泣き虫
私は、ありがたいことに、3年保育で保育園に通わせてもらった。だが、当初、私は、保育園に行くのが好きではなかった。みんなで遊ぶのが苦手と言うよりも、恐らく、祖父母と一緒に暮らしていたので、祖父母と離れるのが寂しかったのだろうと思う。
保育園は、歩いていくのに、少し距離があった。毎日祖母が送ってくれた。
そして祖母が、家に帰る。だんだん寂しくなってきて、みんなが並ぶ頃になると、わんわん泣いてしまい、教員室に連れていかれる。
それが、毎日だった。
先生が手を引いて、教員室に連れて行ってくれるのだが、先生からすれば、こんな泣き虫、いい加減にしろと思っていたと思う。
事実、黒縁のメガネをかけたベテランの八重樫先生は、私の手を引いて教員室に連れて行ってくれたのだが、教員室に入るなり、ぼそっと、呟いた。
泣きたいんは、こっちやで。
それで傷ついた訳ではないが、先生というのは、保護者の前と、保護者がいない場所とでは、違うものだ。つまり、建前と本音があるのだということを、そのとき、学んだ。
そもそも、私は、照れ屋で、引っ込み思案なのだ。いわゆる、モジモジくんなのだ。
学芸会でも、私は、斜に構えて参加していた。共演の女の子に叱られて舞台に、渋々出るような、子供だった。
それに、泣き虫だった。
私が泣き出す、スイッチが、あった。
それは、みんなが並ぶ時間になるとかかる、この曲だ。
私は、長い間、この曲が好きではなかった。いまだに、少し苦手だ。
この曲、ちょっと、寂しくないだろうか。
その当時も、そう思っていた。
そして今だに、そう、思うのである。
あれから50年以上の月日が、経っている。
今の私の朝は、早いことが多い。
でも、今の私は、事務所に着くと、竜神さんの、朝活用BGMを、聴く。
この記事は、竜神さんが、毎朝5:30に予約投稿してくれている。
アニメのテーマ曲の中でも、ノリのいい曲を選んでくれている。
私は毎日、この記事のBGMで、その日の、心のスイッチオンを、するのである。
心の中のリトルkojuroが、今、ボソッと呟いた。
三つ子の魂百までというけれど、もう、泣き虫は、治ったのか?
いや。今でも時々、泣きたくなるよ。
仕事は、ときに、そんなことも、起こる。
だが、そんなときは、noteと同じように、ゆっくり、ゆるりと、やっていく。
そんなに楽しくは、ないことが多いけれど。
心の中のリトルkojuroが、ゆっくりと振り返って、笑った。