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4回目の退職願


私は同じ会社に、同じ上司に。
退職の意向を4回示した。今日その4回目を伝えてきた。

その流れを何となく、自分のためにも記しておこうと思う。。

漠然と思ってた

この会社にずっといることはないだろうな
そう漠然と思ったのは、入社して間もない頃だ。
毎日同じところを回るルート営業。
数字を強く言われる。やる事も多いのに、それに見合わないと感じてしまった給料。
休みの少なさ。
色々な、職場への溜まる鬱憤。
でも、こんなもんなのかなと思ってもいたし、1年目で辞めるのもな、と思ったりもした。
なんせ会社の先輩方がとても良い人ばかりで、何もかもとても親身に教えて下さったこの人たちを裏切れないな、と強く思っていた。

大きなきっかけ

それが大きく揺らいだのが去年の秋。

職場の空気感、上司から発される圧、黙りこむ先輩たち。連日1時間程立ったままとにかく説教を受けた日が何日か続いた時があった。

元々感受性が強いタイプで、又、話をうまく聞き流せず全身で感じとって、受け取ってしまうタイプだったのが大きな一因でもある。

私はその意味のわからない理由で説教され、1時間程立たされて居る環境に耐えきれなくて、気づけばうまく呼吸ができなくて、視界がぼやけて。

思わず、その場から走って逃げた。
その日私は生まれて初めて、過呼吸になった。

人中が震える。顔が麻痺してピリピリする。
指が震えて冷たい。
息がうまく吸えない、吐けない。
苦しい。
こんな経験は初めてだった。

仲の良い、営業所があるビルの掃除のおばちゃんに助けを求めた。
「嫌だ!私もう嫌だ!!助けて...」
泣きながらぐっちゃぐちゃになりながら。
その後おばちゃんの休憩室を占領し、泣いて泣いて泣いて叫んだ。泣き止めなかったし、泣き止み方も呼吸の仕方もわからなくて、ぐっちゃぐちゃになりながらその場で佇んでいた。

その後仲の良いパートの方が状況を察して慰めてくれたりしたけれど、同じ圧を感じていた他の先輩達は「どこ行ってたの?!」「あーあれね、仕方ないよね」「わかるよ」
身近な上司には「そんな真に受けちゃダメ。聞き流せば良いんだよ、みんなそうしてるよ」と言われた。
ショックだった。

トドメは、何とか元の状態に戻った私が、休む?と言われた選択肢を「(パワハラ上司に)負けたくないから」と跳ね除け戻った時に、パワハラ上司に言われた「どうした?何かあったなら話聞くぞ?」の一言。

自分が原因だとわかっていないその事実に、誰もそんな上司をよくないと思っていながら何も言わないその様に、私は会社という組織の構図を改めて知り、そしてショックを受けた。

その日から数日数ヶ月ずっと体が重く、意味もなく涙が出、夜は眠れず。
それでもなんとか会社に行っていたあの頃の自分のモチベーションが何だったのかが未だにわからない。

ただ、「私が悪いんだ」という自己暗示。
「私まだまだ何もできていないのに、ここで止めちゃダメじゃん」「私がいなくなったらどうなるの?」「大好きな先輩達に迷惑かけたくない」
こういった、自分を大事にしていない思考は確かに多かったと思う。


決定打

決定的な回復が見込めないまま時だけが過ぎ、
ようやく心療内科に行った日は、私が車で事故を起こした2回目の時だった。

心療内科に通っていた友人の勧めでようやく私もその場に足を運べたのは、過呼吸の日から5ヶ月後のこと。

ずっとモヤモヤして、全快どころか半快すらしていないまま過ごしていた自分に、答えを出してもらいたくて。そんな気持ちでようやく足を運べた。
私に待っていたのは「注意欠陥性多動性障害」「適応障害」「中度の鬱症状」の文字だった。

あ、やっぱり今の私普通じゃなくなっているよな、と他人から証明されたときに
ようやくその事を自分で認めることができた。

一気に楽になったと感じたと同時に、今の職場を去ろうと思い直した。

1度目と2度目

それから躊躇しながら上司に話した。
当時、車事故を頻発させていた私はADHDの診断を受けたのと同時に、仕事で車を使うのは止めた方が良いと医師に言われており、そのことをベースに意向を伝えた。

状況は変わらなかった。
それらの起因が結局はパワハラ上司が原因で起こしている症状でもあるという認識が上司にも私にもあったのが大きな原因だと思う。
その頃、パワハラ上司は異動が決まっていた為、「4月から良くなるから。4月まで頑張って。そしたら何とかなるから。」と暗示のように言われ、私も「パワハラ上司がいなくなれば何とかなるかも..」と思ってしまい、流れた。

