摂食障がいの克服305【Life is beautiful】
お仕事から帰りました。
今日はお昼に思い切り自転車をこいだので、活動時間は半日以上です。
成長したなあと帰りにスーパーで日用品まで買って思いました。(帰宅してシャワーして洗濯もした)
そうは言っても体力がついたという感じではなく、多少心が上向きだったということです。7月にも1度こんな感じの日があったので自分ではわかります。
来週からちょこちょこバク転の予定もあって、とても不安です。
バク転してから出社を試みる日もあります。
恐らく無謀です。
今更ながら大人びることも無理なので書いてみると、私は”誕生日”というものをとても大切にしています。
誰かがこの世界に生まれてきて、そしてその誕生日を迎えているということを一緒に喜びたいと思っているんです。また、出産したこともある立場としては、私は子供がおなかにいた10ヶ月、しんどいこともたくさんあったし、実はおなかにいる子供ともども…と考えるまでに追い詰められたこともありました。何とか、産んだ。産んだら一気に体重が10キロ落ちました。
産んでから、赤ちゃんはかわいかった。けれどずっとお世話をするってやっぱり大変なことだったから。だから、お誕生日ってそれまでも大事だった。けれど、出産してより大切になったというよりはずっと大切にしてきたことを同様に今大切にしている息子がいる。息子は今離れていますが、日が変わればすぐに”おめでとう”って連絡をくれます。
無論、世界に目を向けると、『おめでとう』が残酷なほどに、それこそ目を背けたくなる現状もあると思うし、国内でもそうだと思います。『死役所』のお話で虐待死に遭った女の子のように。
…ここまで来てその話は何話だっただろうとYouTubeをつけて、想像以上に絶句するほどの画像を見てしまい、すぐに消した。ごめんなさい。
涙を流そうにも流れないほどのひどいものだった。
親の被害者になる子供。
…書きたくなる言葉をまた、飲み込んだ。
苦しいですよね。いつまでも子供であったころの自分は付きまとう。その頃どんな気持ちだったか、それはもう引き返せない。
親目線で言うと、私自身は、子供の幸せが一番です。
色々自分でしたかったことはできなかったけれど、子供の安全を守ってきたし、心も親族全体で何とか守ってきた。
”生んでくれてありがとう”と言ってもらったことも何度もあるし、生きること=素敵なことと認識していると、恐らくは思うんです。
おなかにいたときも、生まれてからもとにかく、赤ちゃんと思わず、ひとりの人として話しかけてきたから、2歳を過ぎたころ何でも話すようになってもくれた。
話が逸れましたが、誕生日を大切に思っているということです。自分が親になる前からの習性で、大抵は日が変わればおめでとうと送ることを長い間していました、家族、親友、友人に。
ノートにたくさん書いてきた”友達”という人のお誕生日を何日もかけてお祝いしたんです。やはり、プレゼントとかはいくつか買った。それから彼の好きなマスターのいるお店にケーキを持ち込んで、事前許可もらっていたのに当日に”そういうことはやめて頂きたい”と言われ持ち帰って女友達達に涙ながらに食べてもらった。
翌日にママに誘われて彼と飲みに行ったら、真っ暗になってケーキ出てきてまた泣いた。私のケーキはいらない。けどママのケーキは食べる。
しばらく経って、マスターに事前にケーキ持ち込んでお祝いしていいかと聞いて許可もらって、当日『それだけは辞めて頂きたい』と言われたと伝えてみた。何の言葉もなく、その後やっと口を開いてくれた!って耳をすませば『おふろの素材がなんやろうな。磁石で探って、石鹸置き場をつくらないと』と遮られる。
私の2週間ぐらいに渡る行動は、おふろの素材よりも興味ない。失ったマスターに事前にお願いしに行った際の費用も、ケーキ代金も、興味がない。
『それでなんで泣いてたかわからんかったわ』と明るく言われる。
この辺りは以前書いていますが、私も自分が変じゃないかって思ってなかなか書けなくて。問題は、この彼に一度も私の誕生日を聞かれたことがない、ということです。
『興味をもってください』
それが一番私が発したことばであり、それは誕生日も、仕事も、摂食障がいも。(1年経って、私のノートの内容も読んでいて”摂食障がいはママに聞いたら心の病気らしい”と言えるこの強さ)
それが、今日ある方と話していて、誕生日っていつだっけ、って確認して。(珍しく覚えていなかった私)そしたら『〇〇(私)は?』ってすぐ聞いてくれて、私は感動しました。
私にそんな質問してくれるなんていい人やなあって。
それから、昨日仕事で、こういうことと、こういうことあってねと言ったら、『よかったなー』って。
友達だった彼は、一度も私の仕事に興味がなかった。
その方に伝えた。『日常のシェアっていいね』って。そうしたら、同意してくれた。嬉しかった。
このところの不運は、きっと今朝の会話のためなんだって思えるほどに、素敵な会話だった。色々このところの話をして、やっぱり私の話が多くなってしまうけど、ちゃんと会話が成立してた。
すごい変なお話ですけど、暗いところしかない私だけど、『Life is beautiful』っていうことばが脳裏をよぎるんです。主に、あるノーターさんの大病日記というところを読んでいて、ですが。人生は美しい。
それは、家族愛があるから。
愛って素敵だと感じて。
『Life is beautiful』はずっと好きな映画だった。第2次世界大戦のころの過酷な状況下での親子の話だった。きっと、"Life is beautiful"なんだ、って。
私も時折感じる愛というか友情というか、そういう際に思うんです。
家族愛に限らず。
人の欲とかじゃなくて、人の情というところ。それが愛情、友情。命令の形でない、支配下のもとにないこの繋がりにおいて。
けれども。ちょっと前を向いても、明日はそうじゃないかも、だとか。本当の繋がりというところに自分がいないと感じるのが、この性質なので、不安にすぐになるんでしょうね。
長くなりました。読んでくださり、ありがとうございます。
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