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ぼん
2024年10月21日 17:07
陽キャというのはただ陽気なだけの子はなれないらしい。インスタのプロフィールに学校の伏字とfjkとかsjkとかを書いたり、なんだかそういう「陽キャの掟」みたいなものがある。一年生の時のクラスは、陽キャが幅を利かせているというか、みんながそういった掟を守らないといけないような雰囲気だった。掟を守れないならJKじゃない!みたいな、別にJKでいたい訳でもないのにそれを押し付けられるような、そんな類の息
2024年10月21日 00:08
コンクールの全国大会がありましたね。聴きたかったです。この時期になると、全国に向けて死ぬほど頑張ったであろう子たちでも、金賞の嬉しさも銅賞の悔しさもいずれ風化して美化されるんだろうなと考えてしまって悲しくなる。私は、私のこの感情を上手く説明できない。一応吹奏楽をやってる身としては興味を持つべきことなんだろうけど、どうにも冷めた感じで…自分とは縁のない話だと思って見てしまう。嫉妬もあると思う
2024年10月9日 13:29
ご存じのとおり、私はぼんと名乗っております。凡です。実はぼんというのは2つ目の名前で、1つ目の名前は茶々でした。茶々は当時お気に入りだったぬいぐるみの名前から、小2とかのときにamebaブログを作ったタイミングで名付けて、そこからなんだかんだ中3まで使ってました。ネットから完全に離れた期間を中3で1年ほど挟んだおかげで自分のイタさに気付き、茶々は封印して、高校生になったから新しいのを作
2024年9月26日 16:54
街を歩いているとluupという電動自転車・スクーターが置かれているところがある。コンビニやら駐車場やら、それはもうそこかしこにある。しかも日に日に増えてるし。私は怖かった。どこからお金が出ているかわからないから。設備やシステムを作るのにかなりの額がかかるはずなのに、利用料はかなり安い。出資している企業もまあたくさんあるがそれも精々90億くらいのもので、しかも最初の起業した段階での出資者は多
2024年10月4日 19:05
私が今も鮮明に思い出せる最古の記憶は、ひいおじいちゃんのお葬式だ。…といっても、当時の私は幼稚園生で、ひいおじいちゃんの死に顔も覚えていない。私の中のひいおじいちゃんは、昔も今も額縁の中の笑顔のご老人って感じだ。私の、明確に残っている最古の記憶は、「泣いている母を慰めようと背中をさすったら、怒られた」。ひいおじいちゃんが死んだことも、死ぬってどんなことかも、当時の私は知らなかった。だか