2度目もこの中に含まれており(何ならこの話で1ヶ月以上使っている)、同じく話しは流れていった。

3度目

4月になってパワハラ上司と変わって来た新しい上司と身近な上司と3人で話をした時に、変わらず退職の意向がある事を伝えた。

前々から退職の意思があったこと、通院していること等が理由で、新しい上司はかなり気にかけてくれていた。

この頃、営業所の空気はパワハラ上司が居なくなってかなり、どころかあまりにも良くなった。
営業所で誰かしらの笑い声が必ず聞こえ、ワイワイしてる空気。わからないことをすぐ聞ける環境。
活気があるってこういう事か!と、初めて知った。居心地の良い空間で、私も徐々に自分を取り戻し始めていた。このままいても良いかもな、と漠然と思ったりもした。

それでも退職の意向を伝えたのは、結局はパワハラ上司を皆が野放しにしている環境に理解を示せなかったからだ。
そんな人が出世する会社、信用できない。そう思っていた。なので、変わらず退職の意思があると伝えていた。
しかし、私の軸が、辞めて次に行きたい私・会社に違和感を抱く私と、居心地の良い認められている環境に居る事への不自由のなさを容易に手放せない私で揺れてしまっていた事。

コロナ禍である事を理由に、「せめて次決めてから辞めなさい」と言われた事から、3度目も流れた。

ずっとこの感じだとまた上司に丸め込まれそうだし、延々といたちごっこみたいになりそう、どうにかせねば。とも思ったし、
言われたみたいに、コロナ禍であっても変わらずお給料が貰えてる今の環境に対してもう少し有り難みを感じなければいけないのかも、とも思ってしまった。(まあコロナ禍にも関わらず感染対策も曖昧で守ってもらえない感と信用の無さへの疑惑は増していったけどな!!)

4回目の今日。

そして、今日。4回目に至る。
今日に至るまで、起こった出来事は大きく2つ。
①仲の良い同期が退職した
②営業成績が良くなっていった


私は何度も止められたのに、同期は退職していった。その差はあまりにも明確で「次の職場が決まっているか否か」だった。
私は毎回、次を決めずに辞める意向を伝えていた。
就業しながらの転職活動をしている際に心身共に崩れてしまった事が大きな要因だ。
だが、「次が決まっていればすぐ辞められる」という事をこの事から知った。


これは本当に面白くて、最初成績を見せられた時に思わず笑ってしまったのだが。
私の営業成績はパワハラ上司がいなくなってからメキメキと良くなっていた。
面白いくらいに。

また、職場のあらゆる人に、「元気になったね」と言われるようになった。取引先の方にも言われた。
私は、私自身を発揮するのに必要なのが「安心できると思える場所」である事を学び直した。自分が自分でいられる環境の大切さを知った。

その為、②が私を大きく悩まさせた。
私が力を発揮するのは安心できる環境に身を置いている時。間違いなく今。
この居心地の良い場所を抜けて、この先こんな場所に巡り会えるのだろうか。
先輩方との会話もできなくなるのか。寂しい。
素直にそう思った。

だが、私は今日一歩を踏み出した。
私の今年の目標「自分を取り戻して、前に行く」を遂行しようと思ったから。遂行できると思ったから。②を経験した私は、今ようやく自分を取り戻せた、と思えているから。だからこそ、次に進んでみたいと思ったから。


正直、次の職は決めていない。
だが①の法則に従って、今は次が決まった体で話を進めている。

以前心身を崩した時から、就業と転職を分けて進めたいと思っていた。同じ失敗を繰り返さない為に。


今は、清々しい気持ちと不安が織り混ざっている。
次が決まっていくことへのワクワク感
居心地の良い場所を手放すことへの寂しさ、これでいいのか?という思い。
営業所の人たちが大好きだな!!!と感じるが故の勿体なさと寂しさ。

明日は新しい上司を踏まえた3者面談をすると決まっている。今までと違い確固たる意識を持つ私に、なんせ①の体で進めて居るが故に、大きく引き止められることはないだろう。

別れが近づく。
新しい未来が近づく。

寂しいと思う。
これで良いのかな、と思う。
失うとわかると、途端手放したくなくなる。

でも。
私はもっと私のやりたいように生きていきたいんだ!勉強したいことも、やりたい職業も、なりたい自分も、なりたい姿も!

思い出して、私!



4回目の退職願を伝えた私は、
着実に次の未来へ歩みを進めて居る。
後悔するかもしれない。でも、行くしかない!








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