地方創生のヒント、ここにあり!?
今回取り上げる本は藤井聡さんの『クルマを捨ててこそ地方は甦る』です。この本はタイトルを通り、車を捨てることで、地方が復活すると書かれた本です。著者の藤井さんは正義のミカタの論客としておなじみの方で、京大大学院の教授(都市工学)をされております。過去には内閣官房参与も務められ、インフラ整備について政府へ提言をされていました。都市開発やインフラ整備で政府に提言されていた方が書かれていますので、地方創生のヒントを隠させています。タイトルが非常に逆説的と思い、本を読み始めましたが、車依存が一極集中を生み出している原因なのかもしれないと思うように
なりました。そのポイントがこの3つになります。
車が地方を衰退させる
僕も田舎出身で、車がなければ生活できないと思っていた一人で、田舎出身や田舎に住んでいる人は痛感していると思います。地方で車を捨てるということは、足を失うに等しいと思っていました。しかし、車があるからこそ、地方が衰退し、さらに車への依存度を高めていくことになります。細かいことは省略しますが、地方ではその地域で使ったお金がその地域に還元される割合が小さくなり、その地域で使えるお金が減っていきます。郊外にある大型ショッピングモールは大半が地元の資本の企業ではなく、東京や大阪といった大都市に本社を置く企業が多いです。売上自体はそのスーパーの売上になりますが、その企業としての売上は本社で計算され、その企業の本社がある大都市に還元されることになります。つまり、そのような大型スーパーができて、どれだけ売上が上がっても、地方法人税が地元に返ることはなく、むしろ吸い取られるだけになってしまいます。車があるから、地元のスーパーではなく、大規模なスーパーへ行くことになり、使ったお金が地方に還元されず、都会に吸い取られ、行政サービスなどに力を入れられなくなってしまうわけです。
大型スーパーの建設と工場誘致の決定的な違いはその地域に住んでいる住民のお金を吸い上げる仕組みになっているかどうかです。工場誘致も本社が都会であるケースが多く、地方への還元は多くありませんが、社員寮に社員を住まわせたり、その社員が生活するためにその地域でお金を使ったりとその地域のお金を吸い上げることはあまりなく、どちらかというとお金を使うことの方が多いです。それに対して、大型スーパーになると、地元の人がそのスーパーでお金を使い、そのお金が都市に流れることになります。使った分のお金に見合わない還元しか地方にはありません。いわゆるシャッター街を作った原因の根底には車依存が隠されていると言えます。
車で遠出し、地元資本でないスーパーで買い物をすればするほど、お金が地元に還元させず、地方自治体は疲弊をし、職を求め都市へ行き、さらにお金が無くなります。そうなると、バスや鉄道がなくなり、その地域で住みにくくなり、さらに人が減っていくという悪循環に陥ります。車への依存が地方を衰退させていると言えます。間接的に一極集中を助長しているように思えました。
車依存が諸悪の根源
藤井さんの大前提は車のすべてが悪としているわけではありません。車への依存を止めるべきだと言っています。車を使うにしてもほどほどにと言っているのです。車依存への依存が地方経済を衰退させ、地元の公共交通機関を弱体化させます。その結果、若者や高齢者が割を食うことになり、その地域での生活が困難となってしまいます。外に出ることのでき若者は車のいらない都市へ行き、高齢者は自ら運転せざるを得なくなり、痛ましい事故に繋がりかねません。車は便利なものですが、時として凶器にもなり得ます。車と公共交通機関の住み分けができていたり、共存ができていたりするのであればいいのですが、車依存になると車の一強状態であり、車がない人が割を食うことになってしまいます。
車が多いと渋滞が起こります。しかし、車一台に乗っている人はレジャーをしている人を除けば、だいたい1-2人です。一斉に車で通勤をするとなると、車が道にあふれかえりますが、バスであれば数台分、路面電車の電車で1-2両分の人しか移動していません。道が混んでいると、人が多いように思われますが、実はバスや路面電車で足りてしまうほどの人数なのです。渋滞が起これば、大気を汚していまい、地球環境を保護しようという流れに逆行することになってしまいます。車の使用を控えるだけで、節電やガスの使用を控えることよりも大気汚染防止に効果的です。車は便利ですが、交通障害を引き起こす大きな原因でもあります。
車を持つと、日常的にあまり運動をしなくなります。都市部であれば、駅まで歩き、目的地の最寄り駅からさらに目的地まで歩きます。近所のスーパーに行くときも同様です。しかし、車を使うと目的地まで車で行き、目的地内で動くことはあってもその道中で体を動かすことがありません。その結果、肥満のリスクが1.5倍になり、心臓病や脳疾患のリスクも上昇することになります。都会よりも地方の方が運動不足になりやすく、実際、父親も心臓疾患で入院したことがあります。田舎は自然豊かで体にいいと思われていますが、車への依存度が高いと都会の方が健康的に暮らせてしまうという何とも逆説的な結果になってしまいます。車依存を見直すだけで、個人の健康も町のインフラも見直すことができます。
車を捨てて復活した地域
取り上げられた事例として、富山市のLRTが挙げられます。富山市は富山県の県庁所在地ですが、車への依存度は80%超であり、超が付くぐらいの車社会です。富山市には路面電車があり、富山駅から富山港まで富山港線が通っていましたが、廃線となりました。廃線跡にLRTを敷設し、さらに市電とLRTを繋げ、富山市に活気が戻りました。
富山市は完全に車を捨てたわけではありませんが、車と公共交通機関の住み分けがなされています。富山の市街地にLRTを通すことで市街地の人たちはLRTを使いようになり、車がなくても生活できるようになりました。富山に新幹線が開通し、東京まで最速2時間超で結ばれました。関東方面からの観光客も増え、LRTを使うことで富山駅周辺だけでなく、富山の市街地や海の方まで行くようになり、北陸の一地方都市が活気にあふれるようになっています。富山の人たちも東京へ簡単にアクセスできるようなり、さらにLRTを使い、家から車を使わずに富山駅に行けるようになりました。地方で車を捨てると破綻すると思われていましたが、実は破綻するどころか活気を取り戻す結果になっています。車を捨てることへのハードルは高いですが、実はなくてもそこまで生活に大きな支障が出ないことを示しています。
富山市に続き、栃木県の宇都宮市でもLRTは敷設され、今後の動向が注目されます。宇都宮でのLRTが成功すれば、車依存から脱却することで地方に活気が戻ることがこれで示される可能性が非常に大きいです。地方創生や都市開発の新たな知見になることは間違いありません。ホコ天や車道を潰して、歩道を拡大させた地域の方が、人が溢れ、活気を取り戻しているところが多いです。むしろ、車と人が同じ道路を使っている方がお互い、いい気持にならず活気はそこまでありません。車が完全なる悪ではありませんが、車依存を見直すきっかけになるでしょうし、地方創生の大きな手掛かりになること間違いなしです。
詳しくは『クルマを捨ててこそ地方は甦る』を読んでみてください。