫が気になる。

・私の趣味は、「読書と音楽鑑賞」ということにしているが、
 音楽を聴かなくなっているので、「読書」だけになってしまう。

・とはいえ、「本」が大好きなわけではなく、
 「暇」よりも好きだったり、「独り」よりも好きな程度かもしれない。

・なにもしないことの不安に耐えられず、
 なにかの本を読んでいるのかもしれない。

人それぞれ、自分の人生を生きており、自分の物語をつくっている。
物語に「伏線」と「回収」があるならば、その自分の無意識がつくりだした「伏線」を、意識化することで「回収」していきたので、
「本と自分の関わり」を意識化することは、「回収」につながる、はず。
でも、「自分」や「無意識」やらが、たんなる「つじつまあわせ」で、
本の後ろに書き足される「注釈」のようなものだとしたら・・・

追記)

忘れていたことがある。
多分、これが重要なことなのだ。
人間関係において上手くいかないことがあり、
重い気分に支配されやすく、(純粋に?)本を楽しむことが少なかった。
重い気分から逃れたかったので、自分の現象に対し、
社会学や心理学の一般本を読み、解明しようと思った。
解明出来てはいないが、開き直れたのか楽になったのは、
5、6年前ではないだろうか。
加藤諦三さん、斎藤学さん、岡田尊司さんらの本に助けを求め、
20年くらいそういった状態だった。
本は楽しむものではなく、救いだったのだ。