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2023/01/27
私には会社内に仲が良いと呼べる人はいないし、寧ろいなくていいと思っている。
仲の良い人を作らなければ仲の良くない人は生まれないし、仕事上での対人関係において誰とでも平等に接することは自分にとってモチベの上がり下がりもなく最善だと思うからだ。
だが、周りの人たちはそうではない。
まるで学生時代のクラス内グループのようにそれぞれが仲良さげである。
一緒に休憩に出たり、退勤を待っていたり、休みの日にも一緒に出かけたりしている。
そういうのを目の当たりにするたびに私の心にぽっかりと穴があく感覚になる。
仲の良い人は要らないと言い聞かせている自分を勝手に責められた気になり、そんな組織に属していない自分が虚しくなるからだ。
ある日の退勤後、私が電車を待っている際に後ろから会社の人たちが集団で楽しそうに話しながら歩いてきたが、コチラに見向きもせず(もしかしたら視界には入っていたかもしれないが)笑いながら通り過ぎていった。
私はこういう些細な出来事でいちいち傷つく。
いちいち傷つくし、そこで(ああ、この人・人たちは単純に私のことが好きじゃないんだ‥)と相手に確認もせずに、そう思い込む。そう思い込んでは(勘違いだ)と自分に言い聞かせるのだ。
誰にも執着しない、他人に救いを求めない、自分の在り方を他人に依存しない。
自分に言い聞かせてはいるが、普通に生きていられたらそんな自分に言い聞かせることはないだろうし、そうするたびに自分が他人の評価に振り回されていることに気づき、本当は
居場所が欲しい、生きる価値が欲しいという思いを根底に抱えていることを思い知らされる。
無駄な思考回路を巡らせている、いわば被害妄想をしている自分自身が一番虚しい。
きっと他人は自分のことなど何とも思っておらず、ただ自分が勝手に思い込んでは言い聞かせているだけなのに、勝手に苦しんでいる。
自分には考えすぎるところがあるからもう何も言ってくれるなと先輩に苦言を呈したが、そう言ったことで自分が傷ついている。
私は一体何がしたいんだろう。
私の人生が生きづらい原因の大半は、他人からの評価なんかじゃなく自分自身の〝考えすぎ〟にある。
そして、この問題は一生解決しない。