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日本とグローバル化

はじめに

日本は世界の中ではどんな国ですか?と聞かれるとどう答えますか?アジアの東端にある島国で周辺諸国にひどいことをして、世界的に見て遅れている国ですと答えますか?それとも、今のアジア地域があるのは日本のおかげで、世界に誇れるものがたくさんある国ですと答えますか?それとも世界で60番目に大きな国で、日本で一番大きな島である本州は世界7番目の大きさを誇る島であり、日本で一番大きな湖・琵琶湖は世界三大古代湖と言われている湖を持つ国と答えますか?世界から見た日本はどうであるかといった番組や本などたくさんあります。報道番組と称する物の大半は日本を批判的に取り上げていますが。この世界とは具体的にどこを指し、グローバルスタンダードってどういったものなのかについて書いていきます。


グローバル対応って何?

今後の日本はグローバル化を進める必要があると言われて久しいです。確かに日本だけで完結する時代はすでに終わりを迎えていますし、外国との付き合いは不可欠ですし、日本は資源や食料を外国に依存しています。そのため、日本単独で生きていくことは難しいです。この文脈でのグローバル化は外国との付き合いを意味するでしょう。しかし、グローバル化を世界に染まる、もっと言えば、単一的な存在になることを意味する場合もあります。こういった意味でのグローバル化は本来のグローバル化の本旨に背くものだと思います。

グローバル化=単一化とするのは多様性を押し付ける人たちとよく似ています。グローバル化は国内だけでなく、国外との付き合いを増やすことだと思っています。言葉や文化の違う相手への理解こそがグローバル化であって、単一的になることではありません。確かにISO規格やIEC規格のように国際標準規格があることで工業製品のボーダレス化を促進し、グローバル化に繋がりますが、これはモノの話であって、人や国の話ではありません。モノのボーダレス化に統一規格は必要ですが、人のボーダレス化に単一化は不要です。モノの規格を統一したから人も単一化すべきであるというのは非常に強引で、多様性を押し付けるような人たちが好きな理論です。

グローバル化は国内だけでなく、国外との接点を持ちながら、国内をこれまで通り維持することです。日本とアメリカの関係は深いですが、日本がグローバル対応をしなければならないから、公用語を日本語から英語にはしないですよね?本来のグローバル化は自国と他国の存在を認め、その他国と付き合っていくことです。他国のことを理解する必要はもちろんありますが、自国を捨てる必要まではありません。グローバル化は食うか食われるかの戦争ではありません。

グローバル対応をするために英語のような外国語を使うことはありますが、世界で日本語が使えないから日本語を無下にするというのはグローバル対応ではなくなります。自分がいるから、他者を認識できるわけです。自国があるから、外国があり、その国と付き合っていく必要があります。世界が1つの国になってしまえば、グローバル対応というものは存在しません。ユーゴスラヴィアのような様々な民族、言葉、宗教を1つの国の中に収めましたが、その歴史は惨憺たるものです。1つの世界を目指すグローバル化はグローバル化ではありません。単なる併合です。本当の意味でのグローバル化はここの国の存在を認め、理解することです。


グローバル対応=英語を話す

グローバルと聞けば、英語という言葉は絶対に出てくるでしょう。グローバル対応するうえで言葉の壁は越えなければなりません。そのためには世界で一番話されている言語である英語を話せることが求められます。英語を話すことだけがグローバル対応ではありません。グローバル対応の1つに外国語というツールがあって、その中の英語という言語を使っているだけであって、英語が話せるからグローバルに対応できるというのは早合点です。

英語のような外国語は言葉の壁を越えるツールです。言葉はツールであって、話者が相手の言葉にすべてを合わせなければならないわけではありません。最低限のマナーは守らないといけませんが、英語を使って話すからといって相手に迎合する必要はありません。相手に迎合すれば、グローバルな対応ではなく、従属になってしまいます。相手の文化を理解し、それに合わせることと迎合は別物です。前者はグローバル対応であり、後者は従属です。グローバル対応は自分というものを確立した上で相手と対等の立場に立ち理解することです。後者は相手の言いなりになり、すべてそれに従うことです。グローバル対応を求める人たちが日本に求めているのは後者であって、前者のような対応をすると戦前の侵略主義の再来とレッテルを貼ってきます。正しいグローバル対応は前者です。

世界を股にかける人は英語が話せますし、外国である程度の評価を受けてる人は相手に迎合するようなことをしないと思われます。自分というものをしっかり持って、相手と対等な立場でいられる人だと思います。英語が話せても、自分を持たずに対等になれないと、グローバル対応とは言えません。逆に英語は話せないが、自分をしっかり持って対等な立場に立つことができれば、グローバルな対応ができていると言えます。世界の中で相手と対等に立つことが重要なのであって、相手の使っているツールにすべて合わせることがグローバルな対応ではありません。グローバル化には愛国心のようなアイデンティティーが必要なのです。


最後に

ここ数年はコロナの影響で外国との行き来が自由にできませんが、それ以前は外国人がたくさん日本へ来たり、日本人が外国へ行ったりしていました。欧米に旅行した人がよく口にするのは、「欧米は進んでいるのに、日本は遅れている」という言葉です。その最たるものがレディファースト文化で、女性を立てる文化にほの字になる人です。なぜ、この例を引き合いに出したかと言うと、そういう人たちはすでに外国がよくて、日本は酷いという構図が出来上がっているからです。そこに実際に体験したことを当てはめて、言わんこっちゃないとなっているわけです。日本も欧米のようにすべきだと言いますが、日本が欧米のすべてを受け入れなければならないのでしょうか?そんなことは絶対にありません。もちろん、欧米のいいところは真似すべきですが、文化的になじまないものを受け入れる必要はありません。多様性がなくなってしまいます。グローバル化と多様性の尊重は類似するもので、他の国との関わりが生まれてくる中で、自国の存在意義を見出したり、相手に理解してもらったりすることが重要です。グローバル化も他者とのコミュニケーションの延長であって、迎合するようなことではありません。

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