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これを読み終えるまでの間、あなたに生きていてほしい。

----------はじめに

まず、何かしらの理由や興味を持っていただき、このnoteを読んでくださっていることに感謝します。
読み進める前に、お伝えしておかなければいけないのは、解決策はこの中にひとつも存在していないということです。なぜなら、私はあなたではないし、解決策などないと思うから。
ただ、これを読み終えるまでの間、あなたに生きていてほしい。
そして、たとえば、スターバックスの新作が飲みたいとか、昔好きだったドラマを一気見したいとか、最期に明日の夕日が見たいとか。そんな理由で、1日を生き延びてくれたらと切に願います。



----------もくじ

chapter1 生への執着
chapter2 10代の地獄
chapter3統合失調症14年目〜摂食〜
chapter4 欠陥品の20代
chapter5 後悔していないこと
chapter6 現在のあなたへ



----------chapter1 生への執着

自分を殺そうとはしないけれど、事故だったり、もし命が終わるのが今日だったとして、私はそこに何の感情もないのです。「明日死んでもいいように生きる」とか「毎日が精一杯」とか「幸せなまま死にたい」とか、何か理由があれば説明もしやすかったのかもしれません。
「死にたい」と「生きたいと思わない」というのは、同義語のようで異なるものなのです。
世の中には生きたくても生きられない方がいて、子供が欲しくても叶わない方がいて、もしかしたらあなたが望むものを私が否定しているように思えるかもしれません。また、もしかしたら私が望んでも手に入ることのないものをあなたは当たり前としているかもしれません。
それはどうか今だけは外に置いて、温かいミルクや、コーヒー、ココアと一緒に呑み込んでください。
人生が当たり前のように続くと考えたとき、ふと終わる日のことを想像するのです。
病院のベッドで?それとも事故で?誰かの手で?自分の家で?
何を成しても何も残さず自分自身は0になるのに、責任以外になぜ「生きたい」と思うのでしょうか。
私を愛してくれる家族がいて、信頼できる友人がいて、住む家があり、仕事がある。それでもいつか寄り添ってくれる最期を思う私にとって、結婚は希望のひとつでした。
結婚したとき、1人の人生ではなくなり、夫と共に生きたいと思えるようになるんだと。
何日経っても、何ヶ月経っても、いくら楽しいことがあっても、浮かぶのは「死ねなくなってしまった」という絶望とプレッシャーがのしかかってくるだけ。
私は焦っていました。このままではまた自分が出来損ないだと気がついてしまう。
妊娠が分かったとき、それは一縷の望みでした。
産み育てる責任ではなく、この子のために「生きたい」「死にたくない」と思えるようになることを願ったのです。
浮かぶのは「このまま流産したら今すぐ死ねるのに」という自分を軽蔑する思いと、どうしても、何があっても、この子だけは殺せないという思いが交錯しました。
毎日の向こうに1歩ずつ近づいてくる死を見つめてしまうのは、人の死を目の当たりにするのが怖いのかもしれません。
他人の死が怖いあまりに、自分の死を望むのかもしれません。
どうか産まれてくる彼女(彼)には、生きたいと思えるもの、人に出会ってほしいと願うのは、親だからでしょうか。

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