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摂食障がいの克服307【代償】

 久しぶりに今日はお休みでした。

 午前中は友人にズームで英語を教える日。
 私が指導することに対して、いちいちリアクションが大きくておもしろいです。英語を覚えていくってこういうことだったんだなーって私も思います。

 私自身はずっと貿易の世界にいたので、英語を世界各国の方と使うことによってビジネスがなりたっていたので、文法を考えたこともなかったのですが、最近、ひとつひとつの文法に意味があると改めて思います。

 オンラインがこうやって普及していると、離れていてもこうやって指導できたりで面白いなって思います。

 指導してる友人は、まだBE動詞と一般動詞を一緒に言ってしまうような段階にあるけれど、英検2級ぐらいまでは続けてもらいたい。やっぱり受動態や関係代名詞や、分詞構文、色々組み合わせることによって英語は自由だし、英語ができるって世界が広がるから。(とはいえもう友人も海外に関わるビジネスに携わっているようではありますが)

 例えば形容詞ひとつにとっても、前から修飾したり後置修飾したり。そういうことも反応してくれるから私自身も楽しいです。

 私自身に関していえば、1級受験はもう1ヶ月を切っています。
 全然最近勉強できていません。ひとつには、勤務時間が増えてきました。
 
 週休1日で今後は働きます。とはいえ、勤務時間が3~4時間という日もありながらです(事前準備は無論時間外)。

 この体力で週6勤務(時折バク転)。大丈夫かなあと思うけど、そういうシフトを自分で組んでしまった。

 英検1級に関しては受けるけど、勉強してないこの2日ぐらい楽です。やっぱり仕事しながらずっとハードル高い勉強していると頭が(もともとがんがんしているのに)しんどいなって思った。

 1級の勉強はしていないのですが、日常で準1級の問題にふれることがあって。振り返りの一部です。準1級でもやはりレベルは大学以上になるので非常に難しい。昨日あるノーターさん(1級の方)が、1級を受かりたいならまず準1を100%と書かれていて感動したんです。英検とは100%じゃなくても受かるのですが、私はいわば、準1は100%わかることが当然と思っていました。準1級保持者として。けれど準1級も充分に難しいので、その問題に触れていることだけでも1級の勉強にもしもなっていたら、素敵なことだと思いました。

 うまく言えないけれど、今私がこのところ関わっている人たちが素敵すぎて。それはノートの世界では無論、いつも好きをくださるとかそれは大前提に感謝をしていて。

 元カレを標準においていた。長い間。摂食障がいだけじゃない。
 興味を持ってもらえないことを普通だって思いすぎていた。

 最近出会った人たちがなぜか、私の症状や現状に興味をもって質問してくれる。気にかけてくれる。頭がガンガンなっているのに涙が出るくらいに嬉しい。

 辛いのに嬉しい。苦しいのに嬉しい。このまま死ぬんじゃないかと思うぐらいにきついのに、嬉しい。
 
 並行して、無意識過食が起こる。朝起きて泣く。

 泣くんだけれど、本当に悲しくて泣くんですよね。
 なんでこんな病気なんだろ、自分。朝起きて、床を掃除する悲しさ。冷蔵庫の周りとか。なんで普通に食べられなくて。一昨日無意識過食した際のお布団は今朝捨てた。

 泣くんですよ、ほんとバカすぎるって。

 だけど、それでも最近関わる世界が優しすぎて、凄い辛いのに、同時に麻痺しているように私幸せだって思ったり。

 ここまで書いたら頭ががんがんして、英語どころじゃなくなって、本当に悲しいです。

 元カレに何をいっても、”どれ?”と聞かれた。

 どれって。。私はペットじゃない、そういつも思っていた。
 伝えたこともあるんです。私は人間だって。

 別れるその寸前まで何か言えば『どれ?』だったし、誕生日にも興味はなかった。

 私はペットじゃない。『どれ?』と質問されて満足もできない。

 無意識過食をしてなお、頭のがんがんから、私は自分の不幸を感じることができない。

 過食してるのに、頭ががんがんしていて、不幸すらわからない。わかっているのは何か私が辛いと思っていて、何か私は救われたいと思ってきて。

 また、救われる対象は、自分にとってsomethingな人なんだって私は思って。

 安定した1日も私はひとりでは無理だった、そんな今日でした。



 
 

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