![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157900588/rectangle_large_type_2_359d494e3133c2981c812150f54e63ae.png?width=1200)
内容項目「国際理解、国際親善」(第5学年及び第6学年)
今回も5年生の教材で授業づくりをしていきます。
使用する教材はGakken新版みんなの道徳 5から「太平洋のかけ橋 新渡戸稲造」です。
今回の記事では、内容項目C:主として集団や社会との関わりに関すること「国際理解、国際親善」について自分なりに考えたことをまとめていきます。
内容項目について
今回の教材で学ぶ内容項目は「国際理解、国際親善」。
学習指導要領解説 特別の教科道徳編「国際理解、国際親善」第5学年及び第6学年では、以下のように示されています。
〔第5学年及び第6学年〕
他国の人々や文化について理解し、日本人としての自覚をもって国際親善に努めること。
まずはいつものようにそれぞれの意味を調べてみました。
【国際理解】
国と国とがお互いに文化的・社会的背景を理解し合うこと。
【親善】
違いを知り合って、仲よくすること。
「理解」が「親善」につながる
最初に考えたのは「理解」が先か「親善」が先かということでした。
互いの理解があるから仲よくすることができるのか、仲よくしようとするから理解が深まるのか。
自分の中での結論は「理解」が先です。
というよりも理解の入り口に立つ、「知る」ということから始まるのではないかと考えました。
国を人間に置き換えて考えてみた時、全く知らない人間と仲よくなろうという気持ちにはなれないのではないでしょうか。
まずは表面的なところから相手のことを知り、会話や仕事など一緒に過ごす中で理解が深まっていきます。
相手のことを知った後は、理解と親善が相互的に作用していくのではないでしょうか。
(この辺うまく言語化できなかった…)
再び学習指導要領に戻ってみると、第1学年から第4学年は以下のように示されていました。
〔第1学年及び第2学年〕
他国の人々や文化に親しむこと。
〔第3学年及び第4学年〕
他国の人々や文化に親しみ、関心をもつこと。
高学年と比べてみると、第1学年及び第2学年は「国際理解」に絞られた文言になっており、「親しむ」という言葉が示されています。
第3学年及び第4学年でも「国際理解」に絞られていますよね。
「親しむ」「関心をもつ」という言葉で示されています。
このように高学年までの段階では他国の人々や文化に親しみや関心をもつことで、理解の入り口に立ち、高学年で理解と親善に努めることを求めています。
学習指導要領からも理解→親善という順序が見えてきました。
高学年ではそれまでの学年以上に、社会科や外国語活動など学習の中で他国の人々や文化について学ぶ機会があれば増えてきます。
各教科での学習で理解を深めていく中で親善への意識を高めていくようにしたいですね。
「日本人としての自覚」とは
内容項目の文言の中に「日本人としての自覚をもって」という言葉があります。
この言葉について考えてみたいと思います。
この文言を読んだときに浮かんだ問いは2つ。
「日本人としての自覚ってなんだろう?」
「日本寺院としての自覚と国際親善に努めることはどう繋がっているんだろう?」
ということでした。
「道徳的価値の見方・考え方」(著:赤堀博行 東洋館出版社)には、日本人のアイデンティティについてこう書かれていました。
国や地域の枠組みを越えて、地球規模でさまざまな活動が繰り広げられるグローバル化が進展する社会にあって、さまざまな人々との関わりをもつことが求められています。その際に、自分と異なる立場や考え方、感じ方を理解し、認め、受け入れようとするためには、これらの違いを自覚できなければなりません。他との違いに気付き、それを考察するためには、自分の姿を客観的に理解しておくことが大切になります。つまり、自分とはどのような人間なのか、何をよりどころにしているのかを明確に把握しておく必要があります。
簡単に、ざっくりとまとめると、「自分の国のことがわかっていないと他国と比べても他国との違いを認識できないよね。」「違いを認識できなければ理解を深められないよね。」ということだと読み取りました。
人に置き換えてイメージしてみます。
自分のことがわかっているから他人との違いがわかる。
