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摂食障がいの克服304【友情】

 お仕事から帰りました。

 私の仕事の性質上、クライエントとお話をすることが大切となるため、思えば今日も仕事をする中でほぼ話していたなあと振り返ります(4時間は話し続けている)。

 このところずっとオーナーにお願いをしていた件はいい方向に進みました。わりと人をすぐに信じる性質なので、生きた心地がしない月日でしたが、体裁とか恥も外聞もじゃないけどあまり気にしてられないような段階にもなったので、現状アップデートなどお願いをしてよかったと思います。

 もしもアクションが遅ければだとか、もしもタイミングがずれていたらどうしようもなかった。

 小説のキッチンで、『いるかいないかわからない神様に感謝した』というフレーズがあるのですが(どんなシーンだったのか思い出せません)私は、今回の件においてはすべての小さな偶然に感謝をしました。

 このシーンなのかなと今読み返したら涙が止まらなくなった。

 『キッチン』で、天涯孤独になったみかげを救った雄一とその母(実は父)。父親は奥様を亡くしてから”もう誰も愛さないであろう”と女性になり、ゲイバーを経営し、生計を維持する。

 しかしながら、キッチンの第二章で、逆上したお客様に刺されて亡くなるという痛ましい出来事が起こるのです。

 第一章ではみかげが最後の身内であった祖母を亡くし、それがきっかけで雄一とその母(実は父)と暮らし、徐々に立ち直っていくのに、自立した後、雄一が母(父)を亡くす。

 第二章では雄一の弱り方が半端なく描かれ、みかげが命続く限り作ってみせるってご飯を作り続けてふたりでワイン飲みながら一晩中食べるというもの。また、それでも逃げた雄一に、みかげが温かいカツ丼を届けるというもの。

 (何度も書いて申し訳ないです)

 このシーンはやはり摂食障がいであれば、どれだけ、”食べること”=”生きること”に繋がると再び感じさせられるもの。

 また、”食べること”=”愛”に基づく要素があるというもの。

 今日のお昼、私はある友人と話していたんです。
 また一緒にご飯食べようね、って。
 ご飯を食べるということは、無論生命維持ではあるけど、この人間社会においてはもっと意味のあることだから、そう言ったんだと思った。

 ”食べる”という普通の生理的欲求が、これほどまでに難しい経験をしたからの、そういう言葉だった。また、ご飯食べようね。

 今日お仕事においては、クライエントのお一人が言ってくれたんです。

 『ありがとう』って。何度か担当して初めてだなって思いました。
 
 またお一人が言った。『こんなためになることを教えてもらえるんですね!』って。

 単純に嬉しいと私は感じました。
 事前準備の(頭鳴りの中の)何かが実を結んだ瞬間だなって、ちょこっと嬉しかったです。

 また、今日ひとつトラブルがあった際に。オーナーが愛にあふれた行動を直ぐに取った。私ひとりでは厳しかったかもしれないと思うような瞬間だったんですよね。無論、私も対処しました。

 …とはいえ私への愛は足りなかったオーナーなので褒めることはこのあたりでやめます。生きた心地がしなかった。

 明日もお仕事です。

 今、摂食障がいの真っ只中になったときの心境を思い出すんです。

 そうはならないけれど。

 けれど人は気持ちの生き物だなって。

 『ホリーガーデン』の静江が、”友情を確立したじゃない”っていうシーンがある。友情を確立したじゃない、私だって。

 なのに、今日も不安でいっぱいです。

 

 


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