金木犀と歌う夜
秋の夜は柔らかくて、優しくて、ちょっと寂しい。
街を歩けばどこからか金木犀の甘い匂いが風に乗って
家までの帰り道を遠回りさせようとする。
金木犀の匂いはなんとなく、
誰しもの乙女心をときめかす匂いをしているから
老若男女問わず恋がしたくなるのだろうか。
・ ・ ・
さあっと吹く夜風に木々が揺れて甘い香りが踊る。
いつもの仕事からの帰り道がなんだか特別なものになったような気がして、歩くスピードを落としてみる。歩いているのはわたしだけで、周りには誰もいない。
昔、わたしの家は小中高とどこからも遠かった。仲のいい友達はみんな途中で家に着いてしまって、いつも最後はひとりぼっちで家まで歩いていた。高校生になるまで携帯がなかったわたしは、とにかく帰り道が長くてつまらなくて、よく母に迎えに来てと公衆電話で電話をかけた。それでも、そんなただの道でも12年も歩けば思い出だって嫌でもできる。
いじめられてべそべそ泣きながら帰った日。
夏休み直前までロッカーの荷物を持って帰らなくて、半泣きになりながら猛暑の中歩いた日。
好きな男の子と会話ができて嬉しくて嬉しくて、スカートを翻してスキップしてしまった日。
言いたいことが言えなくて、悔しくて怒りまかせに走って帰った日。
友達の女の子と縁石に腰掛けて恋バナで大盛り上がりした日。
数え切れないほどの思い出の中で、わたしが一番強く残ってるものが「誰もいない道を大声で歌いながら帰ってるなんてことない日」である。
好きな歌、覚えたての歌、適当に創作した歌。
帰り道はいつだって歌って帰っていた。誰が聞くわけでもない、だからかっこつけた歌い方をしたって構わない。車道を走る車の運転手から変な目で見られても別にどうでもよかった。歌うことが楽しかった。1人で歌っている時、わたしは自由そのものだった。
・ ・ ・
東京はどこも家がひしめき合っていて、大きな声で歌うなんてできないし、そもそも大の大人が外で歌うなんて恥ずかしい。いつの間にかそんなことを思うようになるほど、「ちゃんと」大人になってしまったようだ。
とっぷりと藍色に深く沈んだ夜の街で、今、ここには私しかいない。今日くらい、いいのではないだろうか。心臓がちょっとだけ早くなるのがわかる。いつの間にか自分に規制することが多くなった。「大人なんだから」と。
小さく、小さく歌ってみる。わたしにだけ聞こえるような音量で。静かなメロディーが秋の夜に流れ出して、また風が優しく吹く。街灯の点々としたスポットライトを浴びて、金木犀の香りと一緒に街を流れる。昔ほど今は自由ではないけれど、この時だけはあの頃に戻れたようなそんな気がした。