自分が好きな服装の傾向をわかっているから他人の好きな服装の傾向との違いに気づいて、「あなたの好きな服装の傾向はこういう経験や価値観でつくられてきたんだね」と理解しようとする態度に繋がっていく。
そんなイメージでしょうか。
他国との親交を深めようとするときに日本人としてのアイデンティティをもっていなければ、他国の言いなりになってしまう可能性もありますね。
どういうことかというと、「日本らしさ」がわかっていなければ他国からの「この文化がいいから日本も取り入れるといいよ!」っていう言葉を鵜呑みにして日本らしさが失われていってしまうということです。
先ほどの好きな服装の傾向を再び例に挙げるならば、他人からの「これ可愛いから着てみてよ!」「絶対この服似合うよ!」と言われるままに服を着せられるような状況です。
自分の好みや持ち味とは違う他人の好みの服を着せられた結果自分らしさが消えてしまうということが、国と国との関係でも起こってしまうのではないかと思いました。
「国際親善に努めること」がなぜ必要なのか
第5学年及び第6学年の文言に「国際親善に努めること」とあります。
まるで「国際親善に努めるようにしなければならない」という意思を感じました。
強制するというよりも「必要なのだ」という感覚に近いでしょうか。
そこで「国際親善に努めること」が必要とされるのはどうしてなのかを考えてみます。
(前略)…昨今、地球の環境に関わる様々な問題が表面化しています。例えば持続可能な社会の開発に関わって、環境や資源、食糧や健康などの問題は、特定の国や地域だけで解決できるものではありません。関係国を中心に全ての国や地域が協力して知恵を出し合い、解決にあたることが必要です。こうした関係を良好に保つ上でも「国際親善」は書くことができません。今後は、グローバル化が一層進展することから、進んで他国の人々との交流を進め、親しくしようとする国際親善の態度を養うことが重要になります。
再び「道徳的価値の見方・考え方」を開いてみました。
「学習指導要領解説 特別の教科道徳編」にも似たようなことが書いてあります。
ニュースなどで目にする環境問題は確かにどこか一国の力で解決できるものではありませんよね。
「地球温暖化を防ぐぞ!」と言って日本だけがCO2削減に取り組んでも他国が変わらずCO2を排出し続けていたら地球温暖化が止まるわけもありません。
地球環境は物理的に境界がないので環境問題を解決しようと思ったら全ての国や地域が協力して知恵を出し合う必要があるのは当然だと思えます。
そうして全ての国と地域が協力しようというときに互いの国の人々や文化についての理解がない場合、どうなってしまうでしょうか。
「A国ではこの政策がうまくいった!だからB国でもすべきだ!」
「B国はA国と社会的な背景が全然違う。その政策ではB国の文化を破壊してしまうことになるじゃないか!」
みたいな感じでぶつかり合うことになるかもしれませんね。
すでに述べたように互いの国の人々や文化を理解しようと思ったら、親しむこと(=知ること)が大切です。
親しみをもって他国のことを知ることで理解が深まっていきます。
親しみをもって他国のことを知るには、一緒にスポーツをしたり互いの食文化に触れてみたり、行事に参加するなどしてその文化の中に入っていくことが必要だと考えました。
互いの文化が表れるようなものを媒介にすることで、相手の文化について理解していくことができるのではないでしょうか。
そして、互いの国を知ればより深く知るために親善の幅を広げていこうとする態度が養われていくような気がします。
ここまで書いてみて、親しむこと(=知ること)という理解の入り口を通って、理解を深め親善に努める態度が養われ、それがさらに深い理解に繋がって…と理解と親善の循環が生まれるような気がしました。
おわりに
正直、「国際理解、国際親善」の内容項目での授業はなんとなく苦手意識があります。
(どこからその苦手意識が来るのかはわかりませんが…)
今回改めてこの内容項目について自分なりに考えたことを書き出して、できるだけ整理してみましたが以前よりも理解が深まった気がしています。
ここから、「太平洋のかけ橋 新渡戸稲造」の教材を読んで授業をつくっていきます。
ぜひそちらも読んでくださいね。
ぶっく📚
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回参考にした本のリンクも貼っておきますのでよかったらチェックしてください📚