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摂食障がいの克服380【英語の勉強記録:社会復帰と英検1級&TOEICへの挑戦㉘】

  こんばんは。

 TOEICを受けてまいりました。

 私にとっては先月の英検1級・今日のTOEICが久しぶりの資格に関する受験となりました。休職や退職を経験すると、転職における採用試験は非常に大きなもので、それを通り抜けたこの春も大きな出来事でしたが、この2ヶ月も、自分の中では大きな試験ふたつを受けた月として心に残るものになりました。

 結果が届くのは3週間後ぐらいだそうです。
 
 現在、YouTuberの方々の本日のTOEICのレビューを見ていますが、私自身は数時間前の試験の問題は全く頭に残っていないです…。

 何気にショックを受けます。受けられた方々が議論しているのに、全く覚えていないという‥。
 心理学的には脳の使い方でもあるけれど、自分のコントロールの不可もあるので、嫌な記憶と共存して、なんとか1日をやり過ごして生きている、その連続の日々です。脳は嫌なことで埋め尽くされて今日の試験の内容すら留められないようです。

 試験を受けていたってそんな記憶は侵食してくる。頭もがんがんする。けれど今は少なくとも試験に集中したらいいからと、自分を励まして試験を受け終えます。

 とりわけこのところずっと書かせて頂いたように、『がんばっているから叶う』という考えで生きていないので、それはもう心が苦しい私に限ってかもしれませんが、私にとっては追い詰めるだけで、まだその助言であればないほうが良いと思います。がんばって叶えるためにがんばっていなくて、苦しくても、どうもがいても生きていかないといけないから、なんとかあがいてもいて、社会復帰のために自分に負荷を強いてもいる。

 いつも起きた瞬間から戦いが始まります。
 どう考えても生きるので(無論恵まれたこの日本という場所で)、ざっとしなければならないことをカウントして、仕事に行って、能力も足りない、けれどそれに達するまでの方法論を教示されていない。つまり自己解決しないといけない。厳しい状況を、この時給で働く立場として強いられてもいる。でもそこにパーフェクトでありたいと頑張る。

 何をしていたって、過去の『生きるな、ごみ』みたいなジャッジばっかり突き刺さるけど、生きないといけない、この世の中で。

 摂食障がいにだって、他の依存にだって頼って生きてきたかもしれないのですが、現在、英語を真剣に学んでいるこのフェイズで、それが。『がんばってるから大丈夫』と言われるほど、私にとって悲しいことがないということなんです。

 とっても悲しくなる。がんばってるし、英語は好きだし、でも、簡単な覚悟で今、生きたくなかった、生きるのが辛かった、でも、生きると決めた、なぜなら‥生きないといけないからと考えたときに、頑張るしかないと思えるからです。でも、がんばってもがんばっても、達成できない世界に挑んでもいてるので、もう自分的には毎日が自分のキャパ以上に進んでいます。

 久しぶりに大きな都会にでるなら時間を潰したらと言われても、そんな体力も悠長な時間もないです。
 これ以上がんばれない。

 読んで頂いてありがとうございます。

 

 


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