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東京大学基金への寄付で安田講堂に銘板

 「東大生は群れず、自立するのみ」などと言われ、事実、東京大学の同窓会の集まりは脆弱で、同じ職場でも、東大生だから面倒を見るなどという風習も極めて薄いです。

 私が卒業したバブル絶頂期には、安田講堂は閉鎖されており、全学の卒業式すらなかったという有様であり、いかに当時の大学が、学生を粗末に扱っていたか推し量ることができます。

 早稲田とか慶応とかの卒業生は、盛んに同窓会を開いているようですし、東京大学の横のつながり希薄さには、他大学が少しうらやましい面もあります。

 当時の成人年齢は、20歳でしたが、大学に入学すれば、自立した大人扱いであり、今の大学のように、「面倒見の良い大学」なんてフレーズからはほど遠い当時の大学は本当に何もしてくれませんでした。

 ところがですよ。大学が国立大学法人になった平成16年度あたりから、いやに卒業生に対して、寄付などを募るようになってきたのです。大学の財政が厳しいことに改めて気付いたのでしょうね。

 あんまりしつこく言ってくるものですから、ちょっと調べてみると、東京大学基金を通して東京大学に寄付をすると、東京大学全体の教育研究・社会貢献に寄与するとともに、所得税の優遇措置(寄附金控除等)が受けられるのですね。

 いろいろと勉強してみると、こういう公のところに寄付する行為は、自分自身を精神面だけでなく、金銭面でも(逆に)豊かにする性質があるらしいと気付き、他の団体(日本ユニセフ協会)への寄付と合わせ、クレジットカードによる毎月引き落としというマンスリー・サポート会員となって、寄付を継続しています。

 私は、母校への愛が決して強い方ではないのですが、いろいろと報道を見聞きすると、東京大学の財政はかなり厳しいらしく、授業料も値上げするというじゃないですか。まぁ、私の寄付も無駄ではないでしょうね。

 で、毎月1万円という寄付をコツコツ続けていたわけですが、この度、累計寄付額30万円以上という規定を超えたため、あの安田講堂内に、貢献会員として、私の名前の入った銘板が掲示されることになりました。
 ※安田講堂内に掲示されるというのは、何ともいやらしいやり方ですが、名誉欲はくすぐりますね。

 で、本日、令和6年10月19日(土)、東京大学のホームカミングデイの開催に合わせ、「東京大学基金 安田講堂 銘板見学会」に招待されました。

 日頃は入れない回廊部分に銘板は掲示されており、予約した時刻に訪れ、銘板とともに記念撮影をしました。
 ※これは、私に限ったことではなく、訪れた銘板掲載者はこぞってやっていました。

 ホームカミングデイなど、今までは行ったこともなかったのですが、地下鉄南北線の東大前駅から、卒業した農学部内に入り、卒業して30数年も経って、より一層ボロくなり、古色蒼然とした学部の建物をながめると、これは確かにお金がないのだなと感じました。

 農学部のある弥生キャンパス(弥生式土器が発見され、その名前の由来となった場所です。)から、本郷へ抜ける橋を渡り、本郷キャンパスに入ると、今落下真っ盛りのギンナンの実の臭いが鼻に付きます。東京大学のシンボルは、そのマークにもなっている「イチョウ」であり、そこかしこにイチョウの木があり、中にはこんなに大きくなるものかと呼べるほどの巨木もありました。

 新しい建物も中にはありますが、東京大学は戦災で焼けなかったため、文化財との指摘も過言ではない戦前の古い建物だらけで、こういった環境で、果たして世界をリードする研究はできるのかなと思ったりもしました。

 赤門は耐震化工事に備えて、今はくぐれなくなっていますし、夏目漱石の小説が由来の三四郎池周辺は、草木が伸び放題です。東京大学はいろいろとボロくなっていると感じるのは決して外れた指摘ではないと思いますね。

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