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送り手の「品質」、受け手の「品質」
はじめに
「高品質」や「ハイクオリティ」という言葉を耳にすると思います。これらの言葉を聞くといいイメージを抱くとは思いますが、具体的にどういうことを指すのかよくわからないということがあります。品質は難しい言葉で説明されることが多いですが、求められたことを満たしていることです。この品質という言葉は作り手と受け手で、品質に対する考え方が異なります。今回は品質という言葉を使って、様々なことを説明していきたいと思います。
品質保証と品質管理
メーカーなどの製造業に携わっている方であれば、品質保証部や品質管理部という言葉を耳にしたり、会社にそれらの部署があったりします。品質保証と品質管理は似ているようで違います。品質管理はモノやサービスを提供するまでの工程で問題がなければ、品質が保たれているという考え方です。品質保証はモノやサービスを提供する工程だけでなく、市場からの要求事項を満たしていることも求められます。品質管理的にOKでも、品質保証的にNGということはよくあります。
ある料理にレシピがあるとします。そのレシピ通りにその料理を作ると非常に不味いものができます。この状態でも品質管理の観点から見るとOKになります。レシピという手順書通りに料理を作り、逸脱がないからです。しかし、これでは、作ったもん勝ちになってしまうので、品質保証という市場からの要望も提供するまでの工程に組み込む必要があるのです。品質保証部がクレーム対応をメインで行うのは市場からの要求を反映させるためです。品質保証は市場に重点を置き、品質管理は提供までの過程に重点を置いています。市場からの要望を工程に反映させるために品質保証が各工程での基準を作成するのです。提供されるモノやサービスが市場のニーズと大きな齟齬が生まれないのは、市場のニーズを反映させるという品質保証の観点からそれらが提供されているからです。モノやサービスの提供に品質保証は不可欠なのです。
クレームが発生した際に工程を確認して異常が見られないのは品質管理と品質保証の考えがあるからです。市場で求められる基準を満たしていないことが判明するとその基準を満たそうとするのが品質保証の仕事になります。そして、各工程の変更を行い、変更前と変更後で大きな影響を与えないかであったり、変更後は市場のニーズを満たしているかを確認したりしなければなりません。工程で異常がない場合は、市場のニーズを満たしていないことが多いです。ほとんどのクレームは偶発的なもので、大きな是正をすることは少ないですが、頻発する場合は抜本的な対策をしなければなりません。
ISO9001で求められることは、決められた手順で、誰が作業しても同じ物を作れることと市場のニーズをモノやサービスに反映させていることです。ISO監査が行われるときに品質保証部がメインになるのは、その会社が提供するモノやサービスが一定の品質を維持するために、各作業を標準化しているかを確認するためです。三者三様のやり方では品質は安定しません。市場にモノやサービスを提供する以上、市場のニーズに答え続けることが必要だからです。ニーズに答え続けるシステムを確立し、維持し、時に向上させることをISO9001で規定されています。有名なPCDAサイクルもISO9001にしっかり載っています。
品質保証と品質管理を人間に当てはめると
前の章では品質保証と品質管理の考え方の話でしたが、ここからは品質保証と品質管理というものを人に当てはめるとどうなるかを書いていきます。就職するまでは品質管理的な価値観で動くことが多いです。それは学校が行うテストに合格すればいいだけだからです。特にここに市場という要素はないです。ただ、与えられた基準をクリアし、逸脱さえしなければいいからです。しかし、就職や企業などは品質保証的な価値観で動くことが多いです。どれだけ、スペックが高くともそれが市場のニーズに答えるものでなければ、意味がありません。いい大学を出て、内定を1つももらえない学生がいるという話を耳にすることがあります。この話は品質保証と品質管理のギャップを表す端的な例だと思います。その学生は学校での成績は優秀ですが、市場で必要とされるものを持っていないからです。品質管理的には品質異常なしと判断されますが、品質保証的には品質異常ありになります。
品質管理の観点で見ると良いとされるロールモデルと同じ道を歩むことが是とされます。品質保証の観点からすると、良いとされるロールモデルは市場のニーズに答えているのかというところから始まります。良いとされるものが実は市場のニーズを満たしていない粗悪なものであることも考えられます。
資格を取って、独立しても、失敗する人は品質保証的観点からの分析ができていないと言えます。品質管理的観点で合格ラインを満たしていたとしても、市場で通用するかどうかは別問題になります。このことがわからず、社会のせいだのと言うのは見当違いもいいとこです。自分というブランドの品質保証ができていないだけです。品質管理はこれまでの自分のしてきたことに逸脱がなければいいだけです。決められたことをしっかりすれば、品質管理的には品質が保たれていることになります。しかし、市場で求められることを反映させることができなければ、品質保証的にはアウトになります。市場への提供はできないと判断されます。品質保証は一種のマーケティングでもあります。これを人に当てはめるとそれはより分かりやすくなります。
市場で求められるものが何であるかを見極めることが自分の価値を高めることになり、それは自分というブランドの品質を保証していることになります。就職などのうまくいかない場合に受けようとしている会社の要望事項と自分の価値を照らし合わせるとおのずと見えてくるはずです。品質保証的観点を持てるかどうかで、人生が変わると思います。市場のニーズを満たすために自分がすべきことも見えてきます。
最後に
今回は品質の話がしたいというよりかは、品質保証的な生き方と品質管理的な生き方について書きたくて、このような内容にしました。品質保証と品質管理の考え方の違いから今の自分の見方はどっちなのかと考えるきっかけにもなるかもしれませんし、勤めている会社の品質保証体制や管理体制について考えるきっかけになったかもしれません。昔、バイトしていた塾のCMは低価格、高品質をうたい文句にしていましたが、他の塾と比べると低価格であることは事実でしたが、高品質ではありません。バイトをしているのはその辺の大学生で、時給も他の塾に比べると安いです。大学生のバイトではいかに多くバイト代を稼ぐかに重点が置かれるので、安いとモチベーションが下がり、質のいい教育を届けることは難しくなります。高品質を維持するにはある程度のお金がかかります。お金をかけ過ぎず、削り過ぎで、低価格・高品質は実現され、低価格を追求すると質は必ず落ちます。適正価格は、提供されるモノやサービスの品質に値段が釣り合っているかどうかで判断されます。高品質を提供者側の品質管理だけでなく、市場も納得する品質保証的であるようにしなければなりません。ある程度のものを求める場合は、一定のお金が必要になることを消費者の側も理解する必要があります。市場の声を無視して、いいモノやサービスを提供することは難しいのではないでしょうか?提供する側への理解を示さず、値段だけですべてを判断するのもいかがなものでしょうか?